24.モブ令嬢はヒロインから苦情を言われる
翌日、動けないほどの高熱が嘘だったようにリージアを苦しめた熱は下がった。
心配するメイド達へ説得して登校したリージアに対して、クラスメイト達はよそよそしいというか必要以上気遣ってくれている気がして、一日休んだくらいでどうしたのかと、リージアは首を傾げた。
「皆、どうしたの? 熱は出たけど、もう下がっているし私は元気なのに」
「う、それはね……」
移動教室や休み時間の間、昼食休憩時も周囲を見渡して何かを警戒している友人達に問えば、彼女達は顔を見合わせて口ごもる。
昼食休憩終了間際、椅子に座って廊下を見ていた男子が突然「来たぞ!」と叫んだ。
「あっやばっ、リージア隠れて」
傍に居た友人が慌ててリージアの手を引っ張った時、閉まっていた教室の扉がガラリと音を立てて開いた。
開いた扉から現れたのは、一年生の制服のリボンを付けたシャルロットだった。
普通だったら一年生が三年生の教室へ訪れるということは無い。婚約者がいたとしても上級生の教室へは行かない、ということが暗黙のルールだ。
「リージア先輩はいらっしゃいますか?」
臆することもなく堂々とした態度で教室へ入って来たシャルロットは、友人達に囲まれているリージアの側まで来ると作り笑顔だと分かる笑みを浮かべた。
「お話があります。少し、よろしいでしょうか」
「私に話、ですか?」
戸惑うリージアへ、シャルロットはギラギラとした敵意を秘めた瞳を向ける。彼女の瞳から逃さないという強い意思が感じられ、リージアは口元を引きつらせた。
「話しは直ぐに、授業開始前までには終わります。渡り廊下まで来てくださいますか?」
強い口調から、どうやら話をしないまま教室へ戻る気は無いらしい。渡り廊下という場所を指定されたことが気になり、リージアは首を横に振った。
「お互いに周囲から勘違いされないよう、人の目がある場所でしましょう」
二人きりでないこととホールで話をすることを条件に、リージアはシャルロットと話をすることを了承した。
午後の授業準備のため、ホールに居る生徒は少ないが友人以外の目撃者がいてくれることにリージアは安堵し、設置されたベンチに座る。
ホールへやって来た女子集団の放つただ事ではない雰囲気に驚き、リージアとシャルロットが座ったベンチの近くに居た男子数人は座っていたベンチを立って教室へ向かう。教室から顔をのぞかせたB組の生徒達は、心配そうにホールの様子を窺っていた。
「話とは何でしょうか?」
今日のクラスメイト達の様子から、昨日もシャルロットはクラスへ来たのだろう。そして、リージア不在の教室で強烈な印象を与える言動をしたのだ。
「嫌がらせを止めてください」
「は?」
間髪を入れずに答えたシャルロットの言葉を、理解出来なかったリージアは目を丸くする。
ホールで話し合いをする二人を見守っていた生徒達は動きを止め、近くのベンチに座っている友人達が一斉に息をのむ音が静まり返るホールに響いた。
「ええっと、嫌がらせとはどういう意味でしょうか?」
戸惑うリージアの問いに、シャルロットは眉を吊り上げた。
「聞こえるように女子達が陰口を言ったり、通りすがりに足をかけて転ばそうとしたり、教科書を隠したり、今日は運動用の着替えを泥水で汚されていました。全てリージア先輩の指示なのでしょう?」
「は?」
「昨日だって、ユーリウス様が私に勉強を教えてくれる約束をしていたのに、貴女が熱を出すからそれも無くなってしまった。嫌がらせも酷いけど、熱を出して邪魔するなんて酷いです!」
嫌がらせも発熱も悪意からだと決めつける、シャルロットの主張に唖然となったリージアはポカンと口を開いて固まる。
「あの、シャルロットさん。熱は出したくて出したわけではありませんし、私は貴女への嫌がらせなど指示していませんけど」
「以前、私に嫌がらせをしていた方は退学となったのに、まだ嫌がらせが続くだなんてリージア先輩の指示だとしか考えられません。ユーリウス様が私に優しくしてくださるからって、嫉妬のあまり嫌がらせをするなんて酷いです」
胸元に手を当てて涙を堪えるシャルロットの姿は庇護欲をそそり、これがヒロイン補正だとリージアは感心する。
此処がホールで友人と野次馬の生徒が近くに居てくれて助かった。事情を知らない者が見たら、一方的にリージアがヒロインを虐める悪役に見えるだろうから。
「シャルロットさん、何か勘違いをしていませんか。貴女の勉強をユーリウス様が見ているのは、イザーク殿下からご依頼によるものでしょう。ユーリウス様だけでなく、イザーク殿下とイザベラ殿下も貴女の勉強をみてくださっているのではないでしょうか?」
