29.噂の悪役令嬢
メルユール・セルヒー。第一王子サンドルから寵愛を受けてなお、無理な要望を突き通し、拒絶し続ける令嬢。
彼女のことを悪女と言う人々もいたが、そんなことは私の人生に関係のないこと思っていた。ソラネル家はヴィクトル殿下の派閥の家系だからだ。
まさかこんなことになるとは。自分と言う人間が女性と結婚するために力を尽くすことすら想像できなかったが、その相手が彼女だなんて更に驚きだ。
初めて学園で会った時のことを思い出す。私にぶつかってきた彼女は私の顔を見るなり、私の名前をはっきりと呼ぶのだ。正直なところ、恐ろしかった。どうして自分と言う人間が認識されているのか想像もできなかったからだ。
しかし、今思えば愛らしいものだ。彼女があの時から恋慕っていた相手は私だったと言うのだから。
彼女は私の失礼な態度を批判することもなく、積極的に関わろうとしていた。決して距離感を見誤ることなく、ただ純粋に友人として親しくしようと努めてくれた。
誰よりも人を恐れていたはずなのに、人を愛そうとしていた。そんな姿にどう心を寄せないでいられるのだろうか。
隣の席で寝ている彼女の呼吸に耳をたてる。門の中へと向かってしまった時、彼女が私に告白をした時、あのままどこかへ消えていってしまうのではないかと恐れていた。
しかし彼女は戻ってきて、私の隣にいる。愛おしく思って髪に触れようとして躊躇した。考え直して軽く肩を叩く。
「君、放課後だぞ。」
私のその言葉に飛び起きると
「わ!いけない。ディエラさん、起こしてくれてありがとう!」
そのまま走り去ってしまった。
事件が終わってから半年。彼女は日々を忙しく過ごしている。人生の中で長く彼女を悩ませていた事項を解決するために奔走していたのだ。
数ヶ月前——。
「私、読書サークルを作ろうと思うの。」
そう彼女は私とキリア嬢の前で話し始めたのだ。
「いくら何でもあなたたち以外に友人がいないなんて笑い事じゃないのよ……」
と深刻そうな顔で呟いていたことを忘れられない。
確かに自分もそう考えたことがあるが、それをわざわざ解決しようと思ったことがなかったのだ。
彼女と二人になった際に話を聞くと
「もしかしたらこんな考えも私の生きていた世界独特のものなのかもしれないわね。周囲の人々との関わりの中で自分が生きているって感覚を確認すると言うことが。」
確かにこの世界も同様だと思うが、貴族社会というものは普通の人々よりも複雑なものだ。彼女の願いが不純な方向に塗り替えられないようにと願うばかりだった。
サークルが発足してから少したった頃。
「どうしてディエラさんはサークルに加入しないんですか?」
突然そう尋ねてきたのはセフィラ嬢だった。
実のところを言うと、真実を知ってから彼女とどう顔を見合わせていいか分からなくなってしまったのだ。元々知っていた彼女の態度は変わらない。それが余計にむず痒かった。
「メルユール嬢から直々に入って来ないでと言われたんだ。」
そう話して思い出すと機嫌が悪くなってしまう。彼女の言わんとしていることは分かるが、自分では彼女の孤独は埋められないと言われているように思えてしまうのだ。
「あぁ。」
彼女は得意げな顔をして
「それは阻害じゃなくて特別扱いですよ。」
と笑いかけてくるのだ。その自信ありげな顔に妙に腹が立つ。
「おい。人の心を勝手に読むんじゃない。」
セフィラ嬢には元々こう言うところがあるのだ。よくジゼルと一緒になって揶揄ってきたことを思い出した。
「読んでなんかいません。書いてあったので教えたまでです。自分は仲間はずれにされてるのかな?って。」
彼女の笑顔は貼り付けられたように崩れない。
「神官殿も大変だろう。君の言葉に勝つことができなくて。」
少し嫌味を含めて返すと
「ふふ。そうですね。」
と返ってくるが、違和感を感じる。思っていたよりも軽い返事だ。ふわりと髪を流して去っていく先に見えるのは——
「ディエラさん。」
目の冴えるようなベリーピンクの髪の少女が頬を膨らませ、私の名前を呼んでいた。
「セフィラさんと何をお話ししてたんですか。」
彼女はセフィラ嬢本人の前でそのような態度をとることは全くない。しかし、前世のことを忘れられないのか、私と彼女の関係については気になるところが多いようだった。
まず、息を吸って吐く。そうしないとだらしない顔を晒してしまいそうだ。嫉妬されているのが嬉しくて。
「なぜ読書サークルに入らないのかと尋ねられたんだ。」
彼女はその言葉を聞くと
