第38話 ルシエルの昔の相棒
戦後処理は、まだ続いていた。
ウォーフロントのリザルト。
キルログ。
クリスタル破壊時の点数推移。
配信アーカイブの確認。
掲示板の反応。
勝ったから終わり、というわけにはいかない。
むしろ勝ったあとこそ、やることは増える。
――Discord:BEW幹部チャンネル――
ミスティア『いやあ、掲示板すごいねえ。装備差なしでも強かった、って評価がだいぶ流れてる』
グラディオ『それでいい』
ミスティア『古戦場協定側、次どうするんだろうね』
グラディオ『考えるだろ』
スカーレット『ひまりの話が多い』
ミスティア『あー、ひま×ルシ観測?』
スカーレット『よくない』
ミスティア『まだ言ってる』
ひまり『あの、私は何もしてないです……』
スカーレット『だからよくない』
ミスティア『スカちゃんの中では、何もしなくてもよくないことになるらしい』
ひまりは、少し困って笑った。
ウォーフロントのあと、外の反応はかなり大きくなっていた。
装備差なしでもBEWは強かった。
ルシエルの指揮がすごかった。
如月の《キャスリング》がすごかった。
グラディオの暗黒騎士とミスティアのCCが噛み合っていた。
最後のメテオがとんでもなかった。
そんな話の中に、なぜかまた、ひまりとルシエルの話が混ざっている。
ひまり視点では、ずっとルシエルの背中を追っていた。
それは事実だ。
そうしろと言われたからだ。
けれど、外から見ると、また違うものに見えるらしい。
ルシエル『配信視点としては、そう見えると思います』
ルシエルの声が入った。
いつも通り、丁寧だった。
ルシエル『ひまりさんは、今回は私の移動に合わせる役でしたから。画面に私が多く映るのは自然です』
スカーレット『自然でもよくない』
ミスティア『自然でもダメらしい』
グラディオ『放っておけ。観測は止まらん』
スカーレット『……』
スカーレットは黙った。
納得はしていなさそうだった。
ひまりは、画面の前で小さく息を吐く。
何かを言った方がいいのかもしれない。
でも、何を言っても余計に話が増えそうで、何も言えなかった。
その間にも、ルシエルは淡々とログをまとめていた。
ルシエル『中央再出現からバーストまでの時間は、想定より少し早かったです。山賊団の降下が速かったので、あそこで止まった判断は結果的に正解でした』
ミスティア『あそこ、止まらなかったら挟まれてた?』
ルシエル『挟まれていました。ただ、こちらが先にバーストを打てたので、結果は変わらなかったと思います』
グラディオ『如月の読みは』
ルシエル『正確でした。月下の突入タイミングも、山賊団の降下位置も、ほぼ事前の想定通りです』
ルシエルの声は、変わらない。
けれど、ひまりは少しだけ違和感を覚えた。
さっきから、ルシエルの返事がほんの少し遅い。
声は落ち着いている。
でも、どこか遠い。
画面越しに、別のものを見ているような声だった。
ひまりにはわからなかった。
ルシエルが、幹部チャンネルで話しながら、別の画面を開いていることを。
――Discord:個人メッセージ 如月――
ルシエル:今日はありがとうございました。
如月:こちらこそ。いい戦場でした。
ルシエル:あなたがいなければ、あの形にはなりませんでした。
如月:あなたが指揮官だったからよ。
短い文字。
声ではない。
通話ではない。
それでも、ルシエルは画面の前で指を止めた。
如月の言葉は、いつもそうだ。
褒めているようで、戦場の事実だけを置いていく。
逃げ道を作らない。
昔から。
ルシエル:少しだけ、昔のことを話してもいいですか。
送ってから、ルシエルは幹部チャンネルへ返事をした。
ルシエル『リザルトの詳細は、あとでチャンネルに貼ります』
ミスティア『ありがと。ルシさん、仕事早いねえ』
ルシエル『まとめておかないと、明日以降の検証がずれますから』
その声を出しながら、ルシエルの目は個人メッセージの画面を見ていた。
如月:いいよ。
短い返事だった。
ルシエルは、ゆっくり息を吸った。
ルシエル:昔は、言えなかったことがあります。
如月:うん。
ルシエル:今なら、あなたの味方になるとはっきり言えます。
送信。
その一文が画面に出た瞬間、ルシエルの胸の奥が少しだけ痛んだ。
遅すぎる言葉だ。
自分でもわかっている。
あの頃、言えなかった。
戦場では誰かを守れた。
味方を立て直せた。
劣勢の盤面から勝ち筋を作れた。
けれど、人間関係では。
誰かを選ぶことが怖かった。
誰かの味方になるということが、別の誰かを傷つけることに見えた。
だから、言えなかった。
今さら言っても、何かが戻るわけではない。
それでも、言わなければならないと思った。
ルシエル:これなら、あなたの相方にしてくれるんですか?
