第19話 行った
区分Cの移管が通ったのは、七月の最終週だった。
能力は破砕。触れたものを内側から砕く。拳でも足でも、接触面から伝わる。
打撃系だった。溜まる。それだけが、こちらに向いている条件だった。
被害想定の欄は二行あった。二行目は読まなかった。読んでも組み立ては変わらない。
防具の部品は、まだ届いていない。肩の当て板は縁が反ったままだった。
案件の日取りは、こちらで決められた。三週間後に動かすこともできた。
レンは動かさなかった。
準備には四日かけた。逮捕記録は二件、映像は五本あった。
癖も出た。この男は右から入る。左で砕いてから、右で殴る。順番が決まっている人間だった。
組み立ては書き上がっていた。書き上がったものを、レンは三度読み返した。読み返す必要はなかった。
現場は駅の南口だった。
夕方。人の数が多い。雑居ビルの一階で暴れ始めて、外へ出てきたところを警察が追っている。
避難誘導は消防と警察に投げた。ガイは北の路地から回した。
「受けるな」
『分かった』
最初の五分は、組み立てのとおりに進んだ。
男が殴る。ガイが外す。外されるたびに、男は近くのものを砕いた。街灯が折れる。ガードレールが粉になって散る。
当たれば溜まる。当たらなければ消耗する。天秤は、こちらに傾いていた。
「そのまま西へ。線路の高架下に寄せます」
人がいない。落とせるものがある。組み立ての終着点だった。
ガイが下がる。男が追う。予定どおりの位置に、予定どおりの速度で入ってきた。
男が振りかぶった。
これまでの記録より大きい。
レンは息を吸った。〇・四秒。
そのとき、後方で音がした。
雑居ビルだった。
男が最初に暴れた場所で、一階の柱に罅が入っている。時間差で広がったのだと、あとで分かった。二階の床が傾いだ。
「――退避、まだ完了してません」
消防の無線に切り替えた。誘導班は北側にいる。ビルの正面には回れない。到着まで四分。
カメラを引き当てた。二階の窓に人影がある。二人。動いていない。動けないのかもしれなかった。
二階の床は、たわんでいるのではなく、片側が落ちていた。支えているのは反対側の柱だけになる。
その柱にも、同じ罅が入っていた。
目の前では、男が振りかぶったままだった。
合図を出せば、この一撃で終わる。出さなければ、この機会は消える。
レンの手が止まった。
「グリット、いま来てるのは――」
『見えてる』
「行くな」
言った。
言ってから、〇・四秒より短い間で、光点が動いた。
北へ動いた。
「――行くなって言いました」
『聞こえてる』
「四分で消防が入ります。四分です」
『二階が持たん』
声が走っていた。息の音が混ざる。ガイは溜めていない。
「戻ってください。今なら間に合う」
『天城』
「戻れ」
返事はなかった。
光点はビルに入った。
レンの視界が狭くなった。
画面が四面ある。男の位置。ビルの構造。消防の位置。ガイの生体情報。順番が決まらない。決めなければならないのは分かっていた。分かっていることと、決まることは違った。
九秒、と頭のどこかで数字が出た。市場の夜に測ったものだった。今は数えていない。数える余裕がなかった。
男が高架のほうを見ている。追ってくる相手がいなくなったので、次を探している。人の多いほうへ戻れば、被害想定の二行目が現実になる。
止めるものが、いま誰もいなかった。
映像の中で、ガイが二人を抱えて出てきた。子供と、その母親らしい女だった。
外に出す。振り返る。
男が来ていた。
(溜まってない)
ガイは避けなかった。避ければ、後ろの二人に当たる。
正面から入った。
音が違った。これまで聞いてきたどの被弾とも違った。骨に直接届いた音だった。
ガイの身体が浮いて、路面に落ちた。転がらなかった。転がる力も残っていない落ち方だった。
生体情報が乱れた。蓄積の項目が上がる。上がるが、足りない。
男がもう一歩詰めた。
レンは口を開いた。
何を言うべきかが、出てこなかった。位置も、順番も、残っている手も、全部は見えていた。見えているのに、一つを選べなかった。
時間がなかった。
「任せる」
言った。初めて言った。
『分かった』
息の下から返ってきた。
ガイが立った。立ち上がる途中で、右手が地面の破片を掴んでいた。男の顔に投げる。目を逸らした一瞬に、距離が消えた。
肩から入った。
男の胸に。溜まった分の全部が、そこに乗った。
男は高架の柱まで飛んで、そこで動かなくなった。
ガイは膝をついた。今度は立たなかった。
処置は長かった。
肋骨が三本。うち一本がずれていて、位置を戻すのに時間がかかった。肩の関節にも損傷があった。
全治六週間、と医者は言った。
救出された二人は、擦り傷だけだった。母親のほうが警察に何か話していて、途中で言葉が途切れていた。
ビルの二階は、そのあと落ちた。誰もいない状態で落ちた。
レンは廊下にいた。壁は白い。ここも匂いがしない。
二時間ほど座って、それから病室に入った。
ガイは天井を見ていた。呼吸が浅い。肋を折ると、深く吸えなくなるのだと初めて知った。
「行くな、って言いましたよね」
声が低くなった。自分でそう聞こえた。
「四分でした。消防が四分で入ってた。そのあいだ、アンタは溜めておけばよかった。終わってから行けばよかった」
「……」
「六週間です。六週間、動けません。案件は全部止まります」
ガイは天井を見たままだった。
「アンタが行ったから、こうなったんです」
言い切った。
言い切ってから、レンは自分の手が震えていることに気づいた。




