第27話 エントランス
鉄血旅団が黒翼城を攻めた翌日、BROの中はまだ少し浮かれていた。
負けたはずの鉄血旅団は、負け方がきれいだったと評判になった。
城門前で初代と二代目にしばかれ、三代目のヴォルフラムは《黒鉄鎌グリムリーパー》を折られた。
けれど、そのあとがよかった。
負けを認める。
撤退を指示する。
古戦場協定の義を果たしたとして、きれいに降りる。
掲示板では、鉄血の株が上がっていた。
小麦畑も話題になっていた。
黒潮が戦場で新しい鎌の営業をしたこと。
白ドレスのフルコーデが売れていること。
グリムリーパー風の表示用武器の問い合わせが増えていること。
BEWは黒翼城を守った。
ひまりの配信はまた伸びた。
月下繚乱はまだ動いていない。
ゲームの中では、話題が次々と流れていく。
鉄血。
小麦畑。
黒翼城。
ひまり。
ルシエル。
帰蝶。
月下繚乱。
その中で、シルヴィスの名前は、少しずつ薄くなっていた。
Daybreakのギルドハウスは、以前より静かだった。
人がいないわけではない。
ただ、誰も余計なことを言わない。
装備を失った者。
脱退を迷っている者。
様子見に入った者。
別キャラで遊び始めた者。
Daybreakは、まだギルドとして残っている。
けれど、かつての熱はない。
ナハトもいない。
その事実が、シルヴィスには一番重かった。
何かを言えば、ナハトが止めに来た。
怒ることもあった。
呆れることもあった。
それでも最後には、Daybreakの副長として後始末をした。
そのナハトが、いない。
《Nacht》は消えた。
キャラクターも、Discordも、SNSも、連絡先も。
何もかも、シルヴィスの届かない場所へ行ってしまった。
「……私だけが、悪いの?」
声に出しても、誰も返事をしなかった。
ギルドチャットには、鉄血戦の話題がまだ流れている。
【Guild】Daybreak兵:鉄血、負けたのに評判いいな
【Guild】Daybreak兵:あれは負け方が上手かった
【Guild】Daybreak兵:ヴォルフラム普通にかっこよかった
【Guild】Daybreak兵:小麦畑の営業で笑ったわ
シルヴィスは、そのログを見ていられなかった。
鉄血は負けたのに、褒められている。
Daybreakは、負けたあとに何も残らなかった。
装備を失った。
ナハトが消えた。
自分は掲示板で笑われた。
ひまりへのWhisperも届かなかった。
誰も、シルヴィスの話を聞いてくれない。
帰蝶は、聞いてくれると思った。
同じように、ひまりとルシエルのスクリーンショットに何かを感じているはずだと思った。
けれど、帰蝶はシルヴィスではなかった。
あの女は、静かだった。
シルヴィスのように燃え上がらない。
ひまりを憎まない。
ルシエルの隣に立つ白いドレスを見ても、ただ黙って考えている。
それが、シルヴィスにはわからなかった。
どうして黙っていられるのか。
どうして、あの子が許されるのか。
どうして、あの子だけが守られるのか。
どうして、自分はだめだったのか。
グラディオ。
その名前を思うと、胸の奥が締めつけられる。
グラディオだけが、答えを持っているような気がした。
彼が言った。
女は入れない、と。
あの時、シルヴィスは拒まれた。
なのに、ひまりは入った。
装備担当。
生産職。
戦えない女の子。
何も知らない顔で、BEWの中にいる。
グラディオが許したからだ。
グラディオが迎えたからだ。
だから、グラディオに聞かなければならない。
どうして。
どうして自分ではだめだったのか。
ゲーム内のWhisperでは、届かない。
掲示板では、笑われる。
ギルドを通せば、きっと誰かが止める。
ナハトはもういない。
だから、直接話すしかない。
そう思った時点で、シルヴィスはもう境界線の近くにいた。
グラディオのマンションを、シルヴィスは知っていた。
調べたわけではない。
誰かから聞いたわけでもない。
