第36話 借りる
グリットの通信先に、瀬川拓海の名前が表示されていた。
レンは自分の画面を確認する。
担当ヒーロー――ブレイクハンマー。
表示は変わらない。
「本当に交換するんだ」
隣の管制席で瀬川が椅子を引いた。
「さっき見ただろ」
「見るのとやるのは違うでしょ」
「俺だって嫌だよ。グリット難しそうだし」
レンはそちらを見た。
「難しくないですよ」
瀬川も見る。
「お前が言うと説得力ないな」
訓練開始まで三分。
仮想空間ではグリットとブレイクハンマーが、先ほどと同じ道路に立っている。
勝利条件も同じだった。
三分間の対人戦。
戦闘継続値による判定。
違うのは、指示を出す人間だけだ。
レンは通信を開いた。
「ブレイクハンマー、聞こえます?」
『聞こえる』
太い声が返ってきた。
「指示、どれくらい前がいいです?」
『何がだ?』
レンは少し考えた。
ガイなら〇・五秒で通じる。
それをそのまま口にしかけてやめた。
「攻撃する場所とか、避ける方向とか。瀬川さんはどのくらい前に言います?」
『一手前だな』
時間ではなかった。
レンは瀬川を見る。
瀬川は自分の画面を見たままだった。
「一手前」
レンは小さく繰り返した。
『細かいのは直前でもいい。けど、動き始めてから変えられるとやりにくい』
「分かりました」
ガイとは違う。
当たり前のことなのに、最初に確認しないと分からなかった。
開始音が鳴った。
ブレイクハンマーが前へ出る。
グリットは動かない。
瀬川の指示が共有回線へ流れた。
『グリット、最初は受けるな。距離を見たい』
『分かった』
レンの指が止まる。
受けない。
その指示自体は間違っていない。
だが、グリットは受けなければ始まらない。
ブレイクハンマーが踏み込む。
レンは一手前を意識した。
「左から入って、右を二発。二発目は浅く」
『了解』
ブレイクハンマーの左足が前へ出る。
真っすぐだった。
右拳。
グリットが避ける。
二発目も身体を引いて外した。
瀬川の指示が来る。
『次は一発受ける。胴で』
『分かった』
レンはブレイクハンマーの拳を見る。
「次、正面。一発だけ強く」
『了解』
踏み込み。
拳がグリットの胸へ入った。
戦闘継続値が下がる。
グリットの身体に蓄積が入ったことは、動きだけでも分かった。
足がわずかに重くなる。
肩が落ちる。
レンが何度も見てきた状態だった。
瀬川も次の指示を出す。
『グリット、詰めろ。返せ』
グリットが前へ出た。
「ブレイクハンマー、下がって」
『え?』
一拍遅れた。
ガイならもう下がっている。
ブレイクハンマーは拳を構えたままだった。
「下がってください!」
今度は動いた。
グリットの左拳が空を切る。
それでも距離が近い。
「右――」
『どっちだ!』
レンは口を閉じた。
右へ避けるのか。
右を打つのか。
自分では分かっていた。
相手には分からない。
ブレイクハンマーが自分で左へ避けた。
グリットの二撃目を肩で受ける。
継続値が削れた。
瀬川が笑う声が回線の向こうから聞こえた。
『天城、雑だぞ』
「そっち見ててください」
『見てるよ』
レンは息を吐いた。
ブレイクハンマーが距離を取り直す。
レンは指示を出さなかった。
画面を見る。
左足は直っている。
踏み込みも小さくなった。
前回見た欠点を探しても意味がない。
それより今、レンの指示で動きが遅れた。
原因はブレイクハンマーではない。
「次、俺が方向だけ言います。攻撃の種類は任せていいです?」
『そっちの方がやりやすい』
返事は早かった。
レンは少し眉を寄せた。
最初から聞けばよかった。
「じゃあ、それで」
グリットが来る。
蓄積が残っている。
「離れて。まだ打たない」
『了解』
今度はすぐ動いた。
ブレイクハンマーが大きく距離を取る。
