第17話 小麦畑の新人さん
翌日。
ひまりは、BEWの同盟生産ギルド《小麦畑》の工房に来ていた。
一昨日のドレスお披露目配信のあと、小麦畑には注文が殺到したらしい。
白いドレス。
聖堂のようなホール。
ステンドグラスの光。
そして、ルシエルと並んだスクリーンショット。
ひまり自身には、まだ少し実感がなかった。
ただ、小麦畑の人たちは朝から大忙しで、工房前の広場には、布箱や染料瓶、レア素材の入った木箱がいくつも積まれていた。
【Guild】ミスティア:ひまちゃん、今日は小麦畑の中だけね
【Guild】ひまり:はい。今日は工房で加工だけです
【Guild】スカーレット:工房にもついていく
【Guild】ひまり:えっ、工房の中にもですか?
【Guild】スカーレット:当たり前だろ
【Guild】ミスティア:護衛だからねえ
ひまりは画面の前で、少しだけ申し訳なくなる。
昨日から、何度も同じことを言われていた。
Whisperには返事をしない。
知らない相手からのDMも開かない。
何かあれば、スクリーンショットを撮ってグラディオかミスティアに送る。
BBSは見ない。
ひまりにはよくわからないことも多かったけれど、みんながそう言うなら、たぶんそうした方がいいのだろう。
【Guild】ひまり:すみません。私、普通に加工しに来ただけなのに
【Guild】ミスティア:普通に加工しに来ただけで襲われることがあるからね
【Guild】ひまり:それは……はい……
【Guild】スカーレット:気にするな
【Guild】ひまり:はい。ありがとうございます
ひまりは、小麦畑の工房へ入った。
広い工房だった。
正面には大きな炉。
右手には鍛冶台が並び、左手には裁縫台と染色用の作業机が並んでいる。
壁際には素材ごとの棚があり、布、糸、革、金属、宝石、魔法触媒が、種類ごとに細かく分けられていた。
生産職にとっては、夢のような場所だった。
「わあ……」
思わず声が漏れる。
工房の奥では、小麦畑の職人たちが忙しそうに動いていた。
【Say】小麦畑職人:白銀糸、あと三十束お願いします
【Say】小麦畑裁縫師:染料、淡青と真珠白、こっちです
【Say】小麦畑鍛冶師:金具の追加分、誰か受け取ってー
ひまりは、受付の前でぺこりと頭を下げる。
【Say】ひまり:おはようございます。お手伝いに来ました
【Say】小麦畑職人:ひまりさん! 助かります!
【Say】小麦畑裁縫師:昨日の配信、ありがとうございました。注文がすごいことになってます
【Say】ひまり:ひゃー。すごいことに……
【Say】小麦畑職人:まずは銀糸の加工をお願いできますか? 昨日のドレスと同じ系統の追加注文が多くて
【Say】ひまり:はい。やります
ひまりは作業台につき、素材箱を開いた。
銀糸の束。
月光石の粉末。
薄く伸ばした白竜革。
どれも高級素材だ。
手順を間違えないように、ひまりは深呼吸する。
すると、隣から静かなチャットが流れた。
【Say】アルト:月光石の粉末は、先に三等分しておくと失敗しにくいです
「え?」
ひまりは、隣の作業台を見た。
そこにいたのは、見慣れないキャラクターだった。
地味な作業着。
まだレベルの低そうな採掘用手袋。
背中には、初期装備に近い小さな鞄。
名前は、アルト。
小麦畑のギルドタグがついている。
【Say】ひまり:ありがとうございます。小麦畑の方ですか?
【Say】アルト:昨日入りました
【Say】ひまり:新人さんなんですね
【Say】アルト:はい
返事は短かった。
けれど、すぐにアルトは手元の素材を並べ直した。
月光石の粉末を小さな皿に分け、銀糸の束を加工順にそろえ、失敗時の予備素材まで横に置く。
動きに無駄がなかった。
ひまりは少し感心する。
【Say】ひまり:手際いいですね
【Say】アルト:前に、少しだけ別ゲームで生産をしていました
【Say】ひまり:なるほどー
別ゲーム。
それなら、慣れていても不思議ではない。
ひまりは素直に納得した。
作業台の向こうで、ミスティアが一瞬だけ黙った。
【Guild】ミスティア:……ん?
【Guild】ひまり:どうしました?
【Guild】ミスティア:いや
【Guild】ミスティア:小麦畑さん、新人教育うまいなーと思って
【Guild】ひまり:ですよね。新人さんなのに、すごく親切です
【Guild】スカーレット:……
【Guild】ミスティア:スカちゃん?
【Guild】スカーレット:なんでもない
ひまりは首をかしげたが、すぐに加工へ戻った。
銀糸を月光石の粉末に通し、白竜革の縁へ編み込んでいく。
ゲージがゆっくり伸びる。
成功率は高い。
それでも、レア素材はいつだって緊張する。
【Say】アルト:そこで一拍置くと、品質が安定します
【Say】ひまり:一拍?
