第17話 立っていた
六月の残りで、案件は六件になった。
うち四件が獣だった。区分B-Dが三件、B-Cが一件。あとの二件はヴィランで、どちらも区分Dだった。
加算値の欄は、四月からの三か月ぶんを並べると階段のように見えた。Dまでの距離が二桁の後半まで縮んでいる。年内には届くと、レンは計算していた。
組み立ては固まっていた。
避けさせて、位置を作って、上から落として溜める。落とすものは事前に探しておく。腐った支柱、外れかけた庇、積み上がった資材。都市の中には、落とせるものがいくらでもあった。
組み立てが固まると、報告書の書き方も固まった。同じ様式に同じ順で打ち込む。三十分かかっていたものが、十分で終わるようになった。
覚える気はなかった。使っているうちに入っていた。
変わったこともあった。
ガイが、途中で抜けなくなった。
最初は気づかなかった。区分B-Dの案件で、隣の棟から煙が上がったときのことだった。
獣は制圧の途中で、あと二手あれば終わる場面だった。
『天城』
「消防、もう着いてます」
『……そうか』
それだけだった。
ガイは動かなかった。二手で終わらせて、そのあと煙のほうを見た。消防が三人で入っていって、五分ほどで住人が出てきた。誰も怪我をしていなかった。
処理は順調に終わった。所要時間は、これまででいちばん短かった。
管制室で記録を整理していて、レンは生体情報の欄に目を留めた。
煙が上がった時刻のところで、蓄積の項目が上がっている。
制圧は終わっていた。使う場面はなかった。上がって、頂点で少し留まって、それから下がっていく。下がりきるまでに、いつもより時間がかかっていた。
(溜めたのか)
使うつもりで溜めて、使わずに落とした。落とすときには反動が出る。記録の下のほうで、心拍の乱れが短く残っていた。
行くつもりだったのだと、レンは理解した。行かなかっただけだった。
行くつもりだった、という言い方が正しいのかも分からなかった。身体が先に動きかけて、途中で止まっただけかもしれない。
どちらでも、数値は同じだった。
その週の別の案件でも、同じ形が出た。
道路の反対側で車が接触したとき。子供が塀に登ろうとしたとき。どちらも、こちらが手を出す必要のない場面だった。ガイは動かなかった。
動かないまま、数値だけが上がって、使われずに落ちた。
レンはその回数を数えた。六月の後半で、九回あった。
九回ぶんの蓄積が、どこにも使われていない。溜めるには被弾が要る。被弾していない場面でも上がっているということは、身体が勝手に構えているということだった。
(無駄だ)
結論は早く出た。
九回ぶんの反動を、この人は毎回引き受けている。使わないのに。回復時間が伸びているのは、案件の間隔だけが理由ではなかった。
管理が足りていない。行かせないだけでは足りない。構えさせないところまで管理しないと、数字は戻らない。
解決の形も、すぐ出た。
言葉が要る。この人は紙を読まないし、長い説明は戦っているあいだ入らない。一拍で動ける長さでなければ意味がない。
前に六つ作ったときと、やっていることは同じだった。同じはずだった。
レンは紙を一枚出した。
卓の端に貼ってある六つの言葉を、上から順に写した。
受けるな。
今。
捨てろ。
人。
任せる。
下がれ。
その下に、七つ目を書いた。
行くな。
書いてから、レンは少し手を止めた。
「人」と並べると、意味が向かい合ってしまう。片方は行けという言葉で、もう片方は行くなという言葉だった。
同じ紙に載せるものではない気もした。それでも、載せなければ伝わらない。
翌日、待機室で渡した。
ガイは紙を受け取って、上から順に読んだ。読む速度は、六つのときと同じだった。
七行目で止まった。
「これは」
「構えなくていい場面で、構えるのをやめてほしいってことです」
「構えてるか、俺は」
「数字に出てます」
レンは端末を出して、生体情報の記録を見せた。九回ぶんの、上がって落ちた線が並んでいる。
ガイは画面を見た。目を細めるのは、字が小さいときだけだった。今回は細めなかった。
「反動があります。使ってないのに減ってます。回復が遅れてるのは、そのぶんもあります」
「そうか」
「消防が来てるなら、こっちが構える必要はないです。無駄なんで」
無駄、という言葉が口から出たとき、レンは自分の声を少し遠くで聞いた。
言い直すべきかを考えて、考えているうちに機会が過ぎた。
ガイは紙を折った。
二つに折って、もう一度折って、上着の内側に入れた。六つのときと同じ手つきだった。
「預かる」
使うとも、従うとも言っていない。ただ、持っておくという言い方だった。
レンは椅子から立ち上がりかけて、止まった。
六つを渡した日、この人は「いいぞ」と言った。指示を出した日は、いつも「分かった」と返してくる。
今日は、どちらも言わなかった。
ガイは湯呑みを片付けて、待機室を出ていった。
扉が閉まる音は、いつもと同じ大きさだった。
管制室に戻って、レンは記録を開いた。
七つ目の言葉を、符丁の一覧に追加する。書式の欄に「使用条件」という項目があったので、そこに、消防・警察の対応中、と打った。
打ち終わってから、しばらく画面を見ていた。
一覧は七行になった。上の六行は自分で考えて、二行はあの人が足させたものだった。任せる、と、下がれ。どちらも、できないことを相手に渡すための言葉だった。
七行目は、渡していない。
六つの言葉は、どれも戦っているあいだに使うものだった。
七つ目だけが、戦っていないときに使う言葉だった。




