第15話 順番が来ない
翌朝、レンは移管の記録を印刷して事務室へ行った。
案件がこちらに移された日付と、承認の番号と、討伐の時刻が並んでいる。第七分署の現着はそのあとだった。数字で見れば、話は単純だった。
「訂正の申し入れって、どこに出せばいいですか」
事務の職員は印刷を受け取って、上から下まで読んだ。それから、少し困った顔をした。
「報道についての様式は、うちにはないですね」
「じゃあ本部ですか」
「本部にもないと思います。広報が出したものじゃないので」
分署が出した発表には、危険度と負傷者数と分署名しか書いていない。ヒーローの名前は入っていない。
入っていないのに、記事には二人の名前が出ていた。取材が入ったからで、取材を受けたのは現着した側だった。
どこが出したのかを聞くと、通信社が分署の発表を要約したのだという。
書いた側に落ち度はなく、話した側にも落ち度はない。
「間違いではないんですよ」
職員はそう言って、印刷を返してきた。悪意はなかった。事実を説明しただけだった。
レンは紙を折って持ち帰った。折り目が汚くなった。
階段を上がりながら、頭の中で言い返す言葉をいくつか作った。どれも、あの職員に向けるものではなかった。向ける先がないので、言葉だけが残った。
待機室に戻ると、ガイは湯を沸かしていた。肩に湿布を貼っている。今度は貼っていた。
薬品の匂いが部屋に残っている。管制室にはない匂いだった。上の階には、匂いのするものが何も置かれていない。
「記事、見ましたか」
「見てない」
レンは端末を差し出した。ガイは画面を遠ざけるようにして目を細め、二行ほど読んで、返してきた。
「あの子、どうなった」
「……は?」
「弾かれたほうだ。全治十日と言ってたか」
レンは端末を持ったまま止まった。
名前の話をしに来た。記事に誰の名前が出ているかという話をしているつもりだった。
この人は、記事を二行しか読んでいない。読んだ二行のどこにも、あの若手の容態は書いていなかった。
「……十日です。腕の裂傷で、骨はいってません」
「そうか」
ガイは湯を注いだ。話は終わったらしい。
レンは何か言おうとして、言うことが見つからなかった。腹が立っているのは確かだったが、腹が立っている相手がこの部屋にいないことも確かだった。
管制室に戻ると、処置の記録が上がっていた。
前腕の縫合と、抜糸と、今回の打撲。費用の欄はない。ヒーローの治療は機関が持つ。怪我をするのが仕事なのだから、そこで金を取るわけにはいかない。
代わりに、上のほうに一行あった。
――適用等級 D/基礎処置
等級で、受けられる医療が変わる。
レンは規定を開いた。三段しか書かれていなかった。
E・D。町の医者と同じところまで。縫って、固定して、あとは治るのを待つ。
C・B。専門の施設が使える。治りが倍近く早くなる。
A以上。古い傷を治せる。腱と神経をつなぎ直せる。欠けたところを、作り直せる。
レンは三行目を二度読んだ。
古い傷を治せる。
三行しかないのに、下の一行だけ書き方が違った。上の二段は治し方の話で、そこだけ、治せるものの話をしている。
それから、自分の手を見た。それから、思い出した。
配属の日に握った手。薬指と小指が、まっすぐ伸びきっていなかった。折れたものが、そのまま固まった形をしていた。
(治るのか、あれ)
待機室に戻った。ガイはカップを持ったまま、地図を眺めていた。
「アンタ、指」
「なんだ」
「A等級なら、治るって書いてあります」
ガイは顔を上げなかった。
カップを置いて、曲がった二本を一度だけ動かした。第二関節から先が、途中で止まる。
「知ってる」
「……知ってるんですか」
「二十年前から、そう書いてある」
当たり前のことを言う口調だった。
「じゃあ、なんで」
「順番が来なかった」
湯気が上がっていた。ガイはカップに手を戻した。
言い訳も、恨みも、諦めを見せる素振りもなかった。届かなかったという事実が、そこに置いてあるだけだった。
レンは口を開いて、閉じた。
順番が来なかった、という言い方だった。来ないとは言っていない。まだ来ていない、とも言っていない。
二十年、この人はこの三行を知っていた。知っていて、毎年新人が来て、二年で出ていくのを見ていた。
管制室に戻って、レンは規定の続きを送った。
引退した者も、医療は受けられる。費用も要らない。ただし町の医者と同じところまでで、そこから先はない。
現役を退いた身体を、そこから先で治す仕組みは用意されていなかった。
レンは昇級査定の画面を開いた。
Eから、Dまでの距離。Dから、Cまで。Cから、Bまで。Bから、A。
現在の加算値で割ると、途中から桁が読めなくなった。
(無理だろ)
Eの新人が一人でAまで行った例を調べようとして、やめた。
調べれば、たぶん出てこない。出てこないものを見て、諦める理由が一つ増えるだけだった。
いつもの結論だった。
いつもと違うのは、画面を閉じなかったことだった。
指が治れば、細かい装備が使える。使えれば、選べる装備が増える。増えれば、出力の上げ方が増える。
レンは自分にそう説明した。説明として、筋は通っていた。
通っている説明を、わざわざ自分に向かってする必要はないはずだった。
卓の端の紙を見た。六つの言葉が並んでいる。
その横に、レンは新しい紙を貼った。
――A等級。
書いてから、何日かかるかは書かなかった。




