第18話 見たじゃなくて、食らったことある
幹部用のVCに最初に声を上げたのは、ひまりだった。
ひまり『あの、ずっと気になってたんですけど』
ルシエル『なんですか』
ルシエルの声は、いつも通り穏やかだった。
小麦畑の工房では、朝から加工依頼が積まれている。昨日の白ドレス配信の影響で、装飾系の注文が増えているらしい。作業台には、銀糸、月光石の粉末、淡い色の布地が並んでいた。
いつもなら、どれから手をつけるか考えるだけで楽しい。
けれど、ひまりは少しだけ、手を止めていた。
ひまり『シルヴィスさんって、最初グラディオさんとリアルで会ったこともなかったんですよね?』
VCが、少し静かになった。
ひまり『ゲームの中だけの相手に、あそこまで……その、強烈に、なれるものなんですか?』
誰も、すぐには笑わなかった。
ミスティアなら軽く茶化してくれるかと思った。スカーレットなら短く切るかと思った。けれど、どちらも何も言わなかった。
最初に答えたのは、ルシエルだった。
ルシエル『対人ゲームでは、まま、ありますよ』
ミスティア『まま、じゃないよ』
ミスティアの声が割り込んだ。
ミスティア『マジであるよ。冗談じゃないくらい』
ひまり『ミスティアさんも、見たことあるんですか』
ミスティア『見たじゃなくて、食らったことある』
軽い口調だった。
でも、誰も笑わなかった。
ひまりは少し黙った。
ひまり『……想像できないです、正直』
ミスティア『だよな。俺も食らうまでは想像できなかった』
そこでミスティアは、一度言葉を切った。
何かを思い出しているような間だった。
ミスティア『あんまり話したことがない、俺の痛い過去話、しちゃうか』
別のゲームの話だ、とミスティアは前置きした。
ミスティア『BROじゃなくて、FPSだった』
その一言で、ルシエルが小さく息を吐いた。
ルシエル『……それは、ありますね』
スカーレット『あるな』
ひまり『え、そんなにですか?』
ミスティア『そんなに』
ミスティアは、少しだけ笑った。
ミスティア『FPSの固定VCは、距離感バグるやつはマジでバグる』
ひまりには、FPSの詳しいことはわからない。
銃で撃ち合うゲーム。
足音を聞いて、敵の位置を読むゲーム。
数秒の判断で、勝敗がひっくり返るゲーム。
そのくらいの知識しかなかった。
ミスティア『チーム戦でさ。ランク帯が近くて、何度かマッチングで当たってるうちに固定を組むようになった』
相手は女性だった。
ミスティアより三つ上。
ゲームが上手くて、VC慣れしていて、判断が速かった。
ミスティア『一緒にやると勝率が上がった。それだけの相手だと思ってた』
ルシエル『思っていた、というのは』
ミスティア『俺は、そう思ってた。相棒に少し親密さが乗った程度。ゲーム内の話。それ以上のことを考えてなかった』
ひまりは黙って聞いていた。
ミスティア『俺が先に入る。向こうが右を見る。俺が落とし損ねたやつを、向こうが拾う。俺が無理に詰めたら、声だけで止められる。戻って、射線切れてる、って』
ミスティアの声に、少しだけ懐かしさが混じった。
ミスティア『顔は知らない。でも、癖はわかるんだよ』
ひまり『癖、ですか』
ミスティア『詰めたい時の声とか、怖くなって引く時の間とか。足音を聞いた時の黙り方とか。今の“大丈夫”は全然大丈夫じゃないな、とか』
顔は知らない。
でも、癖はわかる。
ひまりはその言葉を、すぐには飲み込めなかった。
ミスティア『毎晩VCつないで、負けたら反省会して、勝ったら騒いで。次、俺が入るからカバーして。右見て。詰める、合わせて。引け。そこ二枚いる。蘇生いける? 無理、捨てて。そういうのを、ずっとやってた』
ゲームの話だった。
画面の中のキャラクターの話。
勝つための判断の話。
それなのに、聞いていると、ただのゲームだけではない近さがあるように思えた。
