第28話 4人
午前八時、本部の合同管制室には四つの席が並んでいた。
前日の研修室とは違い、壁一面の大型画面には市内の地図が映っている。各席にも専用のモニターがあり、すでに現場映像への接続準備が始まっていた。
レンは一番端の席へ座った。
隣から順に桐生、瀬川、藤崎が入る。
昨日までは映像の中にしかいなかった《レイヴン》《ブレイクハンマー》《ラインバインド》も、今日はそれぞれの指揮者の先にいる。
そしてレンの担当は《グリット》だった。
「合同課程って、模擬じゃないんですか」
レンが尋ねると、研修担当者は地図を拡大した。
「実地です。ただし三名は天城さんと同じ研修を受ける立場ではありません。比較と補助のために参加してもらいます」
桐生が自分の端末を立ち上げる。
「つまり、今日はこいつを見るのが仕事か」
「そういう言い方やめてもらえます?」
瀬川が笑い、藤崎は自分の画面だけを確認していた。
レンもモニターを起動する。
四面。
いつもの第九分署と同じ数だった。
桐生たちの席には自分より多くの情報欄が出ている。ランクによる権限差まで研修用に消してはいないらしい。
レンはそちらを見ないことにした。
見ても増えない。
壁面の情報欄が更新された。
倉庫街でのヴィラン事案。危険度はD級。通報時点で負傷者は確認されていない。
画面の隅では別のニュース字幕が流れ、所在確認の取れていない引退ヒーローについて短く報じたあと、事故情報へ切り替わった。
合同管制室に出動音が鳴った。
レンはヘッドセットを着ける。
現場は倉庫街の外れだった。
休日で人通りは少ないが、完全な無人ではない。道路脇に配送車が停まり、倉庫の作業員が警察の誘導で区域外へ移動している。
中央の道路に男が一人立っていた。
上着の右袖だけが大きく裂けている。
露出した右腕は、映像越しでも左右で太さが違った。
《レイヴン》が先に屋根へ上がる。
《ブレイクハンマー》は正面。
《ラインバインド》が右側から回り、《グリット》は少し遅れて道路へ入った。
四人。
レンは自分の画面に映る人数を確認した。
昨日までは、一人ずつなら見えた。
今日はそれが同じ現場にいる。
『レイヴン、上から避難経路を確認』
桐生の指示に、《レイヴン》がすぐ動いた。
レンは一瞬そちらを見る。
昨日の映像と同じだった。
指示から動作までが短い。
『ブレイクハンマー、正面維持。踏み込みを深くしすぎるな』
瀬川の声が続く。
《ブレイクハンマー》が左足の向きをわずかに修正した。
昨日レンが指摘した部分だった。
その変化を見ようとしたとき、自分の画面でガイが止まった。
レンは慌てて視線を戻す。
ヴィランとの距離は十二メートル。
ガイの右肩はまだ万全ではない。
「グリット、右から。正面はブレイクハンマーに任せて」
『分かった』
ガイが歩く。
走らない。
それでいい。
肩を七針縫った状態で、最初から速度を使う必要はない。
ヴィランが先に動いた。
《ブレイクハンマー》へ踏み込み、左拳を振るう。
受けた瞬間、鈍い音がマイクへ入った。
ブレイクハンマーの身体が半歩下がる。
ヴィランの右腕が少し太くなったように見えた。
レンは映像を止められない。
実地では時間が進む。
確認するために巻き戻せば、その間に別のことが起こる。
『右腕、変化あり』
桐生の声が入った。
レンは桐生の画面を見ようとして、途中でやめた。
自分にも見えている。
それよりガイを見る。
ヴィランがもう一度ブレイクハンマーへ向かった。
瀬川が指示を飛ばす。
『左足、開くな。そのまま前』
ブレイクハンマーの踏み込みが変わった。
昨日より拳の軌道が内側へ入る。
命中した。
ヴィランが道路を滑る。
その右腕が、また変わった。
今度ははっきり見えた。
太くなっている。
レンは条件を探そうとした。
殴ったからか。
殴られたからか。
能力なのか。
その間にラインバインドが接近していた。
『残弾は接敵前に確認済み。今は前だけ見て』
藤崎の指示だった。
ラインバインドは右腰を見ない。
ヴィランの足元へ二本のワイヤーを射出する。
一つが右足へ絡んだ。
もう一つは外れた。
ヴィランが腕を振る。
レンの視線がそちらへ吸われた。
