第33話 音のない配信
ウォーフロント本戦の前夜。
ひまりは、配信設定の画面を何度も確認していた。
映像入力。
ゲーム画面。
マイク入力。
マイク入力、オフ。
Discord音声、配信に乗せない。
これでいい。
何度見ても、設定は変わらない。
けれど、ひまりはもう一度だけ確認した。
――Discord:BEW幹部チャンネル――
ひまり『えっと、今日は……というか、明日は、音声なしでいいんですよね?』
グラディオ『いい』
返事は短かった。
いつものグラディオだった。
ミスティア『今回はVC乗せたら作戦だだ漏れだからねえ。ひまちゃんの声もなし。戦場映像だけ』
ひまり『はい。コメントも読まない感じで』
ルシエル『その方がいいと思います。今回は、ひまりさんが実況する配信ではありません』
ひまり『実況しない配信……ですか?』
如月『戦場を見るための窓です』
如月の声が入った。
ひまりは、少しだけ背筋を伸ばした。
まだ慣れない。
如月の声は静かだけれど、こちらを見ている感じがする。
如月『視聴者に全部を説明しようとしなくていいです。ひまりさんが見ている画面を、そのまま外に出してください』
ひまり『でも、私、ウォーフロントのこと、あまりわかってないです』
如月『だからいいんです』
すぐに返ってきた。
如月『詳しい人の解説視点ではなく、戦場を知らない人の視点になる。何が起きているかわからない。けれど、何かが起きていることは見える。それで十分です』
ミスティア『ひまちゃん視点、けっこう貴重なんだよねえ。上手い人の画面って、上手すぎて何してるかわからないから』
ひまり『私の画面も、何してるかわからないと思いますけど……』
ミスティア『ひまちゃんの場合は、わからない側の気持ちが乗る』
スカーレット『遅れなければいい』
ひまり『はい……』
ひまりは小さく返事をした。
遅れなければいい。
簡単なようで、明日はそれが一番怖い。
ウォーフロントは広い。
画面も忙しい。
敵も味方も多い。
それでも、ルシエルの後ろについていかなければならない。
スカーレット『ひまりは、ルシエルから離れない』
ひまり『はい』
スカーレット『見失ったら死ぬ』
ひまり『はい……』
ミスティア『スカちゃん、言い方』
スカーレット『事実』
如月『事実ですね』
ミスティア『如月まで乗らないで』
如月『見失わなければいいだけです』
ミスティア『言い方が強いんだよなあ』
少しだけ、チャンネルの空気が緩んだ。
ひまりも、ほんの少し笑えた。
怖い。
でも、怖いと言っていられる空気ではない。
明日は戦場へ行く。
しかも、ひまりは配信視点を持っていく。
自分の画面が、外から見られる。
自分が遅れたら、遅れたところも映る。
自分が迷ったら、迷ったところも映る。
そう考えると、また指先が冷たくなった。
ルシエル『ひまりさん』
ひまり『はい』
ルシエル『明日は、私の背中だけ見てください』
静かな声だった。
ひまりは画面の中のルシエルの名前を見る。
ルシエル『全部を見ようとしなくていいです。敵の数も、味方の位置も、点数も、無理に追わなくていい。私が移動したら移動する。止まったら止まる。それだけで構いません』
ひまり『はい』
ルシエル『もし遅れたと思ったら、無理に戻ろうとしないでください。近くの味方に寄る。スカーレットさんか、私の名前を探す。それも難しければ、止まらず安全な方向へ動く』
ひまり『安全な方向が、わからなかったら……』
如月『その時は、声を出してください』
ひまり『声を』
如月『はい。配信には乗りません。VCには乗ります。恥ずかしがらずに、わからないと言ってください』
ひまりは、うなずいた。
画面の前でうなずいても、誰にも見えない。
けれど、うなずいた。
ひまり『わかりました。わからなくなったら、言います』
グラディオ『それでいい』
グラディオが言った。
グラディオ『止まるな。黙るな。迷ったら言え』
ひまり『はい』
短い言葉だった。
でも、不思議と少し安心した。
完璧に動けと言われているわけではない。
失敗するな、と言われているわけでもない。
迷ったら言え。
(それは、迷ってもいいという意味ではない。
迷ったまま黙るな、という意味だ)
戦場の言葉は、優しくない。
けれど、優しくないからこそ、わかりやすい時がある。
