第11話 ギルド会談
恵比寿駅から少し歩いた先に、その店はあった。
大通りから一本入ると、街の音が少し遠くなる。
黒い格子戸。
控えめな看板。
焼き肉屋というより、隠れ家のような店だった。
駅で落ち合った四人――グラディオ、ルシエル、シルヴィス、ナハトは、その店の前で足を止めた。
「……ここ?」
シルヴィスが、少し眉を寄せる。
グラディオは振り返らずに答えた。
「個室が取れた」
「そういう理由で来る店じゃないでしょ」
「話をするには向いてる」
ナハトが、看板を見上げて小さく息を吐いた。
「お前、相変わらずだな」
「今日は話をまとめに来た」
グラディオはそう言って、店の戸を開けた。
炭の匂いと、甘いタレの香りがふわりと流れてくる。
奥から店員が現れ、予約名を確認すると、四人をそのまま個室へ案内した。
掘りごたつ式の部屋だった。
壁は低い照明に照らされ、テーブルの中央には、まだ火の入っていない小さなロースターがある。
向かい合って座るには、ちょうどいい広さ。
逃げ場がない、と言うには狭すぎず。
腹を割るには、広すぎない。
グラディオは上座にこだわらず、入口側に座った。
ルシエルがその隣に腰を下ろす。
向かいには、シルヴィス。
その隣に、ナハト。
ほどなくして、店員が飲み物だけを確認しに来る。
料理は、予約していたコースでそのまま運ばれてくるらしい。
「で」
最初に口を開いたのは、シルヴィスだった。
「焼き肉のコースを食べながら、戦争の話をするわけ?」
「個室が取れた」
「だから、そういう理由で来る店じゃないでしょ」
「話をするには向いてる」
同じ返答を繰り返すグラディオに、シルヴィスは苛立ったように息を吐いた。
ナハトが、半ば呆れたように笑う。
「しかもコース予約済みか」
「途中で注文に迷う時間がない」
「合理的ではあるな」
「ナハト、納得しないでよ」
シルヴィスが不満そうに言う。
ルシエルは、静かに水を一口飲んだ。
その横顔は穏やかだったが、目だけは少し冷えている。
「では、料理が来る前に、確認だけしておきましょう」
やわらかい声で、そう言った。
シルヴィスの視線が、ちらりとルシエルに向く。
「……あなた、昔からそういうところあるわよね」
「どのあたりでしょう」
「にこにこしてるのに、まったく許してないところ」
ルシエルは否定しなかった。
ただ、少しだけ笑った。
「昨日の件は、許す許さない以前の問題ですから」
個室の空気が、そこで一段低くなった。
ちょうどその時、襖の向こうから控えめな声がした。
「失礼いたします」
最初の皿が運ばれてくる。
美しく並べられた前菜と、薄く切られた塩の肉。
場違いなほど丁寧な料理を前に、グラディオが言った。
「食べながらでいい。話を始める」
シルヴィスは、しばらく肉の皿を見ていた。
それから、顔を上げる。
「そもそも、PKギルド同士の話でしょ」
最初の声は、落ち着いていた。
少なくとも、そう聞かせようとしていた。
「同盟を切って、布告して、攻撃した。それだけなら、BROでは珍しくもないでしょう」
「珍しくはない」
グラディオは淡々と答えた。
「だが、筋は悪い」
「筋?」
シルヴィスの声が少し尖る。
「システム上できることをしただけじゃない」
「できることと、筋が通ることは違う」
グラディオはロースターに肉を一枚置いた。
じゅ、と小さな音がする。
「同盟を切った直後に布告。共同ギルドハント中の不意打ち。標的は戦争要員ではなく、うちの生産職だ」
「生産職?」
シルヴィスは笑った。
「配信者でしょう。昨日の時点で、ただの生産職じゃない」
「それでも戦争要員ではない」
グラディオの声は変わらない。
ナハトは黙っていた。
ただ、視線だけをテーブルに落としている。
「それに」
シルヴィスは続けた。
「そっちだって装備を剥いだじゃない。こっちだけが悪いみたいに言われる筋合い、ないと思うけど」
「戦争を仕掛けたのはそっちだ」
グラディオは即答した。
「ルートは戦争の結果だ」
「負けたから悪いってこと?」
「負けたからではない。仕掛け方が悪い」
「でも、そっちは奪った」
「お互いPKだ」
グラディオは、焼けた肉を自分の皿に取った。
「それは、そっちもわかっているはずだ」
シルヴィスは、唇を噛んだ。
言い返したいことはある。
けれど、今の理屈では押しきれない。