グリットが追う。
瀬川の声が飛ぶ。
『詰めろ。左から』
レンは待った。
ブレイクハンマーにも追わせない。
攻撃させない。
距離だけを維持する。
『天城』
ブレイクハンマーから声が来た。
「何です?」
『打たなくていいのか』
「まだです」
『分かった』
不満そうだった。
それでも従う。
グリットの踏み込みが少し軽くなった。
蓄積が減っている。
あの力は持ち続けられない。
瀬川も気づいた。
『グリット、もう一発もらえるか』
『できる』
レンは先に言う。
「ブレイクハンマー、打たないで」
『は?』
「避けてください」
グリットが距離を詰める。
ブレイクハンマーは拳を構えたが、出さなかった。
グリットが誘うように正面を空ける。
それでも打たせない。
瀬川の声が少し低くなる。
『グリット、自分から行け』
『分かった』
グリットが攻める。
蓄積が減った状態では、一撃の重さも先ほどほどではない。
ブレイクハンマーが腕で受け、横へ逃げる。
レンは画面を見続けた。
ガイが一番嫌がる形を、自分は知っている。
受けさせてもらえない。
溜めても使う前に離れられる。
長引けば、先に身体だけが重くなる。
自分がずっと消そうとしてきた無駄だった。
残り一分。
グリットの継続値がわずかに下。
ブレイクハンマーも二度削られている。
ほとんど差はない。
瀬川が仕掛けた。
『グリット、正面。次は受けていい』
レンはブレイクハンマーへ伝える。
「正面から行って」
『打つなって言っただろ』
「今度は打っていいです。ただし、一発目は軽く」
『了解』
ブレイクハンマーが走る。
一発目。
グリットが胸で受けた。
蓄積が入る。
瀬川の指示。
『そのまま返せ』
レンはブレイクハンマーを見た。
最初の試合で、瀬川は一手前に指示を出していた。
ブレイクハンマーは、その指示に慣れている。
なら、レンも同じでいい。
「次の一発を避けたら、左から入ってください。あとは任せます」
『了解』
グリットが踏み込む。
蓄積を乗せた左。
ブレイクハンマーが身体を引いた。
拳が胸元を抜ける。
そのまま左へ回る。
レンは何も言わなかった。
ブレイクハンマー自身が足を置く。
腰を落とす。
右拳が入った。
グリットの脇腹。
大きく数値が落ちる。
終了音が鳴った。
判定表示が出る。
ブレイクハンマー側。
勝利。
レンは画面を見たまま瞬きをした。
隣から瀬川の声がする。
「それ反則だろ」
「何がです?」
「グリットの嫌なこと知りすぎ」
レンは否定しなかった。
逆の立場なら、自分もそう思う。
訓練後、二人のヒーローが戻ってきた。
ブレイクハンマーはタオルで首を拭きながら、最初に瀬川のところへ行った。
「やっぱ瀬川の方が楽だな」
「だろ?」
「天城、途中まで何言ってるか分かんなかったぞ」
レンは椅子に座ったまま答える。
「途中から分かったでしょ」
「途中からはな」
瀬川が笑った。
その横をガイが通る。
右肩を一度回してから、レンの机の前で止まった。
「天城」
「何です」
「俺とやる時より楽しそうだったな」
レンはガイを見る。
表情はいつもと変わらない。
「二回くらい指示ミスりましたけど」
「俺にはあんなに聞かんだろ」
「何をです?」
「どう指示したら動きやすいか」
レンは答えようとして止まった。
ガイとは最初から、聞かずに決めてきた。
〇・八。
〇・六。
〇・四。
〇・五。
全部、ログを見てレンが決めた数字だった。
本人に聞いたことはない。
「……今さら聞きます?」
ガイは少し考えた。
「別に」
それだけ言って離れていく。
レンは通信設定を戻した。
担当ヒーローの欄からブレイクハンマーが消える。
代わりに、いつもの名前が戻った。
グリット。
レンはしばらく、その表示を見ていた。




