第4話:暴走ロボと外交官たち
その夜、私は自室の机で、モチモノの基板を取り出した。
原因は、はっきりしている。タグの読み取り範囲と、学習対象の無制限設定。それから通知先の指定を、『家全体』にしたこと。これは私のミスだ。
修正は、三十分で終わった。
学習対象は、『父のタグ』のみ。他の人のものは、本人が登録しない限り見ない。通知先は登録した本人にだけ。声は半分の音量。
作業を終えて、モチモノを玄関に戻そうとしたところで、手が止まった。
もう一つ、残っている。
母の頼みだ。
位置情報は論外。でも吸入器の確認だけなら。
私は設計図の余白に、短く書いた。
『リヴィ用:玄関通過時、「吸入器、ありますか?」と一回だけ尋ねる。位置情報の記録なし』
しばらく眺めて、消しゴムを手に取りかけて、やめた。
これくらいなら、いいか。
母がいちばん心配しているのは、位置じゃなくて、私が苦しくなったときに、すぐ薬が使えるかどうか、だ。だったら、玄関で一言、聞かれるくらい、安いものだ。
翌朝、私は母にこの案を伝えた。
「吸入器の確認だけ。位置は見ない」
「……それで、いいの?」
「それなら、いい」
母は、しばらく考えてから小さく頷いた。
「ありがとう、リヴィ。ママ、ちょっと心配しすぎてたわね」
「ちょっとじゃない」
「あら」
「でも嫌いじゃない」
母は、ぱっと顔を明るくして、私を抱きしめた。身長百五十センチの私の頭は、母の胸あたりにぎゅっと押しつけられる。苦しい。でも動かなかった。
「ほら、ママ、水飲んでるでしょう?」
「うん。ちゃんと見てる」
「ふふ。リヴィのロボットは、優秀ね」
その優秀なロボットが、玄関の下駄箱の上で、『エマ様、本日の水分、八百ミリリットルです。順調です』と、小さく声を出した。母は、くすぐったそうに笑った。
一件落着、のはずだった。
その二日後、父の出張先から、メッセージが届いた。
『リヴィ。モチモノくんを持って行った。素晴らしいよ! 三日間、一度も忘れ物をしなかった』
ここまでは、良かった。
続けて、写真が一枚、送られてきた。
ホテルのロビーのような場所で、スーツ姿の男性が五人ほど、テーブルを囲んでいる。その中央に、卵形のロボが、ちょこんと座っていた。全員の視線が、モチモノに注がれている。
『同僚が気に入ったらしい。さっき次官補が触っていた』
さらに、もう一通。
『「これ、どこで買えるんですか」と、五人から聞かれた。パパは娘が作ったとだけ答えた。そうしたら全員が黙った』
「パパが……」
リアムが、私の肩越しにスマホを覗き込んで、目を見開いていた。
「うちの親父、出張先でリヴィの発明を見せびらかしてる」
「やめて。見せびらかさないで」
「でも、これは、ちょっと嬉しいな」
「嬉しくない」
私は頭を抱えた。
家の中の小さな自己満足のはずだった。誰にも見せるつもりはなかった。それが国をまたいで、外交官たちの視線を集めている。しかも、父の口から。
『リヴィ。パパ、誇らしいよ』
最後の一通に、私は返事を書けなかった。
夜、自室の机で私は、モチモノの設計図をもう一度眺めた。
(余計な機能を、つけなければよかった)
ほんの少し本気でそう思った。ついで、が多すぎた。学習範囲も通知先も、もっと絞っておくべきだった。そうすれば家は騒がなかったし、父の同僚も、モチモノに興味を持たなかった。
ため息をついて、ノートを閉じた。
それで、反省はおしまいだった。
翌朝。
午前六時、私は自室の机で、はんだごてを握っていた。チッ、と、錫の溶ける小さな音が、静かな部屋に響く。
モチモノの底面を開けて、新しい基板を、ひとつ組み込んでいる最中だった。
「……天気予報と連動させれば、傘の持ち忘れも、防げる」
口に出してから、手が止まった。
昨夜、反省したばかりだ。余計な機能は、つけない。そう決めたはずだった。
でも、父は出張先で雨に降られたと言っていた。傘を持っていなかったと。
それは、モチモノが、まだ知らなかった世界の話だ。
だったら、知るべきだ。
「……これは、必要な機能」
自分に言い聞かせるように、そう呟く。
その横で、モチモノが、ぱちぱちと目を瞬かせた。
私は基板をはめて、カバーを閉じた。
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