涙を堪えるために俯いていた顔を上げたシャルロットの表情から、リージアは自分の指摘通りなのだと確信する。
「嫉妬はしていません。私はユーリウス様を信じていますから」
強い魔力と才能を持つ(らしい)とはいえ、貴族でもなくイザベラの侍女見習いであるシャルロットにユーリウスが関わっているのは、国家間で交わされた何らかの事情があるのだろう。
苦しそうに『信じて欲しい』と言ったユーリウスの顔を思い出して、リージアは笑みを浮かべた。
「くっ、余裕ぶっているのは今のうちよ! 貴女が嫌がらせをしているってユーリウス様とイザーク様に言いつけて調べてもらうから!」
態度を一変させたシャルロットの大声がホール中に響き、特別教室へ向かうA組の生徒達が足を止めて注視する。
「貴女ねぇ、黙って聞いていれば好き勝手なことばかり言って失礼だわ。嫌がらせは日頃の立ち振る舞いから受けているだけでしょう?」
「これは、先輩に対する態度ではないわね。嫌がらせをリージアさんの指示だと決めつけるならば、先生方に伝えて学園内にある監視魔道具を調べてもらいましょう」
「貴女が何を言おうと、ユーリウス殿下はリージアさんの味方をされるわ」
足を止めた生徒の中にA組女子をまとめている公爵令嬢がいるのを確認した上で、経緯を分かりやすく言う友人達の意図に内心苦笑いしつつ、リージアはあらためて唇を噛み締めるシャルロットを見詰めた。
やわらかそうな栗色の髪と意志の強そうな空色の瞳、ヒロインだけあってスタイルも抜群で可愛らしい顔立ちをしているのに、彼女の雰囲気は釦を掛け違えているような違和感を周囲に与える。
いつの間にか、特別教室へ移動するA組の令嬢達に遠巻きに見られていることに気が付いたシャルロットは、悔しそうに顔を歪める。
「くっ、それでは失礼します」
この状況は不利だと悟ったシャルロットは、頭を下げることもせずに逃げるように走り去って行った。
「まぁ、何て失礼な方でしょうか。リージア様も大変ですね」
「お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」
息を吐いたリージアを労わるように言葉をかけてきた公爵令嬢へ謝罪し、巻き込んでしまった友人達と遠巻きで見守っていたクラスメイト達へ頭を下げた。
「あの留学生、エリアーヌ様へ挨拶をしないだなんて敵を増やしたわね」
いくら留学生でも、明らかに格上な存在だと分かる容姿と雰囲気を持つ三年A組の学級委員であり、公爵家令嬢であるエリアーヌを無視して走り去るとは豪胆なのか無知なのか。
エリアーヌの取り巻き女子達の鋭い視線から、彼女達に不快感を抱かせたのは明白で自業自得とはいえ、今後、シャルロットの学校生活は窮屈なものとなるだろう。
「リージアさんを嫌がらせの犯人に決めつけるだなんて! あまりにも失礼だわ。先生に言いましょう」
「いえ、その前にイザーク殿下かイザベラ様じゃない?」
「みんな落ち着いて。先ずは生徒指導のジョージ先生に相談してみるね」
憤慨する友人達を諫めつつ、リージアはシャルロットから感じた違和感の正体は何かを考えていた。
シャルロットがヒロインだと知った当初は、目上の者への丁寧な口調や平民として培った強さと明るい性格から正統派ヒロインなのだと思っていたが、先程の苛烈な言動と可憐な容姿を裏切るきつい表情を見てしまうと、彼女はメリルと同じような残念ヒロインの可能性が高い。
「あの香り……」
やはり、彼女から香った甘い香りはどこかで嗅いだことがある気がした。とても大事なことなのに、どこで嗅いだのかが思い出せない。
「大丈夫?」
黙ってしまったリージアを心配した友人が声をかける。
「嫌がらせの犯人と決めつけられて驚いたけど、皆が近くに居てくれたから大丈夫。ありがとう」
もしも、シャルロットの言う通り渡り廊下へ移動して二人きりで話していたら、何らかの恋愛イベントが発生してリージアが悪役にされていたかもしれない。
心配してくれた友人達とクラスメイト達には感謝しかなかった。
「でもユーリウス殿下は、あの一年生の事どうされるおつもりかしら?」
「そうね、お会いしたら訊いてみるわ」
何らかな強制力が働いているにしても、ユーリウスはシャルロットに惹かれてとは思えない。とはいえ、「忙しい」を理由にして会う時間を減らしている彼が今何を考えているのかは、きちんと話をする必要があった。
今回は王子様不在でした。




