第26話 帰蝶の理由
鉄血旅団が黒翼城を攻めた翌日。
帰蝶は、月下繚乱の本拠地で、ひとりモニターを見つめていた。
画面に映っているのは、一枚のスクリーンショット。
白いドレスのひまり。
その隣に立つ、白金のナイト装備のルシエル。
小麦畑の聖堂風ホールで撮られたその一枚は、今でもSNSで流れている。
聖女と騎士。
黒翼に守られる白い少女。
外から見れば、そういう物語に見えるのだろう。
けれど帰蝶が見ていたのは、ひまりではなかった。
ルシエルだった。
かつて、一緒にウォーフロントで戦っていた男。
顔は知らない。
リアルでどんな姿をしているのかも知らない。
知っているのは、VC越しの声と、戦場での指示だけだった。
それでも、帰蝶はルシエルが好きだった。
はっきりと振られたわけではない。
けれど、わかっていた。
同じ固定にいた、もう一人のヒーラー。
如月。
ルシエルの視線が、彼女へ向いていることだけは、嫌でもわかった。
如月は、ただ回復を合わせるだけのヒーラーではなかった。
戦場全体を見るのが異様にうまかった。
敵の癖を読み、味方の詰める位置を見て、次に崩れる場所を先に見つける。
指揮官が言葉にするより一拍早く、盤面の歪みを拾う。
ルシエルの指揮は、そこに如月の読みが重なった時、ほとんど魔法のように戦場をひっくり返した。
帰蝶も、その中にいた。
ルシエルの声に合わせて回復を入れ、押し返す瞬間に支援を重ねる。
負けたと思った盤面が、最後には勝ちに変わる。
その高揚を、まだ覚えている。
ある日、如月が固定を辞めると言った。
理由は、はっきりとは語られなかった。
けれど、VCの空気でわかった。
ルシエルと如月の間にあった、言葉にならないもの。
近すぎた距離。
戻れなくなった沈黙。
帰蝶は、そのあとで自分も辞めると告げた。
そうして、ルシエルのウォーフロント固定は崩壊した。
どんな陣容でも勝ち筋を作る。
不利なマッチングでも、最後には必ず盤面を返す。
ほとんど無敗とまで言われた人気固定の解散は、界隈を震撼させた。
掲示板も荒れた。
憶測も飛んだ。
誰が悪いのかと、外野は勝手に名前を並べた。
けれど帰蝶にとって、あれはもっと単純な話だった。
自分は、ルシエルの隣に立ちたかった。
そして、その場所には、自分ではない誰かがいた。
それだけの話だった。
顔を知らない相手を好きになるなんて、と言われれば、帰蝶にも反論は難しかった。
けれど、顔を知っていれば安心なのかと聞かれると、それも違う気がしていた。
現実で会う相手だって、最初は服を選ぶ。
表情を作る。
感じのいい言葉を並べる。
何度か食事をしただけで付き合うと決め、半年後には結婚を決めた友人もいた。
帰蝶はそれを否定しなかった。
ただ、自分には少し怖かった。
どうしてそんなに早く信じられるのだろう、と。
実際、そうして早くに結婚を決めた友人の何人かは、もう離婚している。
現実だから本物。
ゲームだから偽物。
そんなに単純ではない。
ゲームの中にも嘘はある。
キャラクターの見た目はいくらでも飾れる。
声の出し方も作れる。
優しい言葉だって、打とうと思えばいくらでも打てる。
それでも帰蝶には、戦場での選択の方が信じられた。
追い詰められた時、何を守るか。
誰を見捨てないか。
負けが見えた盤面で、怒鳴るのか、諦めるのか、それともまだ勝ち筋を探すのか。
そういうものは、取り繕いにくい。
ルシエルは、追い詰められても声を荒げなかった。
崩れかけた味方を見捨てない。
誰かのミスを責めるより先に、そこから勝てる道を探す。
孤立した味方を拾い、伸びすぎた敵を切り、薄くなったラインに盾を入れる。
正確な指揮。
冷静な判断。
周囲を守りながら、最後には勝ちへ進んでいく前向きさ。
その声を聞いていると、帰蝶は高揚した。
この人の指示に合わせれば、まだ押し返せる。
この人が盤面を見ているなら、負けたと思った場所からでも勝てる。
