第23話 番号
様式の名前は長かった。
複数事案の集約による危険度判定申請、と書いてある。芦原が言ったとおり、使っている人間を見たことがないという顔を、窓口の職員もした。
必要なものは三つだった。
類似事案の記録。管轄の異なる機関からの照会結果。監督等級者の所見。
一つ目は集められた。警察に上げられた相談が二十件。清掃事務所の記録が四件。商店会が独自に控えていた分が三件。数えると二十七になった。
二つ目で止まった。犬と猫は動物の管轄で、集積所は清掃で、物音は警察で、塀は所有者の私物だった。同じ現象が、四つの機関に分かれて記録されている。照会は一件ずつしか出せない。
「これ、四回出すんですか」
「四回ですね」
窓口の職員は申し訳なさそうにした。申し訳なさそうにするだけで、回数は減らなかった。
四回のうち二回は、こちらの管轄ではないという理由で戻ってきた。
戻ってきた書類の欄外に、どこへ出すべきかは書かれていない。書く欄がないからだった。
レンは電話で聞いて、聞いた先でまた別の課を教えられて、三日を使った。
三つ目は早瀬に頼んだ。
所見の欄に、Cランクの署名が入った。理由は書かれていなかった。
書類が全部揃ったのは、九日目だった。
そのあいだ、レンは旧市街の南に通った。
権限はなかった。案件になっていないものについて、コンダクターが住民に何かを言う根拠は、どの様式にもない。
だからレンは、警告ではなく話をしに行った。
昼の旧市街は静かだった。人がいないのではなく、家の中にいる。表を歩いているのは配達の車と、猫くらいだった。
塀が高い。道が細い。管制室の地図では、この細さは出ない。
四十いくつの家を回った。赤い丸の付いている家から順に行った。
半分は留守だった。留守でない家の三分の一は、玄関を開けなかった。開けた家では、話を最後まで聞いてもらえないことのほうが多かった。
「区分は」
「まだ付いてません」
「じゃあ、まだ何もないってことでしょう」
それで終わる家が続いた。
言い返す材料が、レンにはなかった。区分が付いていないのは事実で、付いていないということは、制度の上では何も起きていないということだった。
三軒だけ、紙を受け取った家があった。
夜に外へ出ないこと、犬猫を外に繋がないこと、物音がしたら灯りを点けて中にいること。それと、レンの分署の直通番号を書いた。
書きながら、直通番号を渡す様式もないことに気づいた。気づいたが、消さなかった。
軒の短い家では、老人が出てきた。耳の遠い人だった。
レンは大きい声で二度説明して、紙を渡した。老人は紙を見て、それからレンの顔を見た。
「あんた」
老人はレンの上着の登録章を指した。
「グリットさんとこの人だろう」
「……はい」
「聞いてるよ。前に来たとき、この庇のこと言ってた」
レンは軒を見上げた。短い庇だった。
この人は、あの人が丸を付けたことを知らない。丸のことは何も知らない。ただ、庇の話をされたことだけ覚えていた。
何年前の話なのかを、レンは聞かなかった。聞けば、たぶん覚えていない。
十一日目の夜に、連絡が入った。
直通番号だった。
紙を渡した三軒のうちの一軒からで、隣の家の物音がおかしいという内容だった。時刻は十時を回っていた。
レンは警察と消防に同時に連絡を入れた。それから、走った。
走りながら、自分が何をしに行くのかを考えた。
止められるわけではない。装備も持っていないし、持っていても使えない。着いたところで、できることは一つもなかった。
それでも足は止まらなかった。止め方が分からなかった。
着いたときには、救急がもう来ていた。
怪我をしたのは、新聞の配達をしている男だった。四十代で、早朝の準備のために外に出ていた。
塀の内側から出てきたものに、背中と左腕をやられている。意識はあった。
通報が早かったので、出血が止まる前に処置に入れたと、救急の隊員が言った。
レンは道の端に立っていた。
救急車が出ていく音を、そこで聞いた。管制室ではない場所で聞くと、音の大きさが違った。
配達の男は、紙を渡した家の隣に住んでいた。
紙を受け取った側が物音に気づいて、直通番号にかけた。その番号は、どの様式にも載っていない。
翌朝、案件票が立った。
被害届が出て、目撃があり、危険度の判定材料が揃った。九日かけて集めた二十七件の記録は、添付資料の欄に入った。
番号が振られるのに、一時間もかからなかった。
区分B-C。旧市街南部、定着個体。
レンは画面を見ていた。
九日ぶんの照会と、四回の申請と、四十いくつの家。全部が、一人の怪我で置き換えられた。
置き換えられたというより、そちらが正規の手順だった。制度は、そういうふうに作られている。
(そうか)
防いだ被害を書く欄がない。
起きた被害を書く欄は、最初からある。
どちらの欄も、誰かが悪意で作ったものではないはずだった。起きたことは数えられる。起きなかったことは数えられない。それだけの話で、それだけの話が二十年続いている。
控えを取りながら、レンは番号の桁を見た。今年の管内で、何件目かが分かる番号だった。
二十七件の記録には、番号が付いていない。付く仕組みがない。
レンは番号を控えて、次の欄へ進んだ。
担当分署の指定。こちらの分署名を入れる。ガイの復帰は三日後だった。日程は合う。
送信して、十分後に返信が来た。
案件の担当について、第七分署から申し出があるという内容だった。
区分B-Cの定着個体。市街地。負傷者一名。報道が入っている。
人員に余裕のある分署が受けるのが妥当である、と書いてあった。
レンは文面を二度読んだ。
二度読んでも、書いてあることは正しかった。