ミスティア『で、如月。明日の開戦前、やるんだよね?』
如月『やります』
ひまり『やる?』
ミスティア『あー、ひまちゃんは知らないか。開戦前に如月がちょっと話す』
ひまり『説明ですか?』
如月『統制です』
その言葉だけ、少し響きが違った。
説明でも、挨拶でも、演説でもない。
統制。
ひまりは、その言葉を心の中で繰り返した。
ひまり『統制……』
如月『明日の味方は、強い人ばかりです』
如月は淡々と言った。
如月『強い人は、自分の勝ち筋を持っています。敵の癖を読み、地形を読み、自分で判断して動ける。それができるから、強い』
グラディオ『そうだな』
如月『ですが、明日はそれを一度止めます』
ひまりは、思わず黙った。
強い人たちの判断を止める。
(それは、どういうことだろう)
如月『全員が自分の最良判断で動けば、局地では勝てます。でも、ウォーフロントは局地で勝っても負けることがある』
ルシエル『点数が別に進みますから』
如月『はい。目の前の敵を倒せる。そこに勝ち筋が見える。けれど、戦場全体では不要な戦いだった、ということがある』
ミスティア『あるある。気持ちよく勝ってる間に、点数負けしてるやつ』
如月『明日は、それをしない』
声が少し硬くなる。
如月『個々の最良判断を、一度ルシエルへ預けてもらいます』
ひまりは、ルシエルの名前を見た。
ルシエルは何も言わなかった。
まるで、それが当然のように黙っている。
いや、違う。
(当然だから黙っているのではない。
たぶん、如月が何をしようとしているのか、わかっている。
それを止める気がないだけだ)
ひまり『それって、みんな納得してくれるんですか?』
如月『納得させます』
即答だった。
ミスティア『如月のそういうところ、怖いよねえ』
如月『怖がらせる必要はありません。ただ、集中させる必要はあります』
グラディオ『明日の参加者は、BEWだけじゃない』
如月『はい。助っ人もいます。古参もいます。ランカーもいます。PKフィールド帰りの戦争屋もいます。全員、強い。だからこそ、ばらける』
スカーレット『強い人は勝手に動く』
如月『そうです』
スカーレットの短い言葉に、如月がうなずく。
如月『勝手に動ける人たちを、勝手に動かさない。そのために、開戦前に一度、全員の目をルシエルへ向けます』
ひまりは、その光景を想像した。
強い人たち。
歴戦の人たち。
みんな、自分の勝ち筋を知っている。
その人たちに、今日は自分で判断するな、と言う。
ルシエルの声を聞け、と言う。
それは、優しいお願いではない。
たぶん、命令に近い。
如月『かわいく励ましても意味はありません』
ミスティア『誰もかわいいとは言ってないけどね』
如月『言われる前に否定しました』
ミスティア『先回りが過ぎる』
如月『戦場では必要です』
ひまりは、少し笑った。
けれど、如月の言葉の奥にあるものは笑えなかった。
明日、如月は味方全体の判断を一度止める。
全員の目を、ルシエルへ向ける。
そのために、どんな声を出すのだろう。
ひまりにはまだわからない。
ルシエル『如月さん』
如月『はい』
ルシエル『明日、私の名前を使って構いません』
ひまりは、その一言に少し驚いた。
使って構いません。
まるで、自分の名前を戦場の道具として渡すような言い方だった。
如月『使います』
如月も、ためらわなかった。
如月『あなたの声を聞かせるために、必要ですから』
ルシエルは短く息を吐いた。
笑ったのかもしれない。
困ったのかもしれない。
ひまりには、声だけではわからなかった。
ルシエル『お願いします』
如月『ええ』
短い。それだけのやり取り。
でも、ひまりはまた、胸の奥に小さな違和感を覚えた。
この二人は、やっぱり普通の知り合いではない。
それはもうわかっている。
けれど、何があったのかは知らない。
(知らないまま、明日、その二人と同じ戦場に入る)
ひまりは、配信設定の画面をもう一度見た。
マイク入力、オフ。
Discord音声、配信に乗せない。
明日、視聴者は如月の声を聞かない。
ルシエルの指示も聞かない。
グラディオの短い命令も、ミスティアの軽口も、スカーレットの護衛確認も、配信には乗らない。
見えるのは、画面だけ。
戦場の映像だけ。
けれど、その画面の裏には、たくさんの声がある。
