第31話 固定が壊れた日
会議が終わったあとも、ルシエルはしばらく画面を閉じられなかった。
Discordの参加者欄から、如月の名前はもう消えている。
けれど、声だけが残っていた。
あなたは、味方が最初に怖がる場所を空にしないから。
そう言われた瞬間、返事が遅れた。
(遅れたことを、たぶんグラディオは気づいている。
ミスティアも気づいている。
スカーレットは、そこまでは興味がなかったかもしれない。
ひまりさんは、わからないなりに空気の違いだけを拾っていた)
如月さんは、変わっていなかった。
少なくとも、戦場を見る時の声だけは。
ルシエルは椅子の背にもたれ、目を閉じた。
ウォーフロント。
BEWに入ってからは、適当にしか触れていなかった戦場。
けれど昔は、そこがルシエルの居場所だった。
まだ〈Black End Wing〉の副長ではなかった頃。
まだグラディオの隣で、PKフィールドや攻城戦の後処理をするようになる前。
ルシエルには、ウォーフロントの固定があった。
人数は多くない。
けれど、よく回る固定だった。
前に出る者。
引く判断をする者。
ターゲットを合わせる者。
支援を重ねる者。
誰かが崩れた時に、黙って穴を埋める者。
その中で、ルシエルは現場指揮をしていた。
点数を見る。
残り時間を見る。
どの拠点を取るか。
どこを捨てるか。
どこでぶつかるか。
どこでは絶対にぶつからないか。
ウォーフロントは、強い敵を倒せば勝てる戦場ではない。
倒している間に点数を失えば負ける。
守っている間に他陣営が伸びれば負ける。
中央で勝っているように見えて、外周を全部取られていれば負ける。
だから、ルシエルは数字を見ていた。
勝つための数字。
味方を動かすための言葉。
そして、その言葉が本当に味方を動かせるかどうかは、別の問題だった。
そこに、如月がいた。
如月はヒーラーだった。
ただ、回復が上手いだけのヒーラーではなかった。
敵がどこで焦るかを見る。
味方がどこで止まりそうかを見る。
指揮官が言う前に、次のぶつかり場所の空気を読む。
点数上は正しくても、今の味方がそこへ乗れるかどうかを測る。
ルシエルが勝ち筋を計算するなら、如月はその勝ち筋へ味方を乗せる人だった。
そして、帰蝶がいた。
帰蝶は、とても上手いヒーラーだった。
反応が速い。
ヒールを重ねるタイミングがいい。
押し返す瞬間に、必要な支援を迷わず入れる。
味方が崩れそうな場所に、過不足なく手を伸ばす。
帰蝶と如月は、ヒーラーのバディとしてよく噛み合っていた。
如月が先に戦場の崩れを読む。
帰蝶が、実際に崩れた場所を厚く戻す。
如月が敵のバーストを警戒する。
帰蝶が、そのタイミングに合わせて回復を置く。
どちらか片方だけでは、あの固定はあそこまで強くなかった。
ルシエルは、それを知っている。
帰蝶がただの補助役ではなかったことも。
如月だけが特別だったわけではないことも。
それでも。
それでもルシエルは、如月を見ていた。
その日のウォーフロントは、序盤から点数が悪かった。
味方陣営は中央で負け、北の拠点も取られた。
南に寄った味方は戻りが遅く、外周の点数も伸びていない。
普通なら、そのまま沈む流れだった。
ルシエル『北を捨てます。中央で点差を詰める』
帰蝶『合わせます』
如月『待って。南の固定、焦ってる』
如月の声が入った。
如月『あそこ、今の点差で中央に来たがってる。でも足並みがそろってない。中央に来る前に、一回ぶつけられる』
ルシエル『……南を釣ります』
如月『その方がいい。今なら乗る』
帰蝶『じゃあ、戻し厚めにします。前衛、落とさせません』
ルシエルはマップを見た。
点差。残り時間。敵陣営の位置。味方の復帰速度。中央へ向かうライン。
如月の言う通りだった。
南の固定は焦っている。
こちらが引くと見せれば、必ず追う。
追ってくるなら、中央に入る前にぶつけられる。
そこで相手の足を止めれば、第三陣営が中央へ入る。
敵同士をぶつける。
こちらは、その間に点数を拾う。
ルシエル『第1、下がりすぎないでください。第2、南へ見せます。ぶつかるのは坂下。カウントします』
如月『いい。そこなら乗る』
帰蝶『前衛、戻します』
そのあと、盤面は返った。
劇的な一撃があったわけではない。
誰かが一人で十人を倒したわけでもない。
ただ、味方が動いた。
必要な場所へ。
必要なタイミングで。
ルシエルが数字を見て、如月が戦場の空気を拾い、帰蝶が崩れそうな味方を支えた。
そうやって、勝った。
何度も。
何度も、そうやって勝った。
負けたと思った盤面を、最後に返す。
味方が崩れそうな時ほど、ルシエルは声を荒げなかった。
如月は焦った味方の足元を見ていた。
帰蝶は必要な場所へ回復を重ねた。
