第31話 捨てる
単独指揮と書かれた予定表を、レンは翌朝になっても納得できずにいた。
昨日までの追加課程では、自分で確認しなくても入ってくる情報まで見直す必要はない、と教えられたばかりだった。
桐生が避難経路を見る。瀬川がブレイクハンマーを見る。藤崎がラインバインドを見る。
それぞれが拾った情報を共有すれば、レンはグリットを見る時間を確保できる。
その翌日に、一人でやれと言われた。
「やっぱ性格悪いだろ」
研修担当者は聞こえていたはずだが、反応しなかった。
レンの前には四面のモニターがある。
普段、第九分署で使っている管制卓と同じ数だった。
違うのは、今日の課題が模擬ではないことだった。
「実地案件を担当してもらいます。ただし、危険度が規定を超えた場合はこちらで介入します」
「グリットは?」
「現場で待機しています」
画面を切り替えると、道路脇に立つグリットが映った。
右肩にはまだ七針縫った傷が残っている。昨日の合同任務で悪化はしていないが、完治したわけでもない。
レンは生体情報を開いた。
異常なし。
次に案件情報を見る。
区分D。
商業倉庫への侵入と器物損壊。通報時点で民間人は避難済み。ヴィランは一人で、特殊な能力は確認されていない。
区分だけを見れば、珍しい案件ではなかった。
レンは地図を開く。
倉庫は二階建てで、正面と搬入口の二か所に出入口がある。周囲には別の倉庫が並び、裏手には細い道路が通っていた。
「始めてください」
研修担当者の声がした。
レンは通信を開いた。
「グリット、聞こえます?」
『聞こえる』
「正面から入って。右肩は使わないでください」
『分かった』
グリットが歩き始めた。
最初の一分は問題なかった。
正面入口までの経路を確認し、警察から届く現場情報を読む。
避難完了。
周辺封鎖済み。
ヴィランは倉庫一階にいる。
レンはグリットの映像へ戻った。
入口を抜ける。
倉庫内には棚が並び、積まれた資材が視界を遮っている。
グリットが足を止めた。
「何か見えます?」
『いない』
レンは配置図を見る。
倉庫の奥まで直線で四十メートルほどある。
左右に棚が六列。
死角が多い。
レンは監視カメラへ接続しようとした。
利用可能な映像が三つ表示される。
一つ目を開く。
何もいない。
二つ目。
倒れた資材だけが映っている。
三つ目へ移ろうとしたところで、グリットの映像の端に何かが動いた。
レンは監視カメラを閉じた。
「右、棚の奥」
グリットが向きを変える。
男が飛び出した。
右手に金属製の棒を持っている。
振り下ろす。
グリットは半歩だけ下がった。
棒が床を叩く。
「受けないで」
『分かった』
ヴィランがもう一度振る。
今度は横。
グリットは身体を引いて避けた。
レンは相手の足を見る。
特別速くはない。
構えも素人に近い。
右手で棒を振るたび、左足が前へ出る。
次も同じなら読める。
そのとき、別のモニターに通知が出た。
警察からの情報更新。
レンは一瞬だけそちらを見る。
倉庫裏手で物音。
侵入者が複数いる可能性あり。
レンの指が止まった。
目の前にはヴィランがいる。
裏手にも何かいる。
監視カメラも確認していない。
昨日なら、誰かが一つを見ていた。
今日は誰もいない。
グリットの映像で金属棒が動く。
レンはそちらへ戻った。
「左へ」
グリットが避ける。
棒が棚へ当たり、積まれていた箱が崩れた。
ヴィランが体勢を崩す。
今なら入れる。
レンは口を開きかけた。
裏手の情報が残っている。
確認してからにするか。
その数秒でヴィランが立て直した。
機会が消えた。
レンは奥歯を噛んだ。
画面を全部見る。
それをやれば、また同じになる。
昨日の記録が頭に残っていた。
一人を見ている間に、二つ落とした。
今は共有してくれる指揮者もいない。
だったら、見るものを減らすしかない。
レンは警察からの通知を開いた。
裏手の物音。
映像なし。
人影の確認もなし。
緊急性は不明。
レンはその通知を保留へ送った。
次に監視カメラ三つのうち、グリットから最も遠い一台を閉じる。
残り二つ。
案件地図も縮小した。
四面すべてへ情報を広げるのをやめた。
研修担当者が何かを書き込んでいる。
レンは見なかった。
「グリット、もう一回右から振らせて」
『分かった』
グリットがわずかに前へ出る。
ヴィランが反応した。
金属棒を右から振る。
左足が前へ出る。