ワイヤーを巻き取るラインバインド。
踏ん張るブレイクハンマー。
上から位置を変えるレイヴン。
見たいところが増える。
レンは三人を順番に確認した。
その数秒で、ガイを見失った。
胸の奥が一度だけ詰まった。
視線を戻す。
ガイは道路の左側へ移動していた。
距離は八メートル。
いつ動いた。
レンは自分が見ていなかった時間を頭の中で戻そうとしたが、現場は待たない。
『天城』
桐生の声だった。
「はい」
『グリット、左に出すぎてないか』
レンは画面を見る。
違う。
出すぎていない。
ガイはヴィランではなく、その後ろを見ている。
配送車の陰に作業員が一人残っていた。
警察の誘導から外れたらしい。
レンはすぐに地図を開いた。
避難区域。
作業員。
ガイ。
そこまで確認してから、指示を出す。
「グリット、その位置でいい。左を塞いで」
『分かった』
ガイは理由を聞かなかった。
ヴィランの右腕が持ち上がる。
狙いはラインバインドだった。
ワイヤーで右脚を取られたまま、身体ごと腕を振ろうとしている。
藤崎が声を上げた。
『ラインバインド、離れろ』
ラインバインドが後ろへ踏み込む。
その直前、右腰へ視線が落ちた。
昨日と同じだった。
残弾表示。
藤崎が止めさせていた癖が、圧力のかかった場面で戻った。
動き出しが遅れる。
ヴィランの腕が来る。
レンは距離を見る。
ラインバインドまで五メートル。
ガイまで七メートル弱。
ガイの右足の位置。
重心。
肩。
今なら間に合う。
「グリット、ラインバインドの前。七メートル、〇・五」
『分かった』
レンが合図を送る。
〇・五秒。
ガイが動いた。
ヴィランの腕が横へ振られる直前、グリットがラインバインドとの間へ入る。
右肩では受けなかった。
身体を半身にし、左腕で軌道を外へ流す。
衝撃でガイの靴が道路を滑った。
レンの手がマウスの上で止まる。
右肩。
ガイは右腕を下げている。
傷を使っていない。
「グリット、肩」
『平気だ』
短い返事が来た。
レンは息を戻した。
ラインバインドが距離を取る。
『……助かった』
無線に声が入った。
レンは返事をしなかった。
目の前のヴィランがまだ立っている。
桐生が全体へ指示を出す。
『レイヴン、作業員を区域外へ。ブレイクハンマーは正面を維持。ラインバインドは距離を取って拘束を続けろ』
三人が動く。
今度はレンも全部を追おうとした。
レイヴンが屋根から降りる。
ブレイクハンマーが左足を置く。
ラインバインドがワイヤーを射出する。
すぐに視界が忙しくなった。
レンは一度瞬きをした。
違う。
全部を見る必要はない。
少なくとも、自分の担当は一人だ。
ガイを見る。
呼吸は乱れていない。
右肩も上げていない。
ヴィランとの距離はまた広がっている。
レンがそこへ意識を戻すと、さっきまで重なっていた情報の音が少し減った。
実際に減ったわけではない。
自分が見る場所を一つに戻しただけだった。
『天城』
瀬川から呼ばれる。
「はい」
『今の、何で間に合うって分かった?』
レンは画面から目を離さなかった。
ガイがヴィランの右側へ回っている。
歩幅も、踏み込みの位置も分かる。
七メートルなら届く。
〇・五秒あれば動ける。
そこに迷う理由がなかった。
「グリットなら、あそこから間に合うんで」
無線が一瞬静かになった。
桐生が先に口を開く。
『距離を測ったのか?』
「見れば分かります」
昨日と同じ答えだった。
今度は映像の中ではない。
現場で動いているガイを見ながら答えている。
藤崎が何か言いかけたが、その前に警告音が鳴った。
ヴィランが再びブレイクハンマーへ踏み込む。
レンはそちらへ視線を移した。
右腕が、さっきより大きい。
拳を受けたあとに変わったのか。
殴ったあとにも変わったのか。
まだ条件が足りない。
「グリット、今は触らないで。右腕、何かある」
『分かった』
ガイが距離を取る。
レンはヴィランの右腕を見た。
今度は、さっきより少し細くなっている気がした。
見間違いかもしれない。
確認する前に、ヴィランがまた動く。
レンは時刻を記録した。
その数字が何を意味するのかは、まだ分からなかった。