【Say】アルト:ゲージが白から薄青に変わったところです
ひまりは言われた通り、手を止めた。
ほんの一瞬。
ゲージの色が、白から薄青に変わる。
そこで次の工程へ進む。
【System】高品質の銀月糸を作成しました。
「あ、できた」
【Say】ひまり:できました! ありがとうございます
【Say】アルト:よかったです
アルトは、それだけ返して、また自分の作業に戻った。
ひまりは少し嬉しくなった。
小麦畑は、やっぱりすごいギルドだ。
新人まで、こんなに落ち着いていて親切なのだから。
【Guild】ひまり:小麦畑さんって、新人さんまでしっかりしてますね
【Guild】ミスティア:うん
【Guild】ミスティア:まあ、そうだね
【Guild】ひまり:ミスティアさん?
【Guild】ミスティア:いや、ほんとにしっかりしてるなーって
【Guild】スカーレット:詮索するな
【Guild】ミスティア:はいはい
【Guild】ひまり:詮索?
【Guild】ミスティア:こっちの話
ひまりには、よくわからなかった。
ただ、アルトという新人職人は、その後もずっと静かだった。
必要な時だけ短く助言してくれる。
素材箱の位置を覚えるのが早い。
誰かが足りない素材を探していると、先に棚から出している。
小麦畑の職人が慌てていると、無言で伝票を整理する。
新人にしては、妙に全体を見ている。
けれど、でしゃばらない。
ひまりは、その距離感が少しありがたかった。
【Say】小麦畑職人:アルトさん、こっちの納品リストもお願いできます?
【Say】アルト:はい
【Say】小麦畑職人:昨日入ったばっかりなのに、ほんと助かるなあ
【Say】アルト:できる範囲だけです
【Say】小麦畑職人:それがもう十分すごいです
ひまりは、作業台の前で小さく笑った。
【Say】ひまり:アルトさん、私より慣れてるかも
【Say】アルト:ひまりさんは加工が丁寧です
【Say】ひまり:えっ、ありがとうございます
【Say】アルト:急ぐ必要はありません。失敗しない方が、結果的に早いです
その言葉に、ひまりは少しだけ安心した。
昨日からずっと、何かに追い立てられているような気がしていた。
戦争。
Whisper。
護衛。
BBSは見ないようにと言われたこと。
自分が知らないところで、何かが燃えている気配。
でも、工房の中では、素材をひとつずつ加工するしかない。
銀糸を整える。
月光石の粉を混ぜる。
ゲージを見る。
一拍置く。
次へ進む。
その単純な作業が、少しだけひまりを落ち着かせた。
【Guild】ミスティア:ひまちゃん、そろそろ休憩しよっか
【Guild】ひまり:はい。あと一個だけ
【Guild】スカーレット:あと一個は増える
【Guild】ひまり:増えません!
【Guild】ミスティア:生産職のあと一個は信用できないんだよねえ
ひまりは苦笑しながら、最後の素材を作業台に置いた。
その横で、アルトが静かに素材皿を差し出す。
【Say】アルト:月光石、三等分しておきました
【Say】ひまり:ありがとうございます。助かります
【Say】アルト:いえ
短い返事。
それだけだった。
けれど、ひまりはなんとなく、その新人さんが悪い人ではない気がした。
作業が終わると、小麦畑の職人たちが口々に礼を言ってくれた。
【Say】小麦畑職人:ひまりさん、ありがとうございました!
【Say】小麦畑裁縫師:これで追加分、かなり進みます
【Say】ひまり:こちらこそ、楽しかったです
【Say】小麦畑職人:またお願いしますね
【Say】ひまり:はい
ひまりは工房を出る前に、隣の作業台へ向き直った。
【Say】ひまり:アルトさんも、ありがとうございました
少し間があった。
それから、アルトが返す。
【Say】アルト:こちらこそ
【Say】アルト:お気をつけて
【Say】ひまり:はい。また工房で会ったら、よろしくお願いします
【Say】アルト:はい
それだけの会話だった。
ひまりは、護衛の二人に挟まれるようにして工房を出た。
外は、相変わらず小麦畑の穏やかな街だった。
露店には布が並び、畑の方からは収穫用のNPCが歩いてくる。
昨日までの戦争が、少し遠いことのように思えた。
【Guild】ひまり:今日は平和でしたね
【Guild】ミスティア:うん、そうだね
【Guild】スカーレット:平和ではない
【Guild】ひまり:えっ、そうですか?
【Guild】スカーレット:油断するな
【Guild】ひまり:はい……
ひまりは素直に頷いた。
ただ、その日の工房で会った新人さんのことは、少しだけ印象に残った。
静かで、親切で、手際がよくて。
なんとなく、言葉の少ない人。
小麦畑に入ったばかりの新人職人。
ひまりは、それ以上のことを知らない。
知らないまま、ギルドハウスへ戻っていく。
その背後で、工房の扉が静かに閉まった。