送った。
しばらく、返事は来なかった。
幹部チャンネルでは、ミスティアがまだ話している。
ミスティア『しかし、如月のキャスリング、外でかなり話題になってるねえ』
ひまり『……はい』
ミスティア『ひまちゃん、まだ気にしてる?』
ひまり『気にしてない、とは言えないです』
スカーレット『気にしなくていい』
ひまり『でも、如月さんが私の代わりに……』
グラディオ『戦場の判断だ』
グラディオの声は短い。
グラディオ『止まるな。次に遅れなければいい』
ひまり『はい』
ルシエル『如月さんの判断は正しかったと思います』
ルシエルは、そう言った。
自分の声が少しだけ遅れたことに、気づいていた。
それでも、声は崩さない。
崩さないまま、個人メッセージの返事を待つ。
如月:私、あなたより五つも年上だよ。
返事が来た。
ルシエルは、画面を見つめた。
如月:それより、ひまりちゃんかわいいじゃん。
如月:あなたの隣には、ああいう子がいいと思うよ。
文字は軽かった。
軽く見えるように、書かれていた。
だから、余計に痛かった。
如月は、本当にそう思っているわけではない。
少なくとも、ルシエルにはそう見えた。
年齢差。
ひまり。
かわいい子。
隣に立つなら、ああいう子。
全部、理由の形をしている。
けれど、答えではない。
受け取れない、という答えだけが、その奥にある。
ルシエル:ひまりさんは、そういう相手ではありません。
送る。
返事はすぐに来た。
如月:今は、そうかもしれないね。
その一文で、ルシエルは少しだけ目を閉じた。
今は。
如月は、逃げている。
それがわかった。
わかるのに、追えない。
今ここで追ったところで、如月はまた別の理由を出すだろう。
年齢。
ひまり。
戦場。
未来。
いくらでも、逃げ道を作れる人だ。
そしてルシエルは、その逃げ道を全部塞げるほど、まだ強くない。
如月:今日はお疲れさま、ルシエル。
会話は、そこで切れた。
如月の名前の下に、それ以上の文字は出てこない。
ルシエルは、しばらくその画面を見ていた。
それから、幹部チャンネルへ戻った。
ミスティア『ルシさん?』
ルシエル『はい』
ミスティア『声死んでるけど、大丈夫?』
ひまりは、顔を上げた。
声。
やっぱり、ミスティアにもわかるくらい変わっていたのだ。
ルシエルは、少しだけ黙った。
そして、ぽろっと言った。
ルシエル『……たった今、二回目の失恋をしました』
チャンネルが止まった。
ひまりは、息を止めた。
二回目。
その言葉の意味を、全部は知らない。
けれど、誰の話なのかは、なんとなくわかった。
如月さん。
その名前が、胸の奥に落ちる。
ミスティア『それ、聞いていい話?』
ルシエル『よくないかもしれませんが、もう言っちゃいましたしね』
声は、まだ死んでいた。
いつもの丁寧さはある。
でも、音の芯が抜けている。
ミスティア『うああ。ルシさん、重症だね。とりあえず今日は落ちて寝た方がいいよ』
ルシエル『覚悟はしていたので、確認だったんですけど、思ったよりダメージを食らいました』
ミスティア『わかってたのに、わざわざ確認したの? ルシさん、マゾじゃ?』
ルシエル『否定できませんね』
ミスティア『否定してよ、そこは』
ミスティアが軽く言う。
けれど、その軽さも、いつもより少しだけ慎重だった。
ひまりは、何を言えばいいのかわからなかった。
大丈夫ですか、と聞くには、事情を知らなさすぎる。
聞かなかったふりをするには、ルシエルの声があまりにも静かだった。
グラディオ『寝ろ』
ルシエル『はい』
グラディオの言葉は短かった。
でも、それ以上何も聞かなかった。
それが、グラディオなりの線引きなのだと、ひまりにも少しだけわかった。
スカーレット『ログは明日でいい』
ルシエル『ありがとうございます』
ミスティア『いやほんと、今日はもう寝な。戦後ログより睡眠』
ルシエル『そうします』
ルシエルの声が、一度途切れた。
ルシエル『すみません。変なことを言いました』
ミスティア『変だけど、まあ、ルシさんだから』
ルシエル『それはどういう意味ですか』
ミスティア『真面目に傷ついて、真面目に報告しちゃうところ』
ルシエル『……否定できませんね』
ミスティア『今日は否定できない日だねえ』
少しだけ、空気が緩んだ。
けれど、痛みは消えていない。
笑いで覆っただけだ。
ひまりは、それを感じていた。
ルシエル『では、今日は落ちます。お疲れさまでした』
グラディオ『寝ろ』
ミスティア『おやすみ、ルシさん』
スカーレット『おやすみ』
ひまり『お、おやすみなさい』
ルシエル『おやすみなさい』
【System】Lucielがボイスチャンネルから退出しました。
退出音が鳴った。
そのあと、少しだけ沈黙が落ちた。
ミスティア『……いやあ、重いねえ』
グラディオ『触るな』
ミスティア『触らないよ。今日はね』
スカーレット『明日も触るな』
ミスティア『スカちゃんが言うと、物理っぽい』
スカーレット『触るな』
ミスティア『はい』
ひまりは、まだ何も言えなかった。
二回目の失恋。
ルシエルは、そう言った。
まるで、戦後ログの報告みたいに。
でも、その声は死んでいた。
誰にも言えなかったことを、うっかり落としてしまったような声だった。
ひまりは、画面の中に残った参加者名を見つめる。
グラディオ。
ミスティア。
スカーレット。
ひまり。
そこに、ルシエルの名前はもうない。
如月の名前もない。
けれど、二人の間に何かがあったことだけは、確かに残っていた。
ひまりは、聞いてしまった。
聞くつもりはなかった。
踏み込むつもりもなかった。
けれど、聞いてしまったからには、もう知らないふりだけではいられない気がした。
ルシエルは、いつも守ってくれる人だった。
ひまりの前に立つ人だった。
白い翼で庇ってくれた人。
戦場で背中を追わせてくれた人。
迷ったら声を出せと言ってくれた人。
その人が、誰にも言えない痛みを持っている。
そのことを、ひまりは初めて知った。
翌日。
もし、少しだけ話せる時間があったら。
聞いてもいいのだろうか。
聞かない方がいいのだろうか。
ひまりには、まだわからない。
ただ、ルシエルの死んだ声が、耳に残っていた。
たった今、二回目の失恋をしました。
その言葉が、音のない配信よりもずっと静かに、ひまりの胸の中へ沈んでいった。