ミスティア『向こうは、違ったみたいだった』
ミスティアは淡々と言った。
ミスティア『ある日、Discord越しに言われた。あなたと話してると楽だって。あなたといると、自分のことが好きになれる気がするって』
ひまりは何も言わなかった。
ミスティア『俺も最初は、ゲームの中でそういう気持ちになれてよかったな、くらいに受け取ってた。相手が既婚だって知ってたし、子どもも小さかったから』
そこで、少し間があった。
ミスティア『でも、一週間後に、うちに来た』
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
工房の炉の音が、やけにはっきり聞こえた。
ミスティア『夫と子どもを置いて、荷物持って、来た。当時俺、学生だったから。六畳のアパートに。にこにこしながら、やっと会えたって言って、上がり込んで』
ひまりは息を止めた。
ゲームの中で毎晩声を聞いていた人が、突然、現実の部屋に来る。
その重さを、ひまりはすぐには想像できなかった。
ひまり『……それで、どうしたんですか』
ミスティア『どうしたと思う』
ひまり『……わからないです』
ミスティア『俺も、どうしていいかわからなかった』
ミスティアは短く笑った。
乾いた笑いだった。
ミスティア『だから一晩、途方に暮れた。向こうは、もう決めてきてるわけ。ここにいればいいと思ってる。俺の部屋に来たら、そこから新しい人生が始まると思ってる。でも俺は、そんな話を一度もしたつもりがない』
VCの中に、重い沈黙が落ちた。
ミスティア『翌朝、実家に電話して、親に泣きついた。情けないけどな。俺一人じゃ無理だった。親が来て、その人と話してくれた。最終的には帰ってもらえたけど、その後がしんどかった』
ルシエル『ご家族が対応してくださったんですね』
ミスティア『うん。俺、当時ほんと学生だったからさ。ゲームでは偉そうに指示出してたけど、現実でそんなこと起きたら、なんもできなかった』
ミスティアの声は、淡々としていた。
淡々としているから、余計に重かった。
ミスティア『向こうの旦那さんから連絡が来たり、その人が何度もDiscordにメッセージ送ってきたり。チームの他のやつにも話が行って、変な噂も立って。俺が何をしたんだ、みたいな空気にもなった』
スカーレットが、そこで珍しく声を出した。
スカーレット『……ゲームはやめたのか』
ミスティア『そのゲームはやめた。アカウントごと消した。しばらくFPSそのものをやめた』
しばらく、誰も喋らなかった。
換気扇の音みたいな、チャンネルの静けさがあった。
ひまり『なんで今まで話さなかったんですか』
ミスティア『痛い話だから』
ミスティアは、少しだけ笑った。
ミスティア『あと、俺が悪いとかじゃないのに、なんかいたたまれない感じがあって。ゲームで仲良くしてただけなのに、ってずっと思ってたから』
ひまり『ミスティアさんは悪くないですよ』
ミスティア『わかってる』
答えは早かった。
けれど、そのあとに少しだけ間があった。
ミスティア『わかってる。でもな、ひまり』
ミスティアの声が、少し変わった。
ミスティア『ゲームの中だからって、相手が本気になってないとは限らない。顔を見たことがなくても、会ったことがなくても、本人にとってはぜんぶ本物だ』
ひまりは返事をしなかった。
ミスティア『それが怖いのは、相手が悪い人だからじゃない。本気だから』
その言葉は、工房の中に静かに落ちた。
ミスティア『シルヴィスの話に戻るけど』
ミスティアは続けた。
ミスティア『あの人が怖いのはそこだよ。筋が悪いとか、嫉妬がどうとか、そういう話だけじゃなくて。本気だから。本気の人間は、止まり方を知らない場合がある』
グラディオが、それまで黙っていたのに、短く言った。
グラディオ『わかってる』
それで、その話は終わった。




