第35話 直したところ
ブレイクハンマーの左足は、もう開かなかった。
合同訓練施設の管制席で、レンは開始前の映像を見直した。
仮想空間の中には二人のヒーローが立っている。
グリット。
ブレイクハンマー。
どちらも本人だった。
身体の動きだけを仮想空間へ反映し、建物と道路だけが訓練用に作られている。
レンの隣の区画には瀬川拓海が座っていた。
以前の研修で一緒になったDランク指揮者だ。
「久しぶり」
瀬川が言った。
「そんな経ってないですよ」
「そうだっけ」
レンは返事をやめた。
画面の中でブレイクハンマーが踏み込む。
まだ試合前の動作確認だ。
右足。
左足。
腰を落として拳を振る。
左足のつま先は正面を向いていた。
前にあった癖が消えている。
「直したんですね」
瀬川が笑う。
「見つけられたまま放っとく理由ないだろ」
それはそうだった。
レンは画面へ戻る。
自分が見つけた。
瀬川が直した。
それだけの話なのに、少し面倒だった。
「天城」
通信からガイの声が入った。
まだ開始前なので、レンは普通に返す。
「何です、ガイさん」
『右肩は使わんぞ』
「言う前に言わないでください」
『何度も言うからだ』
訓練でも怪我が消えるわけではない。
仮想空間で受けた攻撃そのものは身体を壊さないが、実際に身体を動かしている以上、無理な捻りや転倒まではなくならない。
レンは右肩の可動値を確認した。
問題なし。
訓練開始の表示が出た。
呼び方を変える。
「グリット。始めます」
『分かった』
勝利条件は単純だった。
三分以内に相手の戦闘継続値を規定値以下まで落とす。
時間切れなら残存値で判定する。
仮想空間だからこそ、普段なら試せない正面衝突ができる。
開始音が鳴った。
ブレイクハンマーが先に動いた。
速い。
レンは左足を見る。
開かない。
腰も流れない。
それでも昔の癖が完全に消えたとは限らない。
圧力がかかったとき。
踏み込みが深くなったとき。
意識が拳へ寄ったとき。
戻る可能性はある。
「グリット、正面。まだ受けない」
『分かった』
ブレイクハンマーの右拳が来る。
ガイが身体をずらす。
拳が胸元を通過した。
二発目。
左。
これも避ける。
瀬川の声が別回線で飛ぶ。
『ブレイクハンマー、半歩詰めろ。右』
指示の直後、踏み込みが変わった。
半歩。
レンが距離を見る。
近い。
「グリット、左――」
言い終わる前に拳が入った。
ガイの身体が後ろへ押される。
戦闘継続値が落ちた。
同時に蓄積表示が上がる。
受けられる打撃だった。
それでもレンは舌を打った。
遅かった。
ブレイクハンマーが追ってくる。
以前より踏み込みが小さい。
だから腰が開かない。
大振りもしない。
瀬川が直したのは左足だけではなかった。
「グリット、距離取って」
『分かった』
ガイが下がる。
ブレイクハンマーが止まらない。
レンは足を見る。
肩を見る。
次の拳。
その次。
瀬川の指示。
情報が重なる。
どれを先に見るべきか決めている間に、もう一発が来た。
ガイは自分で避けた。
「……」
レンは口を閉じる。
黙ったままでもガイは戦う。
それは分かっている。
『天城』
瀬川ではない。
ガイだった。
「何です」
『見るなら早くしろ』
「分かってます」
ブレイクハンマーが左から回る。
レンはまた足を見そうになって、やめた。
もう直っている。
今、探すべきなのは昔の欠点ではない。
拳が一発。
ガイは避けた。
もう一発。
今度は受ける。
蓄積が増える。
ブレイクハンマーの攻撃力は高い。
ガイにとって、相性だけを見れば悪くない。
面で受けられる打撃が来る。
だが、無制限に受けていいわけではない。
仮想判定でも戦闘継続値は減っている。
先に規定値を割れば負ける。
瀬川もそれを知っていた。