焼き肉屋会談の夜だった。
会談が終わり、ナハトと別れたあと、シルヴィスはすぐには帰らなかった。
店の前から少し離れた場所で、グラディオとルシエルの背中を見ていた。
二人は並んで歩いていた。
ルシエルは、グラディオの隣を当たり前のように歩いていた。
その距離が、ひどく自然だった。
何も言わなくても通じているように見えた。
グラディオが先に歩き、ルシエルが半歩後ろをついていく。
けれど、従っているという感じではなかった。
古い付き合いのある者だけが持つ、遠慮のなさ。
シルヴィスは、それを見ていた。
帰ればよかった。
そうすれば、まだ何かが変わったかもしれない。
けれど、足が動いた。
二人のあとを、追っていた。
少し離れて。
気づかれないように。
同じ方向へ歩くだけだと、自分に言い聞かせながら。
恵比寿から、代官山へ寄るような道。
夜の低層マンション。
オートロックのエントランス。
グラディオがキーをかざし、ルシエルがその後ろから中へ入っていく。
その光景を、シルヴィスは少し離れた場所から見ていた。
グラディオの現実の生活圏。
ゲームの中では届かなかった場所。
そこに、ルシエルは入っていった。
あの人の隣に、当たり前のように。
その場所を、シルヴィスは覚えていた。
グラディオが毎日十六時にジムへ行くことも知っている。
以前、VCで誰かが聞いた。
夕方にいないことが多いですね、と。
グラディオは短く答えた。
ジムだ、と。
十六時。
毎日。
そう言っていた。
なら、帰ってくる時間もだいたいわかる。
シルヴィスは、現実の服に着替えた。
ゲーム内の白い軍装ではない。
銀髪のキャラクターでもない。
ただの、自分。
それが、ひどく頼りなく思えた。
それでも、行くしかなかった。
話を聞いてもらうだけ。
謝るだけ。
自分だけが悪いのか、聞くだけ。
そう何度も言い聞かせた。
グラディオのマンションの前に着いた時、エントランスのガラス扉は閉じていた。
中には入れない。
当然だ。
だから、外で待った。
自分は、何も悪いことをしているわけではない。
話をしに来ただけ。
謝りに来ただけ。
そう思おうとした。
けれど、通行人が近づくたびに、シルヴィスはわずかに身を硬くした。
何をしているのか、と聞かれたら答えられない。
グラディオの知人です。
話があって来ました。
そう言えばいい。
でも、本当にそうなのだろうか。
時計を見る。
十七時を少し過ぎていた。
やがて、スポーツバッグを肩にかけた男が、通りの向こうから歩いてきた。
黒い髪。
ジム帰りらしい軽い上着。
汗を拭いたあとらしいタオルが、バッグの横から見えている。
ゲーム内の黒槍の指揮官とは違う。
けれど、すぐにわかった。
グラディオだった。
グラディオも、エントランス前に立つシルヴィスを見つけて足を止めた。
驚いた顔はしなかった。
ただ、表情が消えた。
「何をしている」
声は低かった。
ゲーム内で聞く声と、同じだった。
それだけで、シルヴィスの胸が詰まった。
「……話を、しに来たの」
「ここでか」
「ゲームだと、聞いてくれないから」
「ゲームの話なら、ゲーム内でしろ」
シルヴィスは唇を噛んだ。
そう言われることは、わかっていた。
でも、そう言われたくなかった。
「謝りたかったの」
「謝罪なら、ここへ来る必要はない」
「でも、グラディオは私の話を聞いてくれない」
「聞く必要がある話は、会談で聞いた」
「足りないの」
シルヴィスは、思わず一歩近づいた。
グラディオは動かなかった。
けれど、その目が冷えた。
「私だけが悪いの? Daybreakだって、みんな納得してたわけじゃない。ナハトだって、止めてくれなかった。なのに、ナハトまでいなくなった」
「俺の住居へ来る理由にはならない」
「ナハトがいなくなったのよ」
「それも、俺の住居へ来る理由にはならない」
シルヴィスは息をのんだ。
言葉が壁に当たって落ちていく。
ゲーム内であれば、まだ何かを言えた。
