お年頃の王子様は悶々とする④
相変わらず心の声が残念な感じです。
広場のベンチに座るリージアはクレープを食べ終わり、唇に付いたチョコレートソースを舌先で舐め取る。
本人は見られていることに気が付いてはいないようだが、横目で観察していたユーリウスはチョコレートソースを舐め取った舌先の、艶めかしい赤色に気持ちが高まりゴクリと唾を飲み込んだ。
(舌でペロリとか、可愛い! 全部舐めきれてないのには気が付いていないのか? ああ、俺が唇を舐めてやりたい! 舐めてそのままキスしたい!)
高まる興奮と衝動は奥歯を噛み締めて腹に力を入れて抑え、ユーリウスは人差し指でリージアの唇の端に残っていたチョコレートソースを拭う。
目を丸くしたリージアが可愛くて、我慢できずにユーリウスはチョコレートソースを拭った自分の人差し指を舐めた。
「ついていた」
「ありがとう」と言うために口を開きかけた時、離れた場所から突然聞こえてきた人々の悲鳴に驚き、リージアはベンチから立ち上がった。
「な、なにっ?」
「通りの方で騒ぎがあったようだな」
起ち上がったユーリウスは視線だけを動かし、護衛が近くに控えていないことを確認してリージアを抱き寄せた。
通りへ出る曲がり角の方から馬の嘶きと蹄の音、逃げ惑う人々の悲鳴と警備兵の警笛の音が聞こえ、状況を把握したユーリウスはジャケットのポケットに忍ばせておいた魔剣の柄に触れた。
「興奮した馬が暴れながら此方へ向かってくるようだ」
「ええっ!?」
「警備兵が出動しているはずだからだい、」
バキバキッ!!
「大丈夫」だとユーリウスが言い終わる前に、押さえようと前に立ち塞がった警備兵達へ体当たりをした馬は彼等をなぎ倒す。
(おいっ! 此方へ来るな!)
石畳に蹄の音を響かせながら、興奮した馬が広場を目指して走って来るのが見えた。
けたたましい音を立てて馬から引いていた荷馬車の荷台が外れ、曲がり角に置かれていた木箱へぶつかり横倒しになった。
砕けた木箱の飛び散る木片が広場に居た人々へ襲い掛かり、親子連れや若い男女が悲鳴を上げて逃げ出した。店主が逃げ出した一部の出店から黒煙が上がる。
逃げようとしないユーリウスに、どうしたのかとリージアは彼の顔を見上げた。
「ヒヒーン!!」
高い嘶きを発しながら広場へ現れた栗色の馬は、血走った目を零れ落ちんばかりに見開き泡が噴き出した口からは涎を垂れ流しており、明らかに異常な状態だった。
逃げる人達と馬が薙ぎ倒した商品が散乱し、祝日の広場は一気に大混乱に陥る。
魔法を放とうとしていた警備兵を蹴り上げた馬は急に反転し、ベンチの前に立つユーリウスとリージアの方へ血走った眼を向けた。
(正気を失っているな。この異常な状態は……やはりそうか)
鍛錬を積んでいる警備兵を簡単に薙ぎ倒すなど、荷馬車を牽引する馬の力では考えられない。
向ってくる馬を観察すると、全身の血管が浮き出るほど筋肉に力が入り普段では考えられないほどの怪力を発揮し、逃げる人々と出店をなぎ倒していた。
「ユーリウス様!」
間近で聞こえたリージアの声で思考に耽っていたユーリウスは我に返る。
傍らに立つリージアは右手を突き出し、向かってくる馬を拘束する魔法を展開していた。
「大丈夫だ」
気配に気付いたユーリウスは冷静な態度を崩さずに、魔法を発動させたリージアの肩を抱いた。
「ヒィンッ?!」
今まさに飛び掛からんとしていた馬は、リージアの拘束魔法で出現した緑色の蔦が全身に絡み付き、前足を上げた状態でピタリと静止した。
静止した馬の右こめかみから血が吹きだし、大きく開いた口からは舌と涎がだらりと垂れ下がる。大きく見開き白目を血走しらせていた瞳か生気の光が消えていった。
ドサリッ!!