そう思えた。
だから、顔を知らないことは、帰蝶にとって決定的な問題ではなかった。
むしろ、見た目や人当たりで飾られた現実の誰かより、極限での選択の中に見えたルシエルの人間性の方が、よほど信じられた。
モニターの中で、白いドレスのひまりは、少し困ったように立っている。
たぶん、本人は何もわかっていない。
このスクリーンショットがどれだけ拡散され、どれだけの意味を勝手につけられたのかも。
ひまりが、ルシエルへ特別な感情を向けているようには見えなかった。
むしろ、配信の流れに押されて、その場に立たされているだけに見えた。
だから、シルヴィスの声に混じっていた、刺すような嫉妬にはなれない。
あの子が奪った。
あの子だけが許された。
あの子がいるから、自分が否定された。
そんなふうには思えなかった。
ひまりは、何も知らない。
ルシエルの声も、あの頃の戦場も、勝てない盤面がひっくり返る瞬間も知らない。
たぶん、自分が誰の古傷を撫でたのかもわかっていない。
だから、責める相手ではない。
そこは、わかっている。
わかっているのに。
ルシエルの姿を見ると、思い出してしまう。
あの頃の声を。
短く、正確な指示を。
押し込まれた戦場で、まだ勝てると言い切った時の、あの静かな熱を。
画面の中のルシエルは、ただ立っているだけだった。
それなのに帰蝶は、昔の戦場の音を聞いていた。
帰蝶は、まだルシエルが好きなのだと思う。
そう認めてしまえば、話は早かった。
けれど、それはシルヴィスのような、刺すような嫉妬ではない。
ひまりが憎いわけではない。
あの子が奪ったと思っているわけでもない。
ルシエルが今、ひまりに恋をしているようにも見えない。
ただ、あの人の隣に立つ白いドレスを見た時、思い出してしまった。
自分が立ちたかった場所。
自分が、もう戻れない場所。
帰蝶は、開いたままのスクリーンショットを閉じられなかった。
鉄血旅団は、昨日きれいに降りた。
正面から黒翼城を攻めた。
初代と二代目に挑んだ。
三代目は武器を折られても崩れず、負けを認めた。
そして撤退した。
負けたのに、鉄血の株は上がった。
戦争をしに行ったからだ。
戦争をして、負けて、降りた。
だから、誰も鉄血を責められない。
権蔵の言葉が、帰蝶の中に残っている。
月下は、何をしに行くんだ。
BEW一強への牽制。
古戦場協定の筋。
配信によって物語化されていく戦争への警戒。
理由はいくつも並べられる。
どれも嘘ではない。
BEWは強い。
ひまりの配信によって、その強さは外へ見えるようになった。
黒翼城の防衛も、鉄血旅団の撤退も、初代と二代目の登場も、すべて配信の中で物語になった。
このままBEWだけが目立てば、古戦場協定側の戦争文化は、いずれ脇役にされる。
それは確かに、月下繚乱のギルドマスター補佐として考えるべき問題だった。
けれど。
その理由を並べるたびに、どこかでずれていく気がした。
本当に自分は、BEW一強を止めたいのか。
本当に自分は、配信による物語化を危ういと思っているだけなのか。
それとも。
ルシエルの隣に立つ白いドレスを、見ていられなかっただけなのか。
帰蝶は、答えを出せなかった。
出せないまま、月下繚乱を動かすわけにはいかない。
少なくとも、それだけはわかっていた。
シルヴィスのようにはなれない。
自分の傷を、ひまりへ向けて投げつけることはできない。
月下繚乱は、Daybreakではない。
帰蝶は、シルヴィスではない。
だからこそ、動くなら理由がいる。
自分のためではない理由が。
月下繚乱として立てる、ちゃんとした理由が。
通知音が鳴った。
帰蝶は、モニターの端を見た。
――Discord:月下繚乱・幹部チャンネル――
紫苑:帰蝶、少しいいですか。
帰蝶は、開いたままのスクリーンショットから視線を外した。
帰蝶:はい。
すぐに返事が来る。
紫苑:権蔵さんから連絡が入りました。




