第25話 六つ
特設の合同指揮所は、旧市街の北にある公民館だった。
卓が二つ。左が第七分署、右がこちら。統括の男は左に座っている。壁の大きな画面には、東と西のヒーローの位置と、南の警察車両の列が出ていた。
右の卓のモニターは二面だけだった。片方に管内図、片方にガイの生体情報。
旧市街南西の監視カメラは、二台しかない。どちらも大通りを向いていて、路地の中は映らなかった。
作戦開始は午前四時だった。
東と西からヒーローが入る。南から警察が照明と音で押す。三方の圧が同時に上がった。
統括の声が、部屋に響いている。時刻の刻み方が速い。手順は正確だった。
レンは自分の回線を開いた。声を落とす必要はない。回線が違えば、隣には聞こえない。
聞こえないだけで、何を喋っているかは画面に出る。
「グリット、北の通りですね」
『そうだ』
「そのまま、南西の入口まで下がってください」
ガイの光点が動いた。北の通りを外れて、細い道へ入っていく。
統括の男が、こちらの画面を一度見た。何も言わなかった。
二時間前に、レンは三軒に電話をかけた。直通番号を渡した家だった。
そこから隣へ、隣からその隣へ、話を回してもらった。何軒まで届いたかは分からない。届いたかどうかを確かめる方法も、様式にはなかった。
『入った』
ガイの声が変わった。反響している。狭い場所に入ったのだと分かる。
画面には何も映らない。光点が一つと、生体情報の線が三本あるだけだった。
「幅は」
『二メートルくらいだ。両側が塀』
「路面は」
『乾いてる。段差はない』
レンは管内図に、二か月ぶんの記録を重ねた。
夜に犬。次の週に猫。集積所は決まった三か所で、間隔は四日から六日。
覚えた道を歩く生き物だった。追われれば、覚えた道へ入る。
左の卓で、統括の声が上がった。個体を捕捉。北へ圧をかける。
光点が動いた。北へ、ではなかった。
「南西です。そっちへ行きました」
レンは言った。自分の回線に向かって言った。
『見えた』
物音がした。
爪が路面を掻く音。息の音。それから、布の裂ける音がした。
「受けるな」
『分かった』
レンは目を閉じなかった。閉じても同じだった。映像がない以上、聞くしかない。
音の間隔を数えた。咬みつきが三回。避けている。四回目までの間が、少し空いた。
「牙は溜まりません。でも」
マイクを引き寄せた。
「突進は溜まります」
噛みつきは牙で来る。突進は、体で来る。
同じ生き物の同じ動作でも、当たるものが違えば、入るものが違った。二か月ぶんの記録に、突進の場面は十一回あった。距離が空いたときに出る。
「下がってください。突き当たりまで」
『どのくらいだ』
「二十メートル。塀が切れる手前で止まってください」
足音が遠ざかる。止まった。
息の音だけになった。獣のほうの息も入っている。
(来る)
「今」
音が鳴った。
塀に挟まれた場所で、金属と骨がぶつかる音は、これまで聞いたどれとも違って聞こえた。反響が長い。
生体情報の項目が跳ね上がった。頂点で留まる。
『立ってる』
言われる前に返ってきた。
足音。詰めている。二歩で届く。
そのとき、別の音がした。
扉が開く音だった。
蝶番の軋む音と、サンダルの音。誰かが外に出てきた。
レンの手が止まった。
どこの家かは分からない。距離も分からない。映像がない。あるのは、音が入るくらい近いという事実だけだった。
行くな、と言えば、獣は倒せる。あと一手だった。
終わってから戻れば、たぶん間に合う。たぶんだった。
レンは口を開いた。
「人」
足音の向きが変わった。
止まらなかった。走る先が変わっただけだった。
女の声がした。短い声だった。扉の閉まる音。そのあとで、鈍い音がした。ガイのほうだった。
生体情報の欄で、溜まりが落ちていく。使わないまま落ちていく。
「グリット!!!」
『問題ない、下がった。今は距離が開いてる』
息が乱れていた。
レンは画面を見た。管内図に光点が二つ。距離と、残っている蓄積と、路地の長さ。全部数字で出ていた。
順番が決まらなかった。
左の卓では、統括がまだ北の通りに人を集めている。誰もこちらを見ていない。
時間がなかった。
「任せる」
『分かった』
音だけが続いた。
壁を蹴る音。爪が塀を掻く音。それから、上から落ちてくる音がした。
骨の折れる音は、一度だけだった。
『終わった』
北の通りに第七分署が着いたのは、それから七分後だった。
統括の男が、右の卓に来た。
画面を見て、ログを見て、それからレンを見た。
「持ち場が違います」
「はい」
「報告書に書くことになります」
「書いてください」
男は何か言いかけて、やめた。
やめてから、一つだけ聞いた。
「二十七件、あれで出したんですか」
「はい」
男は頷いて、左の卓へ戻った。読みます、とは言わなかった。
処理は長引いた。
持ち場を離れた理由の欄を、レンは探した。見つからなかったので、備考に書いた。
備考は資料であって、判定の本文ではない。
討伐の実績は主担当に付いた。支援側の欄には、支援と書いてある。
レンの加算値は、少しだけ動いた。Dまでの距離は、まだ二桁だった。
ガイは肩を七針縫った。処置室の外で待っていると、あの老人が来た。庇の短い家の人だった。紙袋を持っている。中身は缶詰だった。
「グリットさんに」
「……渡しておきます」
「あんたにも」
もう一つ袋があった。同じ缶詰だった。
分署に戻ったのは昼だった。
管制室は静かで、空調の音がしている。折り畳みの椅子は、開いたままになっていた。
レンは卓の端の紙を見た。
七つの言葉が並んでいる。いちばん下に、行くな、と書いてある。
剥がした。
破らなかった。二つに折って、引き出しに入れた。乾いた付箋の隣に置いた。
残ったのは六つだった。
扉が開いて、ガイが入ってきた。肩に包帯がある。折り畳みの椅子に座った。
「缶詰、もらいました。アンタの分もあります」
「そうか」
ガイは袋を受け取って、中を見た。それから、少しだけ口の端を動かした。
笑ったのだと分かるまでに、レンは時間がかかった。
「次だ」
「……次って」
「次があるだろう」
レンは端末を開いた。
案件の一覧が並んでいる。管内の通報と、移管の候補と、まだ番号の付いていない相談。
欄はいくつもあって、その全部が、誰かの家の前で起きたことだった。
「あります」
レンはそう答えた。
第一章「最低のコンビ」、これで完結です。
この章は、天城レンが黒崎ガイを「性能の悪い出力装置」として扱い、それをやめるまでの話でした。
彼が最後に消したのは、自分で書いた七つ目の言葉です。
第二章は、指揮者という仕事の話になります。
新人研修、他の分署の指揮者たち、そして――ずっと空いていた副席に、座る人が来ます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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