第26話 最下位
報告書が差し戻されたのは、合同案件から二日後だった。
第九分署の管制卓に表示された修正通知には、第七分署から追記された一文がある。
担当指揮者による無許可の持ち場離脱を確認。
レンはその下まで画面を送った。自分が提出した報告書の備考欄には、持ち場を離れた理由も残っている。
主担当区域外で救助対応が必要になったため、現場へ移動。
理由を書く欄がなかったから、備考へ入れた。
それでも違反は違反らしい。
「ガイさん、これ書いた意味あります?」
向かいで紙の地図を見ていたガイは、顔を上げてレンの端末を見た。
「何がだ」
「理由です。ちゃんと書いたのに違反のままなんですけど」
「持ち場を離れたんだろ」
「離れましたけど」
ガイはそれ以上何も言わず、地図へ視線を戻した。
呼び方が変わったことにも反応しなかった。
レンは端末へ目を戻す。理由を書いたことと、規定を破ったことは別に処理されるらしい。現場では一つの出来事だったのに、報告書の中では二つの欄に分かれていた。
処分は厳重注意だった。
反省文一枚と服務規定の再確認が必要になるが、昇級加算への直接の減点はない。そこまで読んで、レンは椅子へ背を預けた。
今の加算値からさらに引かれないなら、反省文くらいは書けばいい。
問題は、その下に届いていた別の通知だった。
配属一年未満の指揮者を対象とした実務研修。本部研修棟で一日、基礎能力の再測定を行うと書かれている。
「これも処分ですかね」
ガイが右手で地図を畳んだ。
肩の動きが、途中で一度だけ鈍る。
七針縫った傷は制服の下に隠れていた。通常勤務には戻っているが、腕を大きく動かすとまだ右側を庇う。
「対象、配属一年未満って書いてあるだろ」
「じゃあ違うか」
「読めるなら聞くな」
レンは通知を閉じ、反省文の様式を開いた。
翌朝、本部研修棟には二十六席が用意されていた。
レンが入ったときには半分以上が埋まっている。同期だけでなく、配属時期が近い別期の指揮者も混ざっているらしく、胸元の表示はEとDに分かれていた。
前方には宮田がいた。
少し離れた列には芦原もいる。
別分署へ配属されたあとDまで上がったことは知っている。レンはそちらへ行かず、空いていた後方の席へ座った。
向こうが気づいたかどうかは確認しなかった。
開始前の大型画面では、音を消した朝のニュースが流れていた。所在確認の取れない引退ヒーローについて短い字幕が出たあと、画面は交通情報へ切り替わった。
研修担当者が入室する。
午前は服務規定と法令、事務手続きの確認だった。
資料を開いて七ページ目まで進んだところで、持ち場を離脱する場合の手順が出てくる。
レンはそこだけ少し長く見た。
隣の列から宮田が顔を向ける。
「実地で覚えてきたらしいな」
レンは資料を一枚めくった。
「うるさい」
「第七分署から報告まで付いたって?」
「何で知ってんだよ」
宮田が笑ったので、レンは話を切った。
午前の試験は、そのまま順位に反映された。
法令では例外条件を読み直しているうちに時間を使い、手続き問題では書式の違いを確認している間に最後まで届かなかった。
レンには、必要なときに検索すれば済むことを暗記する理由が分からない。
試験では、それが理由にならないらしい。
昼の時点で順位表の下半分にいた。
宮田は上位にいる。
レンは自分の順位だけ確認して画面を閉じた。
午後は模擬指揮だった。
六人の仮想ヒーローが、それぞれ別の現場で動く。画面には敵影、負傷状況、装備残量と避難者の情報が数秒おきに追加された。
開始直後、レンは一番左のヒーローへ目を向けた。
右脚の動きが少し遅い。
歩幅まで確認しようとしたところで、三番目から救援要請が入る。
そちらへ画面を切り替え、敵影が二人いることを確認した。応援を送ろうとしたときには、別の画面で装備残量の警告が出ていた。
レンの指が一度止まる。
どれを先に処理するか決めている間にも、情報は更新される。
六番目との通信が切れた。
一番目の右脚がまた遅れる。
理由を確かめたくなって視線を戻した瞬間、二つの警告音が重なった。
レンは口の中が乾くのを感じた。
二番目の表示が赤くなっている。
いつ変わったのか分からなかった。
試験終了後、順位表が更新された。
レンの総合得点は三十八点。
二十六人中、二十六位だった。
最下位。
宮田の得点は七十四点ある。