その程度のことは、彼女にもわかっていた。
「でも、配信で晒したのはそっちでしょ」
次に出た言葉は、さっきより少し感情が混じっていた。
「あの子が配信してなかったら、ここまで大騒ぎにはならなかった」
「ひまりさんは、見ていたものを配信していただけです」
返したのは、ルシエルだった。
声は穏やかだった。
だが、まったく譲らない響きがあった。
「綺麗事ね」
「そうでしょうか」
「配信者を連れてきて、戦場を映して、こっちが叩かれた。そういう構図になったのは事実でしょ」
「映されて困ることをしたのは、Daybreak側でしょう」
シルヴィスの顔が、わずかに強張った。
ナハトが小さく息を吐く。
「……それは、否定できない」
「ナハト」
シルヴィスが隣を睨んだ。
ナハトは、その視線を受け止めたまま言った。
「配信に映ったのは事実だ。だが、映った内容はこっちの行動だ」
「だから何? あなたまで、そう言うの?」
「そう言うしかない」
シルヴィスの手が、膝の上で強く握られる。
店員が次の皿を運んできた。
薄く差しの入った肉が、白い皿に並んでいる。
誰もすぐには箸を伸ばさなかった。
襖が閉まる。
小さな静寂のあと、シルヴィスが低く言った。
「だいたい、あの子は何なの」
建前の形が、少しずつ崩れていく。
「PKのことも、戦争のことも、何もわかってないじゃない。ただそこにいただけで、みんなに庇われて、守られて、聖女みたいに扱われて」
ルシエルの眉が、わずかに動いた。
グラディオは黙っている。
「昨日の配信、見たわよ」
シルヴィスは笑った。
けれど、その笑いには余裕がなかった。
「コメント欄、すごかったわね。姫だの、聖女だの、騎士だの。馬鹿みたい」
「ひまりは戦争要員じゃない」
グラディオが言った。
その言葉は、慰めではない。
ただの事実確認だった。
「装備担当として入れた」
「そういうところが嫌いなのよ」
シルヴィスの声が、鋭くなった。
「何でもないみたいに言うところ」
グラディオは何も返さない。
シルヴィスは、まっすぐ彼を見た。
「昔、私は入れないって言ったよね」
ナハトが、静かに目を伏せる。
「女は入れないって」
個室の中で、肉の焼ける音だけが聞こえた。
「それなのに、あの子はいいんだ?」
「あの時と今では、ギルドの事情が違う」
グラディオは、淡々と答えた。
「ひまりは装備担当だ」
「便利な言い方ね」
シルヴィスは笑った。
「そう言えば、何でも説明できるものね」
「事実だ」
「でしょうね。あなたにとっては、全部そうなんでしょうね」
シルヴィスの目が、今度はルシエルへ向いた。
「ルシエルまで、あの子の味方なんだ」
ルシエルは、少しも迷わなかった。
「味方です」
「どうして」
問いは短かった。
責めるような響きがあった。
ルシエルは、水の入ったグラスに指を添えたまま、静かに答える。
「ひまりさんが、あなたに襲われたからです」
個室の空気が、そこで止まった。
シルヴィスの唇が、わずかに動く。
けれど、すぐには言葉にならなかった。
「……私は」
ようやく出た声は、細かった。
「私は、Daybreakのマスターとして動いた。BEWが新しい象徴を立てたなら、こっちも動く。それだけよ」
「シル」
ナハトが、初めてはっきりと割って入った。
シルヴィスは横を向く。
ナハトの顔には、疲れがあった。
けれど、声は冷静だった。
「そこは違う」
「何が」
「Daybreakの判断なら、俺も聞いているはずだ」
シルヴィスは黙った。
「今回、俺は聞いていない。少なくとも、ひまりさんを狙うという話は聞いていない」
「……」
「ギルドとして戦争をするなら、俺は反対しなかったかもしれない。界隈が停滞していたのも事実だし、BEWと一度ぶつかる理由を作ること自体は、悪い話じゃなかった」
ナハトはそこで、少しだけ息を吐いた。
「だが、今回のやり方は違う。筋が悪い」
グラディオと同じ言葉だった。
シルヴィスは、俯いた。
長い沈黙が落ちる。
やがて、シルヴィスはぽつりと言った。
「見ていられなかったのよ」
誰も口を挟まなかった。
「グラディオがあの子を入れて。ルシエルがあの子を庇って。コメント欄が勝手に持ち上げて。次の日には聖女みたいなスクショが流れて」
指先が震えている。
「私だけが、ずっと昔の場所に置いていかれたみたいだった」