ひまりは、それを知っている。
グラディオ『ひまり』
ひまり『はい』
グラディオ『配信開始は、待機エリアに入ってからでいい。音声なし。コメントは見なくていい』
ひまり『はい』
グラディオ『戦場中、返事が遅れるならコメントを見るな』
ひまり『見ません』
スカーレット『絶対見ないで』
ひまり『見ません……!』
ミスティア『圧がすごい』
スカーレット『見たら死ぬ』
ミスティア『だから言い方』
如月『見る余裕はないと思います』
ミスティア『如月も地味に追い打ちするよね』
如月『必要な認識です』
ひまりは、少しだけ肩の力を抜いた。
怖いことを言われているのに、不思議と落ち着いてくる。
やることが決まっているからだ。
配信は音声なし。コメントは見ない。ルシエルから離れない。迷ったら声を出す。止まらない。黙らない。
それだけ。
それだけを守ればいい。
ルシエル『明日の初動だけ、確認します』
ルシエルが言った。
ルシエル『開幕、自陣と中央にクリスタルが湧きます。中央へ向かいますが、割り切りません』
ひまり『割り切らないんですね』
ルシエル『はい。黒魔導士系と召喚士系の通常火力で削ります。序盤はLBがありません。メテオも撃てません』
ミスティア『最初からどーん、はできないからね』
ルシエル『中央を削って、敵を寄せます。追ってきたら下がります。ただし、自陣には戻りません』
ひまり『自陣には戻らない……』
ルシエル『月下側へ抜けます』
ひまりは、必死で頭の中に入れた。
中央を削る。割らない。下がる。自陣に戻らない。月下側へ抜ける。
言葉にすると簡単なのに、実際の画面では絶対に混乱する自信がある。
ルシエル『ひまりさんは、理由を覚えなくていいです。私が移動したらついてきてください』
ひまり『はい』
如月『ひまりさんが理由を理解するより、遅れない方が大事です』
ひまり『はい……』
ミスティア『ほら、また強い』
如月『明日はもっと強く言います』
ミスティア『だろうねえ』
ミスティアは笑った。
いつもの軽い笑い。
でも、ひまりはもう知っている。
ミスティアの軽さには、ときどき何かが隠れている。
如月と話す時のミスティアは、ほんの少しだけ軽すぎる。
ルシエルと如月が話す時、ミスティアは少しだけ早く茶化す。
それがなぜなのか、ひまりにはわからない。
わからないことが、増えていく。
けれど、明日は戦場だ。
わからないことを全部理解してから行ける場所ではない。
グラディオ『今日はここまでだ』
グラディオが言った。
グラディオ『各自、明日の準備。ログ確認。装備セット確認。ひまりは配信設定を保存しておけ』
ひまり『はい』
スカーレット『ひまり、あとで一回、騎乗と追尾の練習する』
ひまり『えっ、今からですか?』
スカーレット『今から』
ミスティア『スカちゃん鬼教官』
スカーレット『必要』
如月『必要ですね』
ひまり『如月さんまで……』
ルシエル『短くで大丈夫です。ひまりさん、無理のない範囲で』
グラディオ『やれ』
ルシエル『……無理のない範囲で、やってください』
ミスティア『団長の一言で範囲が消えた』
ひまりは、思わず笑ってしまった。
怖い。
明日は怖い。
でも、この人たちは本気で準備している。
ひまりが遅れないように。
ひまりが迷わないように。
そして、戦場に勝つために。
会議が終わり、何人かがチャンネルから抜けていった。
それでも、ひまりはまだ配信設定の画面を閉じなかった。
音声なし。
戦闘映像だけ。
自分の声も、仲間の声も、外には届かない。
視聴者は、明日、画面だけを見る。
けれど、ひまりは知っている。
その画面の裏で、如月が全員の判断を止める。
強い人たちの目を、ルシエルへ向ける。
ルシエルは、その声を受けて、戦場を見る。
グラディオは団長として動く。
ミスティアは軽口を言いながら、たぶん全部を見ている。
スカーレットは、ひまりの隣にいる。
そして自分は、音のない配信で、その戦場を外へ見せる。
ひまりは、配信設定を保存した。
【System】配信設定を保存しました。
画面に出た小さな文字を見て、息を吐く。
強い人たちの判断を止める。
全員の目を、一人の指揮官へ向ける。
そのために、如月がどんな声を出すのか。
ひまりがそれを知るのは、開戦三十秒前のことだった。