あの固定は強かった。
だから、界隈でも名前が知られるようになった。
どこが相手でも、なぜか最後に勝っている。
点差が開いても、なぜか戻してくる。
構成が悪くても、なぜか形にする。
そんなふうに言われた。
その中心に自分がいたことを、ルシエルは否定しない。
でも、ひとりで勝っていたわけではない。
あの固定には、帰蝶がいた。
如月がいた。
そして、いつからか。
ルシエルは、如月の声を待つようになっていた。
次に何を見るのか。
どこを危ないと言うのか。
どこなら乗ると言うのか。
如月が「そこ」と言えば、味方が動く形が見えた。
如月が「待って」と言えば、数字だけでは見えない何かが戦場にあるのだとわかった。
(それが、指揮官としての信頼なのか。
それとも、もっと別のものだったのか。
当時のルシエルは、そこまで丁寧に分けて考えていなかった)
ただ、如月を見ていた。
帰蝶の気持ちに、まったく気づいていなかったわけではない。
たぶん。
たぶん、気づかないふりをしていた。
帰蝶は優しかった。
戦場では強く、VCでは穏やかで、ルシエルの指示に迷わず合わせてくれた。
勝ったあと、嬉しそうに笑う声も覚えている。
帰蝶『今の、すごかったです。あそこから返せるんですね』
ルシエル『帰蝶さんの戻しがあったからです』
帰蝶『それ、ずるい言い方です』
そう言って、帰蝶は笑っていた。
その笑いに、どんな意味が乗っていたのか。
当時のルシエルは、正面から受け止めなかった。
(受け止めれば、何かを選ばなければならなかったからかもしれない)
そして、ルシエルは如月を選んだ。
ある夜。
ウォーフロントのあと、固定の解散時間を過ぎても、如月だけがVCに残っていた。
帰蝶は先に抜けていた。
他のメンバーもいない。
マッチングの余韻だけが、静かに残っていた。
ルシエルは、そこで気持ちを伝えた。
戦場の話ではなく。
指揮の相談でもなく。
次のマップの確認でもなく。
如月さんが好きです、と。
言葉にしてしまえば、短かった。
その短さで、何かが終わるとは思っていなかった。
如月はすぐには答えなかった。
沈黙があった。
長い沈黙だった。
やがて、如月は静かに言った。
如月『ごめんなさい』
理由は、言わなかった。
少なくとも、ルシエルにはそう聞こえた。
それ以上、踏み込むことはできなかった。
翌週、如月は固定に来なかった。
体調不良だと言った。
忙しいとも言った。
その次の週も来なかった。
そして、固定を抜けると連絡が来た。
丁寧な文章だった。
今までありがとう。
楽しかった。
迷惑をかける前に抜けたい。
そんな内容だったと思う。
ルシエルは、何度も読み返した。
でも、どこにも理由は書かれていなかった。
如月は、いなくなった。
それだけだった。
如月が抜けると、固定は目に見えて形を失った。
勝てなくなったわけではない。
帰蝶は残っていた。
彼女は相変わらず上手かった。
むしろ、如月が抜けた穴を埋めようとして、以前よりずっと無理をしていた。
帰蝶『大丈夫です。そこ、私が見ます』
帰蝶『戻せます』
帰蝶『合わせます』
帰蝶は、何度もそう言った。
実際、合わせてくれた。
崩れた味方を戻し、敵のバーストに耐え、押し返すタイミングに支援を置いた。
けれど、如月が見ていたものまでは、帰蝶の仕事ではなかった。
敵の焦り。
味方の怖がり方。
指揮官の言葉に乗れるかどうか。
まだ数字になる前の戦場の揺れ。
それを拾う声が消えた。
帰蝶は上手いヒーラーだった。
だが、如月の代わりではなかった。
そんなことを、ルシエルは口にしなかった。
言えるはずがなかった。
(言えば、帰蝶を傷つける。
言わなくても、たぶん傷つけていた)
ほどなくして、帰蝶も固定を抜けた。
引き止める言葉は、あった。
でも、言えなかった。
帰蝶が何を見て、何を感じて、何に耐えていたのか。
そのすべてを、ルシエルが知らなかったわけではない。
知らないふりをしていただけだ。
如月が抜けた。
帰蝶も抜けた。
ヒーラーのバディが消えた。
戦場を見る声と、戦場を支える手が、同時に消えた。
固定は、もう元の形には戻らなかった。
ルシエルは解散を決めた。
その報告をした日のことを、今でも覚えている。
VCに集まったメンバーは、誰も大きな声を出さなかった。
責める声もなかった。
ただ、静かだった。
ルシエル『すみません。この固定は、今日で解散にします』
誰かが息を呑んだ。
誰かが、そっか、と言った。
誰かが、今までありがとう、と言った。
それで終わった。
ほとんど無敗と言われた固定は、そうやって壊れた。
掲示板は少し荒れた。
――匿名掲示板:BROウォーフロント総合スレ Part198――
512:名無しの冒険者
ルシエル固定解散マジ?