ほぼ倍だった。
レンは二つの数字を見比べてから、自分の順位表を閉じた。
養成課程でも似たような位置だった。複数の情報を同時に見る試験は昔から苦手で、今さら二十六位になったところで驚くことはない。
「天城さん」
研修担当者に呼ばれた。
「最後に個人分析があります」
レンは端末を持って席を立った。
個人分析は別室だった。
正面の大型モニターには、名前と所属を伏せた登録ヒーロー 一人の戦闘記録が用意されている。
課題は、映像から動作上の問題点を報告すること。
制限時間は二十分だった。
レンは再生を押した。
一度目は全体を見る。
ヒーローが接近し、右拳から左拳へつなぐ。相手が左へ逃れた場面だけ、二発目が外れた。
二度目は足を見る。
左方向へ追う直前、右足の接地位置が内側へ寄っている。そのまま重心を移すため、腰がわずかに外へ開き、左拳の軌道まで流れていた。
レンは再生速度を落とした。
同じ動きが四回ある。
どれも条件が似ていた。
身体的な故障なら、別の動作にも影響が出るはずだった。レンは過去の映像を開き、足首と膝、それから視線の先まで順番に確認した。
三か月前には出ていない。
二か月前にもない。
一か月前から少しずつ増えている。
違いはヒーロー本人ではなく、周囲にあった。
左側に民間人がいるときだけ、踏み込みが浅くなる。
レンは報告欄へ入力した。
左方向への追撃時、右足の接地位置が通常より約十二センチ内側へ寄る。発生条件は左側に非戦闘員が存在する場合。身体的故障ではなく、接触や巻き込みを避けるため無意識に進路を狭めている可能性が高い。
入力を終えたとき、残り時間は十三分ほどあった。
ガイにも似た動きがある。
市民が近くにいるときだけ、避けられる攻撃まで受ける。
レンには、それが欠点に見えていた。
余計な条件を自分から増やせば、それだけ戦いにくくなる。守る必要のない場面なら避けられるのだから、能力の問題でもない。
レンは映像を最初から流し直した。
時間が余っていたので、今度は呼吸を見る。
三連撃の三発目だけ出力が落ちていた。二発目のあとに息を吐き切り、次の踏み込みまでに吸い直している。
二つ目の指摘を入力した。
さらに大型の相手へ攻撃するときだけ、右肩の位置が高くなることにも気づいた。
三つ目を書いたところで、終了時間になった。
研修担当者は、提出された報告書をしばらく見ていた。
レンは向かいの椅子で待つ。
予定ではこれが最後だった。
「天城さん」
「はい」
「最初の指摘は、何分で出しました?」
レンは残り時間を思い出す。
「七分くらいです」
「残りの時間は?」
「暇だったんで、他も見ました」
担当者が顔を上げた。
レンは何か間違えたのかと思い、画面を覗く。
「違いました?」
「いえ。三つとも合っています」
それなら問題はないはずだった。
担当者は最初の指摘だけを拡大する。
「模範回答として用意していたのは、これ一つです」
レンは残り二つを見る。
「じゃあ消します?」
「消さないでください」
少し強く止められたので、レンは端末から手を離した。
その直後、今日の結果が届いた。
総合三十八点。
二十六人中二十六位。
その下に、個別項目の順位が表示されている。
個人分析だけが一位だった。
レンは一度更新した。
数字は変わらない。
「これ、集計ミスじゃないですか」
「違います」
「でも総合最下位ですよ」
担当者は順位表を確認した。
「他が低いので」
レンは返事をしなかった。
言い方はともかく、数字は合っている。
個人分析だけ一位でも、他の項目を足せば最下位になる。それだけだった。
「普段、担当ヒーローの映像をどれくらい見ていますか」
「暇なときです」
「一日何時間くらい?」
レンは少し考えた。
「数えてないです」
案件がなければ見る。
以前はガイの失敗を探して、自分の指示が正しいことを確認するために何度も映像を開いた。訓練しているつもりはなく、当直中にやることがなかったから続けていただけだった。
担当者はしばらく端末へ入力していた。
やがてレンの端末に、新しい通知が一件届く。
研修結果に基づく追加課程。
他分署所属ヒーローの戦闘記録分析、および担当指揮者との合同検討。
参加人数は四人と書かれていた。
レンは自分以外の三人のランクを見た。
Cが一人。
Dが二人。
Eは、自分だけだった。