やはり同じだった。
「今」
グリットが踏み込む。
棒を振り切った相手の左側へ入り、左腕で手首を押さえた。
右肩は使わない。
ヴィランが棒を離す。
床に金属音が響いた。
グリットは相手の身体を壁側へ押し、逃げ道を塞いだ。
「そのまま」
『分かった』
レンは警察へ確保要請を送った。
数秒後、進入開始の表示が出る。
ここまでは終わった。
問題は裏手だった。
レンは保留にしていた通知を開いた。
警察から追加情報が届いている。
物音の発生源を確認。
人影なし。
風で倒れた空の資材箱だった。
レンは画面を見たまま息を吐いた。
結果として、捨ててよかった情報だった。
ただし、最初からそう分かっていたわけではない。
もし人がいたら。
その先を考えようとして、やめた。
今の自分には確認する時間がなかった。
だから後回しにした。
それだけだった。
警察がヴィランを拘束する。
案件終了の表示が出た。
レンは椅子へ背を預けた。
研修担当者はすぐに評価を出さなかった。
最初に表示されたのは、レンが保留へ送った通知だった。
「この判断について説明してください」
「見てる暇なかったんで」
「危険性をどう評価しました?」
レンは通知を開く。
裏手で物音。
人影なし。
映像なし。
「分かりません」
担当者が顔を上げた。
「分からないから捨てた?」
「後回しです。捨ててないです」
レンは履歴を指した。
ヴィランを確保したあと、最初に開いている。
完全に無視したわけではない。
今すぐ見るか、あとで見るかを決めただけだった。
担当者は次に、閉じた監視カメラを表示した。
「こちらは?」
「グリットから一番遠かったからです」
「そこから別の対象が入ってくる可能性は?」
「あります」
「では、なぜ閉じたんですか」
レンは少し黙った。
可能性だけなら、全部にある。
裏口から人が来るかもしれない。棚の陰に二人目がいるかもしれない。天井から何か落ちるかもしれない。
全部を確認しようとして、昨日まで失敗していた。
「見られないからです」
レンは答えた。
担当者は何も言わなかった。
「四面あっても、俺が一回に見られるのは一個なんで。全部開けとくと、途中で別のやつ見ます」
自分で言ってから、昨日の模擬指揮を思い出した。
右脚を見る。
救援要請を見る。
装備残量を見る。
通信を見る。
その間に別の表示が赤くなった。
画面が足りなかったわけではない。
むしろ、全部見ようとした。
「だから、今いらないのを閉じました」
研修担当者が記録へ入力する。
レンは評価が出るのを待った。
結果は合格ではなかった。
総合評価の横には、要継続訓練と表示されている。
複数対象監視も、不十分のままだった。
レンは少し眉を寄せた。
「失敗してないですけど」
「今回は」
担当者は記録を開いた。
「保留した情報が偶然、緊急性のないものでした。判断の方向は間違っていませんが、優先順位の精度が足りません」
「じゃあ何点です?」
「点数が気になりますか」
「ランクに関係するなら」
担当者は少しだけ間を置いた。
「今回の追加課程そのものに昇級加算はありません」
レンは椅子へ深く座った。
先に言ってほしかった。
それでも評価表を閉じる気にはならなかった。
昨日まで「全部見られない」は失敗でしかなかった。
今日は、見ないものを自分で決めた。
正しかったかどうかは、まだ別だった。
第九分署へ戻ると、ガイは管制室にいなかった。
机の上には紙の地図だけが残っている。
レンが端末を置いたところで、廊下から足音がした。
ガイが自動販売機の缶を一本持って戻ってくる。
右手ではなく左手だった。
「ガイさん」
「何だ」
レンは一瞬、今日の研修について話そうかと思った。
やめた。
代わりに、ガイが持っている缶を見る。
「肩、まだ痛いんですか」
ガイは右肩を少し動かした。
「別に」
「じゃあ何で左で持ってんです?」
ガイは缶を見た。
それから右手へ持ち替える。
動きが一度だけ止まった。
レンはそこを見ていた。
「痛いじゃないですか」
「動く」
「聞いてないです」
ガイは答えず、自分の席へ座った。
レンもそれ以上は聞かなかった。
端末へ目を戻す。
画面には今日の評価が残っている。
要継続訓練。
その下に、新しい通知が一件届いた。
次回課程。
補助指揮者との共同管制。
レンは折り畳まれたままの椅子を見た。
第二席は、まだ空いていた。