糸が切れた操り人形のように、動きを止めた馬は拘束する蔦が消えると同時に大きな音を立てて、石畳の上に横たわった。
「リージア、助かった」
「今のは、ユーリが何かしたの?」
石畳の上に倒れ、こめかみから血を流し泡を噴いて全身を痙攣させている馬を前にして、何が起こったのか分からないリージアはユーリウスの方を向く。
「護衛が動いた。姿を現すなという俺の命に従ったのだろう」
淡々と言うユーリウスは植え込みの影に隠れて姿を現さない護衛へ向けて、不快という感情を露わにして眉を寄せた。
倒れた出店から火の手が上がり、黒煙と焦げ臭い臭いが広場に広がる。
黒煙の間から警備兵達が走って来るのが見え、ユーリウスは倒れた馬を凝視しているリージアの腰を抱いた。
「警備兵が来たら面倒だ。行こうか」
「演劇を見に行くのですか?」
「ああ。怪我人は兵達に任せておけばいい。今日はデートを楽しむ日、だろう?」
目を瞬かせたリージアを安心させるよう微笑みかけ、ユーリウスは街路樹の影に居る護衛へ目配せをして足早に広場を後にした。
広場から離れ衣料品店やお洒落なカフェが建ち並ぶ通りへ出れば、先程の騒ぎが嘘のように買い物を楽しむ若者達で賑わっていた。
ジャケットの内ポケットから懐中時計を取り出したユーリウス、演劇の開演時刻までの時間とデートプランを脳内で組み立て直していた。
(広場での時間が勿体無かったな。クレープはまだいい。リージアといい雰囲気だったのに、まさか暴れ馬に邪魔をされるとは思わなかった)
表情には出さず、内心ギリギリと歯軋りをしていたユーリウスのジャケットの裾を、隣を歩いていたリージアは引っ張る。
「時間に余裕があるのなら、裏通りにあるフルーツを使った石けんのお店へ行ってみたいのですが、いいでしょうかな?」
「石けん? 人気のある店なのか?」
石けんの店の情報は恋愛指南書のデートにお勧め店特集には無かったはずだ。
それ以前に、女子が好む香料のキツイ石けんはアレルゲンとなりかねない。一気にユーリウスの顔色が悪くなった。
「人気というか、香水系は使っていない無添加で果物の香りの石けんなら、ユーリも安心して使えるのではないかと思ったの。大丈夫そうなら、一緒に選んで同じものを使いたいと思って」
「リージア……」
「一緒に」と言った後、恥ずかしそうに笑ったリージアの心遣いが嬉しくて、胸の奥が熱くなっていく。
(そんなにも俺のことを想ってくれていたのか。ああ、照れて笑う顔も可愛い。少し不安そうに見上げてくるのも可愛い! どうしてこんなにもリージアは可愛いのだ!)
此処が外でなければ彼女を両手で抱き締めていた。一人だったら両手で顔を覆って身悶えていただろう。ベッドがあったら飛び乗り、転がりまわっていた。
鼻孔の奥がツンッと痛み出し、治まったはずの鼻血の匂いを感じ、垂れてくる前に片手で鼻を覆いそっと回復魔法をかけた。
店の情報を教えてくれたメイドに書いてもらったという、手書きの地図を斜め掛けバッグから取り出し眉間に皺を寄せて見ているリージアの横から地図を覗き込み、ユーリウスは店までの距離を指でなぞる。
「大通りを行くよりもこの道の方が近いだろう」
地図を見る限り、店までは大通りから一本奥へ入った道から行くのが最短ルートだった。
(なんだ?)
離れた場所から複数の視線を感じ、ユーリウスは周囲を見渡す。護衛は離れてついてきているはずだ。
(不審な動きをする者は護衛が捕らえるはずだ。今はデートに集中しなければ!)
そう判断したユーリウスはリージアから地図を受け取り、彼女と手を繋ぎ直して歩き出した。
大通りから少し離れただけで、妙に薄暗い通りには人の姿は無くなり賑やかな音も全て聞こえなくなる。聞こえるのは二人の足音のみ。
「え、ユーリ、こちらで道は合っていますか? 先ほどから同じ場所を通っている気がします」
「ああ、方向は合っている」
地図では距離があるように思えなかった店までの道のり。
見覚えのある建物と石畳の道はどれだけ歩いても変わらず、周囲は人一人見当たらず全くの無音無臭という状況。
同じ道をループしていると気付かれたと分かったのか、術者が隠す必要はないと判断したのか。
自分達へ向けられた敵意、空気に混じる僅かな魔力を感じ取ったユーリウスは足を止めた。
「方向だけは合っている。途中まで道も合っていた。ただ、店へ向かうのを邪魔されたな」
明らかに敵意を持つ者に妨害、護衛達から切り離す結界に閉じ込められていたと気が付き、ユーリウスは自嘲の笑みを浮かべた。
「俺としたことが、気持ちが浮ついてこんな簡単な罠に引っ掛かるとは」
「罠? これはやっぱり」
「ああ」
デートに浮かれて、リージアに集中し過ぎて警戒心が薄くなっていた。
空間遮断結界は大掛かりな仕掛けが必要だ。発動時の空間の歪みに気が付かないとは、自分が情けなくて笑いが込み上げて来る。
不安げに眉を寄せて警戒するリージアは片手の平に魔力を練り出す。
結界内では時間の流れはどうなるのか不明だが、早々に突破しなければ開演時刻に間に合わない。ユーリウスはリージアと手を繋いで絡ませている自分の指に力を込めた。
「どうやら俺達は、空間を遮断した結界内の閉じ込められたようだ……揃いも揃って邪魔をしやがって!」
ジャケットの内ポケットへ右手を入れたユーリウスは、魔剣の柄を握り締めて不敵に笑った。
デートを邪魔された王子様の怒りが爆発、するかも。