それは、Daybreakのマスターとしての言葉ではなかった。
シルヴィスという一人のプレイヤーの、古い傷から出た言葉だった。
グラディオは、しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「それでも、ひまりを狙う理由にはならない」
「……わかってる」
シルヴィスは、小さく答えた。
「わかってるわよ」
ナハトが目を閉じる。
ルシエルは、何も言わなかった。
グラディオは背筋を伸ばした。
「話をまとめる」
声が、ギルドマスターのそれに戻る。
「今回の戦争は、今日の二十四時をもって終結させる。双方、ゲーム内で終戦宣言を出す」
ナハトが頷いた。
「Daybreak側は、俺が文面を出す。シルにも確認させる」
「条件は三つ」
グラディオは続けた。
「一つ。今回の不意打ち開戦について、Daybreak側はギルドマスター名義で、同盟ギルドに対して筋を欠いた行為だったと認める」
シルヴィスが顔を上げる。
「謝罪文を書けってこと?」
「謝罪ではなく、事実確認だ」
「同じようなものじゃない」
「違う」
グラディオは短く言った。
「詫びろとは言っていない。だが、なかったことにはしない」
ナハトが静かに頷いた。
「それは飲む」
「ナハト」
「飲むべきだ」
シルヴィスは唇を噛んだが、反論はしなかった。
「二つ。ひまりへの直接攻撃を、今後Daybreakの作戦対象から外す」
「……彼女を完全な不可侵にしろってこと?」
「違う」
グラディオは即答した。
「PKフィールドで偶発的にぶつかることまで禁止する気はない。だが、ひまり個人を目的にした襲撃は認めない」
ルシエルが、そこで初めて口を挟んだ。
「採掘用キャラクターや、生産用キャラクターを狙う行為も同じです」
シルヴィスの目が、わずかに揺れた。
その情報がすでに伝わっていることを、悟ったのだろう。
「……わかったわ」
「三つ」
グラディオは、最後の条件を出した。
「ルート品は返さない」
シルヴィスが顔をしかめる。
「そこは本当に譲らないのね」
「譲らない。戦争の結果だ」
「こっちはかなり抜けるわよ」
「それも戦争の結果だ」
ナハトが、小さく苦笑した。
「そこは諦めろ、シル。あの負け方で返せと言うほうが無理だ」
「……わかってる」
シルヴィスは不機嫌そうに言った。
「ただし」
グラディオは続けた。
「今日二十四時以降、BEW側からDaybreak所属への追撃はしない。フィールドでの通常のPKは別だが、今回の戦争に紐づけた報復は止める」
ナハトが頷く。
「Daybreakも同じ条件で出す。二十四時以降、BEWへの戦争行為を停止。今回の件に絡む報復、粘着は禁止する」
「それでいい」
グラディオは言った。
シルヴィスはしばらく黙っていた。
それから、低く言う。
「終戦宣言は、私の名前で出す」
ナハトが彼女を見る。
「いいのか」
「Daybreakのマスターは私よ」
シルヴィスは、少しだけ顔を上げた。
「やったことの責任くらい、自分で取る」
グラディオは、短く頷いた。
「わかった」
そこでようやく、個室の空気が少しだけ緩んだ。
ロースターの上で、置きっぱなしだった肉が少し焼けすぎていた。
ナハトがそれを見て、苦笑する。
「せっかくの肉が台無しだな」
「食える」
グラディオが淡々と取る。
「そういう問題じゃない」
シルヴィスが、呆れたように言った。
ほんの少しだけ、声から棘が抜けていた。
ルシエルは、その様子を見て静かに箸を取る。
「では、食べましょう。せっかくのコースですし」
「あなた、本当にそういうところあるわね」
「どのあたりでしょう」
「空気を戻すのがうまいところ」
ルシエルは、少しだけ笑った。
「戻せる空気なら、戻したほうがいいですから」
シルヴィスは返事をしなかった。
ただ、焼けた肉をひと切れ、自分の皿に取った。
その日の二十四時。
《Black End Wing》と《Daybreak》は、それぞれのギルド名義で、戦争終結の宣言を出した。
不意打ちの同盟破棄から始まった短い戦争は、公式にはそこで終わった。
だが、流れた配信も。
奪われた装備も。
白い翼のスクリーンショットも。
聖女と騎士の画像も。
すべてが、なかったことになるわけではない。
BROの古い水面には、もう新しい波紋が広がり始めていた。




