第12話 怒らせ方
資料は薄かった。
区分Dのヴィランは、そもそも記録が少ない。逮捕歴が二回。どちらも別の管内で、担当したヒーローの名前も違っていた。映像は三本しか残っていなかった。
レンはそれを、四十回ほど見た。
当直の合間と、通報の入らない午後と、帰ってからの時間。数えていたわけではないが、再生の履歴が残るので後から分かった。
能力は変形だった。前腕から先の組織を硬化させて、形を変える。刃にもできるし、棒のようにもできる。持続に制限はなく、疲労もほとんど見えない。
教本の分類でいえば厄介な部類に入る。距離を取れば斬撃が届き、詰めれば手数が増える。
二回の逮捕記録には、どちらも同じ書き方がしてあった。刃状の凶器を形成、と。凶器という語が使われている。能力ではなく、持ち物として処理されていた。
様式がそうなっているのだろう。レンは分類の欄を閉じて、映像に戻った。
映像を止めて、レンは同じ場面を巻き戻した。
三本目の最後、追い詰められた男が塀を乗り越えようとしている。
そこで刃が消えていた。
(掴めないのか)
もう一度確認した。塀に手をかける直前、前腕の形が戻っている。乗り越えたあと、また刃になる。
二本目でも同じことが起きていた。倒れた仲間を引き起こすとき。一本目では、車の扉を開けるとき。
刃では、掴めない。当たり前のことだった。刃物に指はついていない。
レンは資料の余白に書いた。
――手を使う場面を作れば、刃は消える。
書きながら、レンは自分の手が速いことに気づいた。
ガイの癖を読むときと、やっていることが同じだった。人の動きを並べて、繰り返しを見つけて、意味を当てる。相手が違うだけで、手順は変わらない。
養成課程で、この項目だけが突出していると言われた。何の役に立つのか、あのときは分からなかった。
もう一つ、引っかかっていたものがあった。
三本のうち二本で、男は途中から刃を出さなくなっている。出さないまま、拳で殴りかかっていた。効率が悪い。刃のほうが強いに決まっている。
その二本に共通していたのは、直前に浴びせられた言葉だった。
一本目、担当ヒーローが男の名前を呼び間違えている。
二本目、別のヒーローが「そんな能力で」と言っている。
レンは椅子の背に体を預けた。
(逆上すると、拳が出る)
人は追い詰められると、慣れた動きに戻る。この男は元から喧嘩で育った人間で、刃は後から手に入れたものだった。腹が立つと、手に入れる前の身体に戻る。
癖だった。二回の逮捕でも、誰もそこを見ていない。見る必要がなかったからだ。刃を防げば済む相手として処理されている。
レンは書き足した。
――怒らせれば、殴ってくる。殴ってくるなら、溜まる。
待機室に行くと、ガイは椅子に座って新聞を広げていた。紙で読む人間が本当にいるのだと、レンは配属されてから知った。
テレビが点いていて、音は絞ってある。引退したヒーローの捜索願が出たという短い項目が流れて、すぐ天気に変わった。ガイは顔を上げなかった。
テーブルには地図と鉛筆と、あの金属の欠片が出ている。位置がいつも同じだった。
「作戦、組めました」
レンは資料を置いた。
「相手に手を使わせます。掴む、開ける、登る。そのあいだ刃は消えます」
「うまくいくのか」
「三本の映像で全部そうなってます」
「三本か」
「三本しかないんです」
ガイは資料を手前に引いた。目で追う速度が遅い。文字を読むというより、写真の位置を確かめているように見えた。
紙をめくる音が二回して、それから止まった。塀の場面のところで指が置かれている。レンが四十回見た一枚だった。
「ここか」
「そこです」
「よく見つけたな」
褒められたのだと気づくのに、少し間があった。返事は思いつかなかった。
「それと、もう一つあります」
レンは息を吸った。
「挑発します。怒ると拳が出る人です」
「誰が言うんだ」
「アンタが」
ガイは資料から目を上げなかった。
「何て言えばいい」
「考えます。効きそうな言葉を選びます」
「そうか」
断られると思っていた。人を怒らせるために言葉を選ぶのは、この人が最も嫌がる種類の仕事だと思っていた。
ガイは資料を戻して、新聞を畳んだ。
「殴ってこなかったら」
「斬られます」
「だろうな」
それで終わりだった。
管制室に戻って、レンは装備の欄を開いた。
防具の性能表には、耐衝撃の等級が並んでいる。刃に対する記載は、注記が一行あるだけだった。
――鋭利物に対する防護性能は保証されません。
分かってはいた。それでも、文字で読むと違った。
保証されません、という言い方が引っかかった。防げないとは書いていない。書けば責任が発生するからで、様式というのはそういうふうに作られている。
レンは自分が組んだ手順を、頭から順に確かめた。手を使わせる場面を作る。挑発する。拳が出る。受ける。溜める。返す。
どこか一つでも順番が狂えば、ガイは腕を斬られる。
符丁の一覧を見た。
卓の端に貼った紙に、六つの言葉が並んでいる。
受けるな。
今。
捨てろ。
人。
任せる。
下がれ。
この中の「今」を、明日は刃の前で言うことになる。
言葉の長さは変わらない。一文字で、あの人は動く。動いた先に何があるかは、こちらが決める。
レンは指を止めた。
斬られたときに痛いのは自分ではない。書類に残るのは自分の判断で、血が出るのはあの人の腕だった。その二つが同じ欄に並んでいないことを、レンは初めて具体的に考えた。
考えたところで、作戦は変わらなかった。
しばらくそのままで、それから資料に戻った。見直したところで、映像は三本しかなかった。




