嚥下
自発的に魔法を使ったのなんて何年ぶりだろう。それがいつだったのか思い出せない程に昔の出来事に心から自信をもって成功させることができたとは言えない。ただ、白装束の彼らが一歩も動かないのを見ると成功はしている。
「どうしてバレたのか…………なんていくらでも考えられるか。とりあえずアイラを連れてここを離れるか」
そう思っていたはずだったのに、振り返ったリルはすぐに白装束の二人に向き直った。舌打ちをしながら顔の下を拝むことのできない彼らを見上げる。最初からこっちの動きを呼んでいたな。
リルの背後、アイラがいた場所にはその存在を覆い隠すようにして転移の穴があった。まさか自分の目の前に現れたそれに意識を向かせることで感づかせないようにしていたとは。初めから彼らは交渉の席につくつもりはなかった。
せめてもの抵抗に僕は白装束のその布を剥がして止まった時を動かし始めた。ほとんど何も見えないはずだった目の前が急に開放的になって二人は顔をしかめる。どうやら僕の手元にその白装束があることで何をされたのかは理解したようで、しかめっ面のまま杖を直接こちらに向けてくる。
「どうやらあなたの背後にいた彼女には手を出されたくないようですね。旅の間にできた仲間ですか?」
「そんなことはどうでもいいだろ。言っておくが、僕はお前たちの言いなりになるつもりもないし、そうることもできない。これは、彼女に手を出すならこっちにだって方法はあるっていう警告だ」
そう言って僕は二人に向かってその白装束を投げつけた。杖をひきそれを受け取った二人はゆっくりとその足を転移の穴に向ける。一人、その中に入ると完全にその存在がこの場から消えてなくなる。そしてまたもう一人がその中に踏み込もうとした瞬間、こちらに振り返る。
「ライブラの長が待っています。どうか、着いてこられるよう。もちろん選択は貴方に委ねられていますよ」
最後にそれだけ残した白装束、を片手で抱えた端正な顔の女性はこちらが来るのを待ちわびるようにゆっくりとその穴に体を預けて消えていく。
もちろんだが、これが罠なのは分かっている。どうせこの転移の穴の先にはもっとたくさんの白装束が僕の事を取り囲むようにして立っていて、次々とこの体を拘束しにかかってくる。
「…………はぁ、最悪だ」
半ば逃げ出すようにして里を抜けたリルにとってライブラは帰郷するには重い腰の上がらない場所になっていた。禁忌の件は里には広がっていないとは言われているが、実際のところもよく分かっていない。それに、公平を重んじるライブラの長が禁忌に叛いたことを簡単に許すとことはどうやっても考えられないのが現状だ。
「まだですか?」
「うわぁっ!」
一人で思い悩んでいると転移の穴からさっきいなくなったはずの女性が顔を覗かせていた。僕は思わず声をあげてしまい、居を突かれたような気持ちになる。
「急いでくださいね」
「……分かりました」
釈然としない気持ちを押さえながら僕は頭だけ出ている転移の穴へと向かう。彼女がゆっくりと消えると、それを追うようにして慎重に足を踏み入れる。底の無い沼に体を奪われたみたいに変な感覚だ。ゆっくりとそれが全身を覆ったかと思うと視界が一瞬真っ暗になる。
だがすぐに地に着いていなかった足が着地点を見つけ、ぬっぽりというのが最もふさわしいと思うくらいに一気に体が開放的になる。開けた視界に映る場所が一瞬どこか分からなかったが、よく見てみればそこは見慣れた魔法協会支部の建物の中だ。
「久しぶりだな、リル」
「…………ライブラ」
年老いた男はこちらを見て懐かしそうに呟く。かつては自分も彼のもとで魔法を学んでいたというのだから本当に驚きだ。今ではその時に感じていた尊敬の眼差しなどどこかへと捨ててきたのか、今は罪悪感とあの場で手を差し伸べてくれなかったことに対する悲しさしか抱くことができない。
「どうしてそんな顔をする。私だって君が意図して魔法を使ったとは思っていない。だから少し話し合いをしたいだけなんだよ」
そう言って男は造られた笑顔を振り撒きながら部屋へと招く。そんな気持ちがあるなら少しはその警戒の目をやめたらどうだと思いつつ、何人もの監視の目に刺されながら部屋へと入った。
案の定、その部屋の中には複数の警護のつもりだろう、白装束が四方を囲むように立っていて常に杖を構えている。どうやら僕はいつの間にか時限爆弾にでもなったみたいだな。本当に、こんなものを見せられては笑みも零れてきてしまう。
部屋に入るまでにアイラの所在を明らかにできなかった。彼に確認を行おうと思ったが、座るよう促された椅子の前には一枚の羊皮紙が置かれている。そんなことを聞く時間はどうやら僕には残されていないみたいだ。
さっきまで笑顔を振り撒いていた長であるライブラはその笑みを途端にしまい込み、僕の魔法が禁忌だと指定された時に見せたような冷淡な顔をこちらに向ける。それは彼が天秤を象徴する里の長であること、そしてその里で生み出してしまった禁忌を扱う責任の表れなのだろうが、生憎僕には全く関係のないことだ。
気丈な態度を振る舞い、強気な態度にも応じられるようにする。だが以外にも彼が提案してきたのは僕の身柄をどうこうしようだとか禁忌を破った制裁について話し合おうとか、そういうつもりで呼び出したわけではないらしい。よく見てみれば、目の前に置かれている羊皮紙も、あの日結んだ契約書でもなんでもない。
「なんだ、ようやく私が本当に話し合いをしたいだけだと理解してくれたかな?」
どうやら僕は一杯食わされていたみたいだ。急に肩の力が抜けて、部屋に充満していた重苦しい空気も栓が抜けたようにゆるゆると流れていく。
「僕の禁忌の話をするために呼び出したんじゃないのか?」
「もちろんそれもある。だが今回は少々特殊な事情も相まって、それについて十二宮は暫く目を瞑るらしい。だが、代わりに一つ受けてもらう依頼がある」
禁忌を破ったことを帳消しにするほどの依頼?
それはそれで警戒してしまう。一体どんな危険な依頼が舞い込んで来たと言うんだ。伏せられていた羊皮紙がそこでやっと表にされた。
「端的に言おう。依頼とは、とある魔女の遺構を完成させて欲しいというものだ」