「あぁ。」
たったその一言だけ呟いた。
先ほどまで嫉妬で眩く光っていた瞳は色を失う。いつも通りの彼女だ。
しかし次の瞬間に放たれたのは思わぬ言葉だった。
「だってディエラさん。すぐ人と喧嘩しちゃうじゃない。」
「なんだって?」
「私とちょっとした解釈の違いで白熱しちゃってそのまま明日まで話さないなんてことあるでしょう?私は穏やかなサークルを目指しているから——」
聞いている間、つい奥歯を噛み締めてしまう。反論する術がない。しかし、彼女にだけは言われたくなかった。
「き、君だってそうじゃないか。」
上擦った声でつい出てきてしまった。
しかし彼女の表情は変わらない。
「そうよね。でも、できるだけ変わろうと努力してるの。」
あぁ、あの顔だ。彼女がたまにする聖女のような顔。何か自分の心の中で決めた軸を守らんとするその姿。
「実はね。ジゼルちゃんに頼まれて学園生活の話を手紙に書いているの。でもいつも同じ人とばかり過ごしていたら話の内容がつまらないんじゃないかと思って。できるだけ多くの人と関わろうとしていたの。」
それを聞いて、あまりの自分の子供っぽさに顔がのぼせそうだった。恥ずかしい。
「きっと今後の私のためにもなると思って。だって私、ソラネル侯爵夫人になるんだもの。」
そうやって頬を染める彼女に何と言っていいか迷ってしまう。適切な言葉が見つからない。
「怒りっぽくてすまない。」
そう彼女の両手を掴むと
「無理して変わらなくていいの。」
と彼女は言うのだ。
「だってディエラさんとこうやって喧嘩していいのは私だけって思っちゃうから。入って欲しくなかったの。ほら、何でだろうね。可愛い子がすごく多いじゃない?」
その時、私は周囲を見回さなかった。あまりにも愛おしくて彼女を抱き締めると、彼女も迷ったように手を添えてきた。
私たちは時に、あまりにも素直過ぎて誤解してしまうことが多いが、その素直さがいつだって自分たちにとって良いものとして存在していることを願った。
「で、噂される気分はどうですか?」
次の日の休み時間、キリア嬢が机の前に来て何とも言えない顔で私を見てくるのだ。
「人に見られてもいちいち他の人に話したりしないって思ってたけど、貴族って侮れないものね。」
とメルユール嬢は黄昏れたように周囲がひそひそと話す姿を眺めていた。
彼女がこちらの方を向くと
「じゃあ代わりにキリアがヴィクトル殿下とチューしちゃえばいいのよ!」
と突然言い出すのだ。彼女が苦い顔をして一番動揺していたが、私も困惑して何を言っていいか分からない。
「冗談よ、冗談。」
その言葉でこの話題は終了するかと思うと
「で、キスしたの?」
と彼女に聞こうとするのだ。
「やめなさい。」
そう嗜めると
「だって、口を開けば惚気話なんだもの。いい加減気になるわ。話を聞いているこっちからすると。」
よく考えれば、以前の彼女はこんなことを言ったりするようには見えなかった。心を開いているのだろう。とは思うものの——
「キリア嬢。答えたくなければ逃げるんだ。」
私のその言葉に
「いくらメルユール様でもその話は恥ずかしくてできません。」
キリア嬢は逃げていった。
彼女はただ、その姿をただ微笑ましそうに見つめるだけだった。揶揄いたかっただけなのだろうか。
「正直嫌なんだけど。ま、そのうち収まるわよね。」
とメルユール嬢は次の授業の宿題を眺めていた。
「ねぇ、ここのことなんだけど。」
彼女がこちらを見た瞬間に腰を引き寄せる。
「即効性はないかもしれないが、噂を収める方法を思いついたんだが。」
喉が動く。彼女は息を飲み込んだ。
「気になるかい?」
彼女はその問いかけに頷く。
「こうやって——」
近づくとやってくるのは丁寧に乾かされたむせ返るような薔薇の香りだ。春になってより感じられるのは、彼女の好みだろうか。
「毎日のように二人で近くで過ごしていたら彼らも慣れるんじゃないか?」
そのまま返事はなかったが、固まったままの彼女の肩を抱きしめるだけで満足してしまう。
「サークルに入れてくれなかった仕返しさ。」
震えて笑い出す彼女と一緒につい笑顔になっている自分に気が付く。こんなにも笑顔になれると言うことを今の今まで知らなかったのだ。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
明日最終回更新です。よろしくお願いします!
もっと内容が分かりやすいタイトルにできないかなと思ってタイトルを変更しました。