513:名無しの冒険者
マジっぽい
最近見ないと思ったら
514:名無しの冒険者
あそこ崩れるのかよ
515:名無しの冒険者
如月抜けた時点で嫌な予感はしてた
516:名無しの冒険者
帰蝶もいなくなったんだろ?
そりゃ無理だわ
517:名無しの冒険者
あのヒラ二枚が強かったんだよな
518:名無しの冒険者
ルシエル指揮もう見れないのか
519:名無しの冒険者
ウォーフロント終わったな
終わったわけではない。
ゲームは続いた。
ウォーフロントも続いた。
新しい指揮官も出てきた。
新しい固定も生まれた。
ただ、ルシエルの固定が終わっただけだ。
それだけのことだった。
それだけのことのはずだった。
そのあと、ルシエルはウォーフロントから距離を置いた。
嫌いになったわけではない。
ただ、入る理由がなくなった。
マップを見ても、如月の声は聞こえない。
味方が崩れても、帰蝶の「戻します」は聞こえない。
点数を見れば勝ち筋は浮かぶのに、その勝ち筋へ誰を乗せればいいのかわからなくなった。
そんな時に、グラディオから声がかかった。
最初は、ウォーフロントとはまったく違う話だった。
PKフィールド。
ギルド戦争。
装備。同盟。ルート。攻城戦。
ルシエルがそれまで中心にしていた戦場とは、別の文化。
けれど、そこには別の形の役割があった。
グラディオは短く言った。
グラディオ『うちに来るか』
理由は、あまり説明されなかった。
(必要だったのだと思う。
前線を支えるナイトが。
味方を守れる副長が。
数字を見て、戦場で折れない人間が)
ルシエルは、BEWへ行った。
ウォーフロントの固定を解散し、昔の戦場から離れて、黒翼の中へ入った。
そこには、グラディオがいた。
ミスティアがいた。
スカーレットがいた。
そして今は、ひまりさんがいる。
違う戦場。
違う役割。
違う仲間。
そう思っていた。
もう、ずいぶん遠くまで来たと思っていた。
けれど今日、如月の声が戻ってきた。
久しぶり、ルシエル。
その一言で、ルシエルは昔の戦場へ戻された。
砂地に足を踏み入れた瞬間、底が思ったより柔らかかった時みたいな感覚だった。
遠くまで来たと思っていたのに、その遠さごと崩れていくような。
如月はBEW側に入る。
帰蝶は月下側にいる。
そしてルシエルは、もう一度ウォーフロントの現場指揮をすることになる。
昔とは違う。
如月は、もう固定の如月ではない。
帰蝶も、味方のヒーラーではない。
ルシエルも、あの頃の指揮官ではない。
そう言い聞かせても、完全には切り離せなかった。
戦場は、人を覚えている。
誰がどこで迷ったか。
誰が誰を支えたか。
誰が誰の声を待っていたか。
そういうものを、ゲームのログは残さない。
けれど、消えたわけではない。
ルシエルは目を開けた。
画面には、次のウォーフロントに向けたメモが残っている。
月下繚乱。
山塞の山賊団。
実質同盟。
二倍の敵。
装備差なし。
配信あり。
そして、如月。
ルシエルはキーボードに手を置いた。
今さら過去をやり直すことはできない。
如月がなぜ抜けたのかも、帰蝶が何を思っていたのかも、もう当時のまま聞くことはできない。
ただ、次の戦場は来る。
味方は待つ。
敵は動く。
点数は進む。
判断は遅れてくれない。
固定が壊れた日から、ずっと遠くへ来たつもりだった。
けれど戦場は、思ったより簡単に、過去の声を連れて戻ってくる。
ルシエルは、ゆっくり息を吐いた。
それでも。
次に声を出すのは、自分だ。