グラディオが怒れば、怒り返せた。
ナハトが間に入れば、泣くこともできた。
けれど、目の前のグラディオは怒っていなかった。
感情を受け取ろうともしていなかった。
「……あの子より前に、私がいたのに」
小さな声だった。
それでも、グラディオには聞こえた。
「私の方が、先にBEWに入りたかった。あなたの隣に行きたかった。なのに、どうしてあの子はよくて、私はだめだったの?」
「ひまりは装備担当だ」
「そんな言い方、ずるい」
「事実だ」
「あの子は守られてる。ルシエルにも庇われて、小麦畑では聖女みたいに扱われて。何も知らない顔で、全部持っていく」
「ひまりは、お前に何もしていない」
「わかってる!」
声が跳ねた。
エントランスの前を通りかかった人が、ちらりとこちらを見た。
グラディオの目が、さらに冷えた。
シルヴィスは気づかないふりをした。
「わかってるわよ。あの子は何も知らない。だから余計に苦しいの。何も知らない子が、私が欲しかった場所にいるのよ。私は、ずっと前から……」
「滝」
リアルの名前を呼ばれて、シルヴィスは止まった。
グラディオは、短く聞いた。
「どうやってここを知った」
シルヴィスの喉が詰まった。
答えられなかった。
その沈黙だけで、グラディオには十分だった。
「焼き肉屋のあとか」
シルヴィスの指先が、かすかに動いた。
肯定だった。
グラディオの表情が、完全に消えた。
「その時点で、もう違う」
「違うって、何が」
「会談のあとに、俺たちをつけたんだな」
「……違う。そういうつもりじゃ」
「つけたんだな」
シルヴィスは黙った。
言い訳を探した。
まだ話したかった。
謝るタイミングを探していた。
二人がどこへ行くのか気になっただけ。
偶然、同じ方向だった。
どれも言葉にならなかった。
グラディオは、静かに言った。
「ゲーム内のことは、ゲーム内で処理する」
シルヴィスは顔を上げた。
「ギルド間のことは、ギルド間で処理する」
グラディオの声は、低く、平坦だった。
「だが、ここは俺の生活圏だ」
シルヴィスの胸が、強く痛んだ。
生活圏。
その言葉が、ひどく遠かった。
ゲーム内の城ではない。
ギルドハウスではない。
Discordのチャンネルでもない。
グラディオが帰る場所。
ルシエルが、何のためらいもなく入っていった場所。
そこに、自分は立っている。
「話を聞いてほしかっただけなの」
「ここへ来るな」
「そんな言い方しなくても」
「次に来たら、警察に通報する」
シルヴィスは固まった。
警察。
その言葉で、急に現実の音が戻ってきた。
車の走る音。
歩道を歩く人の足音。
マンションのエントランスの自動ドアが、誰かの出入りで小さく開く音。
「私は、そんなつもりじゃ」
「つもりの話はしていない」
グラディオは遮った。
「お前は会談後に俺たちをつけた。住居を覚えた。今日、ここで待っていた」
「……」
「次は通報する」
短い言葉だった。
けれど、それ以上の余地はなかった。
シルヴィスは、唇を震わせた。
泣きたかった。
怒りたかった。
どうしてそんなに冷たいのかと責めたかった。
でも、グラディオの表情を見ると、何も言えなかった。
ゲーム内でシルヴィスを撃破した時の顔ではない。
ギルドマスターとして、戦争を処理している顔でもない。
これは、現実の生活圏に踏み込んだ相手を見る顔だった。
グラディオは、エントランスの扉にキーをかざした。
自動ドアが開く。
シルヴィスは、その場から動けなかった。
「帰れ」
グラディオは中へ入った。
ガラスの扉が閉まる。
透明な扉の向こうに、グラディオの背中が見えた。
近い。
見える。
けれど、もう届かなかった。
シルヴィスは、しばらくその場に立っていた。
手の中のスマホが震えた。
通知だった。
Daybreakのギルドチャット。
月下繚乱の動向。
掲示板の新着。
ゲームの中は、まだ動いている。
けれど、今のシルヴィスは、どの画面にも戻れなかった。




