第18話 0.4秒
七月に入って、レンは合図の位置を動かした。
「今」と言ってから、ガイが受けの姿勢に入るまでに、わずかな間がある。短いほうが、相手の一撃は大きいまま入る。腕を上げる時間があれば、そのぶん衝撃は逃げる。逃げた分は蓄積にならない。
記録を並べると、合図から着弾までの時間と、蓄積量の関係がはっきり出た。一秒あれば、姿勢が整う。整えば、溜まる量は減る。
削れる余地があるものを、そのままにしておく理由がなかった。
レンはその猶予を削った。
最初は〇・八秒。次に〇・六秒。七月の第二週で、〇・四秒になった。
蓄積量は伸びた。同じ相手、同じ一撃で、五月より二割ほど多い。
制圧までの手数が減る。手数が減れば、被弾の回数も減る。理屈の上では、身体への負担はむしろ軽くなるはずだった。
もう一つ削ったものがあった。
「受けるな」で避け続ける時間を、以前より長く取るようにした。相手は当たらないと苛立ち、苛立つほど大きく振る。大きいほうが溜まる。
ただし、避けている側は消耗する。溜めていない身体で走り続けることになる。
どこまで引っ張れるかは、記録から出した。ガイの持続時間の限界の、八割手前で切る。
七月の第二週で、案件は四件だった。すべて成立した。
加算値の欄は、階段の段差が広くなっていた。
報告書を打ちながら、レンは数字の並びを何度か見返した。順調という言葉を、自分に向けて使う必要はなかった。並んでいるものがそう言っていた。
補給所で、早瀬に会った。
二度目だった。台車を押していて、前と同じように棚の陰から出てきた。
「天城くん」
「……どうも」
「うち、そっちに案件回しすぎてないかって、内部で言われてる」
「困りますか」
「困らない。回すのはこっちの都合だから」
早瀬は箱を積み替えながら、こちらを見なかった。
「グリット、動き変わったね」
「変えました」
「うん。速い」
褒められたのだと思った。次の言葉で、そうではないと分かった。
「前は、もうちょっと余ってた」
レンは何を言われたのかを考えた。考えている間に、早瀬は台車を押していった。
余っていた、というのは、何が余っていたのかが書かれていない言い方だった。
台車の音が遠ざかってから、レンは箱を抱え直した。
余っていた、と言われて出てくるものがなかった。数字に「余り」という欄はない。あるとすれば、削った猶予の側だった。
削ったのは自分で、削った理由も説明できる。説明できるものについて、他人に何か言われる筋合いはなかった。
その日の夜、ガイの防具を確認した。
肩の当て板に、綻びが出ている。表面の層が浮いて、縁が反っていた。摩耗の記録を開くと、六月からの傾きが変わっている。
型落ちの旧型で、耐用の目安はとうに過ぎていた。等級を上げないと、次の支給は来ない。
レンは修理の申請を出した。承認は下りた。ただし、部品の入荷まで三週間かかると返ってきた。
三週間分の予定は、もう組んである。組み直せば、そのぶん後ろが詰まる。
綻びは肩の一枚だけで、当て板そのものは割れていない。医者にかかるほどではない怪我を、そのまま働きながら治すのと同じことだった。
レンは修理の予定を三週間後で確定させて、案件の予定は動かさなかった。
七月の第三週。区分B-Cの案件だった。
場所は河川敷の資材置き場。中型より一回り大きい個体で、前肢が長い。
手順は固まっている。避けさせて、位置を作って、鉄骨を落とす。
「受けるな」
『分かった』
その一言が返ってきたことに、レンは少し安心した。安心してから、安心した理由を考えないことにした。
ガイが避け続ける。二分、三分。獣が唸る間隔が短くなってきた。
持続の限界まで、あと少しあった。レンは待った。
獣が跳んだ。前肢を振り上げている。過去のどの記録より大きい。
「今」
落とした。
鉄骨がガイの肩に入る。同時に、前肢が来た。
順番が、逆だった。
ガイの膝が落ちる。前肢の爪が、鉄骨の当たった側の腕を掠めた。上着が裂けて、外側が赤くなる。
蓄積の項目は跳ね上がっている。上がってはいた。
「立って――」
立った。
肩から獣に入って、押し倒して、そのまま押さえ込んだ。終わった。
所要、九分。これまででいちばん短かった。
拘束の必要はなかった。獣は動かなくなり、河川敷は静かになった。水の音がして、それが無線に入っていた。
ガイは押さえ込んだ姿勢のまま、しばらくそこにいた。
処置は縫合が四針だった。浅い。腱にも骨にも届いていない。二週間もかからないと医者は言った。
ガイは何も言わなかった。病院からの帰りに、腕を回すのもしなかった。
管制室で、レンは記録を開いた。
合図から鉄骨の着弾まで、〇・四秒。獣の前肢が届くまで、〇・三秒。
計算に入れていた数字は、獣の跳躍の速度だった。過去の映像から出した平均で、今回はそれより速かった。平均は平均でしかない。
差は〇・一秒だった。
もう少し遅ければ、鉄骨と爪が同じ場所に入っていた。
同じ場所に落ちたものが何をするかは、計算しなくても分かった。腕の話ではなくなる。
こちらの数字が正しくても、向こうの数字が違えば、それで終わる。
獣は毎回同じ跳び方をしない。当たり前のことを、レンは平均という形で潰していた。
レンは設定を開いた。猶予の欄に、〇・四秒と入っている。
〇・五に戻すかどうかを、しばらく考えた。
戻せば、蓄積が減る。減れば手数が増える。手数が増えれば被弾が増える。
どちらが安全なのかを、数字で比べた。比べた結果は、〇・四のままだった。
レンは画面を閉じた。
卓の端の紙が目に入った。七つの言葉と、その横の一枚。
A等級、と書いてある。