『ブレイクハンマー、腹を狙え。肩は要らない』
レンは顔を上げた。
右肩の負傷を避けた。
訓練だから気を遣ったわけではない。
肩へ当ててガイの姿勢を崩すより、胴へ打撃を集中させて継続値を削る方が早い。
たぶん、そう判断した。
「グリット、二発まで」
『何がだ』
「受けていいの、あと二発」
『分かった』
一発。
胸。
蓄積が上がる。
二発目。
腹。
ガイの身体が下がる。
十分だった。
「次から全部避けて」
『分かった』
レンは蓄積表示を閉じた。
もう見る必要はない。
相手の足も閉じる。
右肩の表示だけ残した。
見るものを減らす。
ブレイクハンマー。
ガイ。
瀬川の指示。
それだけ。
残り一分を切った。
残存値はブレイクハンマーが上。
このままなら負ける。
ガイには蓄積がある。
だが当てられなければ意味がない。
ブレイクハンマーは近距離型なのに、ガイの右側へ回り込まない。
真正面から入り、左へ抜ける。
ずっと同じだった。
右肩を警戒している。
違う。
レンは画面へ顔を近づけた。
右肩を狙わないよう瀬川が指示している。
だから進路も偏っている。
怪我を避けるための制限。
それが動きを決めていた。
「グリット」
『何だ』
「右、空けて」
一瞬だけ間があった。
『右肩だぞ』
「知ってます。殴らせるんじゃないです」
『分かった』
ガイが右側を広く空ける。
ブレイクハンマーは入らない。
左へ回る。
やっぱり。
瀬川の声。
『そのまま左。正面へ戻せ』
レンは聞いた。
ブレイクハンマーが戻る。
次も。
同じ。
「グリット、もう一回右を空けて」
ガイが動く。
相手は左へ来る。
レンは距離を見た。
今度は分かる。
「次、左から入ります」
『分かった』
ブレイクハンマーが踏み込む。
ガイは待った。
拳が振られる直前。
「今」
ガイが半歩だけ中へ入る。
拳の外側。
ブレイクハンマーの身体が前へ流れた。
ガイの左手が相手の腕を押す。
右肩は使わない。
腰を回し、蓄積を脚へ乗せる。
踏み込んだ。
肩ではない。
身体ごと押す。
ブレイクハンマーの巨体が後ろへずれた。
そこへ左拳。
蓄積が一気に減る。
戦闘継続値が落ちた。
終了音が鳴った。
レンは数値を見る。
ゼロではない。
ブレイクハンマーも立っている。
グリットも。
時間切れだった。
判定が出る。
瀬川・ブレイクハンマー組。
勝利。
レンは椅子へ背を預けた。
「負けた」
隣から瀬川の声がする。
「危なかったけどな」
画面の向こうでは、ガイが首を回している。
仮想空間が解除され、灰色の訓練室へ戻った。
講評で最初に表示されたのは勝敗ではなかった。
レン側の指示数。
前半と後半で、大きく違う。
後半は半分近くまで減っていた。
その横に評価が付く。
個体観察、良好。
状況更新への追従、不十分。
情報選択、改善。
レンは最後の項目を見る。
「また不十分ある」
瀬川が横から言った。
「負けたんだからあるだろ」
「そっちもありますよ」
「見るなよ」
レンは瀬川の評価票から目を離した。
ガイが戻ってきた。
防具を外しながら、レンの横へ立つ。
「負けたな」
「分かってます」
「左足ばっか見てたからだ」
レンは顔を上げた。
「見えてたんですか」
「前にそれで騒いでただろ」
「覚えてたんだ」
「一緒に戦ったやつは覚えてる」
ガイはそれだけ言って、防具を脇へ置いた。
レンはもう一度、試合開始直後の映像を見る。
ブレイクハンマーの左足。
真っすぐだった。
以前そこにあった欠点は、もうない。
レンが見つけたから消えた。
次に会った相手が、前と同じとは限らない。
それはヴィランにも、ヒーローにも言える。
映像の右下に、次の訓練条件が追加された。
再戦。
ただし担当指揮者を交換する。
レンは二秒ほど画面を見た。
「……は?」
隣で瀬川が笑った。




