23.気持ちのお返し
到着した馬車にディエラと共に乗り込む。先ほどの話の続きをしなければと思っていたが、上手く話せない。もしそれを選択してしまえば全てが消えてしまうかもしれないのだから。
「メルユール嬢。」
彼は静かに私を呼びかけた。声色から感情が掴めない。
「もしこれから君が何かを選択して危ないことを試みようとしているのなら私は止めなければいけないはずだ。」
そうなのだ。彼にとって私は婚約者。それはロマンティックな意味だけを持つものではない。
「それでも君を尊重して伝えたいことがあるんだ。」
心臓が高鳴る。
彼はこんなにも私を大切にしてくれていると言うのに……行動で返せたことはあるだろうか?
「どうか怪我をせず帰って来て欲しい。サンドル殿下に脅かされることない、君の人生のために。」
彼は考えるように言葉を紡いでいた。
「私の言うことを聞こうなんて思わなくて良いんだ。ただ、自分のために行動して欲しい。」
(あぁ、あなたのことが好きだ。ただ目の前にいるあなたのことが。)
それが初めて私が認められた真実だった。
そして私もずっと願っていた。彼が大切なものを失わずに普通の人間として生きられる世界のことを。
やっと手に入ったものを私はもう逃すことはできない。だからこそ私が立ち向かわなければいけない。
「約束するわ。」
それが私が言える一番シンプルな言葉だった。これ以上は必要ないだろう。
それでも――
「あと……こんな時なんだけど。」
そう話しながら取り出したのは深いえんじの箱だ。できるだけ早く決めて渡す必要があると思っていたもの。
「受け取ってくれるかしら。」
箱を開くとシンプルな白銀地の指輪が鎮座しており、それには非常に控えめな宝石が飾られている。
「君も用意してくれたのか。」
綺麗に微笑んで彼は言われずとも左手を差し出した。
「本当に嵌めるわよ?」
私が彼に問いかけられた時と同じように尋ねると、笑って頷く。
節は太く、滑らかで細い手にそれが良く合った。我ながら自分を褒めたい気分だ。
「どうしてこの石なんだ?」
それを聞かれることは分かっていたが説明するのは気恥ずかしい。
それでも意を決して
「ディエラさんの誕生日は1月だから、守護石はガーネットでしょう?」
と説明する。
しかし彼は思っていた通りそのような説明では満足しないのだ。
「でもガーネットだったら他にも色はあるじゃないか。特に赤が一般的だろうし。」
自分でも表情が困っていくのが分かる。でもこんなことは、言って良いわけないのだ。
「そう、藍色なの。あなたの指輪なのにあなたの瞳の色なんて変でしょ。でも私……」
彼の片方の口が吊り上がっているのが見える。悔しい。
(じゃあご要望通りに全部言ってやろうじゃん。)
「あなたの瞳の色以上に綺麗な色なんて知らないの。だから私にとって一番大切で――」
彼は私の言葉を封じ込めるように私の腕を引き寄せて抱きしめた。
「私も君が一番大切なんだ。メルユール嬢。」
その言葉を聞いて震えていた。こんな私が彼の心を独占してしまっても良いのだろうか?
「もし、君が私を誰かの身代わりのように思っていたとしても、もうそいつに返してやらないと言ってやるべきだろうか。」
彼は私の肩越しにそう囁いた。
その響きは今までで一番甘くて、少し切なくて涙が出そうになる。
「あのね、ディエラさん。そのことについてだけど――」
弁解しようとしたところで
「中央神殿に到着いたしましたよ。」
どうやら時間切れになってしまったようだ。
目の前には中央神殿の建物がそびえ立っていた。
見るからに冷たく光る白い石で建てられた古い遺跡を継ぎ足しながらこの時代までこの場所は役割を続けてきたのだろう。
階段を登っていき、中に入ってみると薄暗い空間が広がった。
「この先の山を登った方に門があります。少し大変ですが頑張りましょう。」
そうセフィラが説明する。
しんとした冷たい空間の中、私の手に何かが当たっていた。目視するとそれはディエラの手だった。
「ちょっともう。こんな時にダメだってば。」
私は真剣な顔で囁きながら手を上の方に持っていく。
しかし、どうやら勘違いしているのは私の方だったようで
「違う。違うんだ。」
と彼は半笑いで焦って説明しようとする。
彼は自らの左手を私が眺められるように持ち上げる。私はそれを見て息を飲み込んだ。
「君は知らなかったのか?」
問いかけられて顔がカッと赤くなっているに違いない。
(そんなつもりじゃなかったのに!)
なんと先ほど私が贈った指輪のガーネットがベリーピンクに光っていたのだ。まるでメルユールの髪色のように。
「確かにこれは私にとって目が惹かれる色ではあるね。」
そう彼は納得したように頷く。
そして
「これはアレキサンドライトという宝石だろう。」
と説明をしてくれる。
「太陽のような自然の光と蝋燭のような光の下ではそれぞれ色を変えるらしい。とても珍しいものだね。」
前世の世界でもそのような宝石がある話を覚えていた。
「宝石商はそのことについて教えてくれなかったのかい?」
そう尋ねられて顔が限度まで赤くなってしまう。
決して適当なんかではなかったが、選ぶのにとても急いでいたのだ。
この石を見た瞬間に即決してしまった。今まで見た中で一番素敵だったから。
まさかこんなことも知らずに、何となく彼にこれを贈ってしまうなんて。どんなに私は恥ずかしい人間なんだろうか。
(これじゃそれこそ浮かれたカップルのプレゼントみたいだよ……)
羞恥に耐えながら笑顔を浮かべていると躓きそうになる。下には段差があった。
「気を付けて歩いてくれよ。」
そう言ってディエラは私に再び手を差し出した。
その手を取って階段を降りると、重い扉が目の前に立ちはだかる。
「本来は禁足地ですから。」
セフィラが鍵を取り出してその扉を開けた。眩しい光が神殿の中に差し込む。
本来であれば小さな糸ぼこりが見えてもおかしくないと言うのに全く存在しなかった。
毎日本当に丁寧に神官に掃除されているに違いない。
「山道なので足元にお気をつけくださいね。」
再び彼女は私たちに話しかけてくる。
普段立ち入ることのできない場所と言うのにに来ることに慣れているように見えた。
私はつい気になってセフィラに尋ねてしまう。
「ここに来るのは初めてではないんですか?」
その言葉を聞いた彼女は小さく肩をすくめ
「一度許可を貰い、訪れたことがあるだけです。」
と独り言のように呟いた。初めて表情が揺らぐ。私はどんな言葉を返せばいいか分からなかった。
彼女の話はそこで終わらなかった。
「私は常に意味を考えていました。」
細身の身体で土を踏み締めている。話をしながらでも息は乱れることがない。
「前世の記憶を持ちながら、前世そのままの姿で生まれたこと、その理由について。」
私も同じことを考えていたのだ。
私が姿形が違うように生まれた一方で、セフィラはセフィラのままで別の世界から生まれ直す形になっている。
それに何の意味もないわけがなかった。
「一度ここを訪れた際に門に問いかけたことがありました。」
やはりそうだったのか。
「でも門は特に何かを教えてくれるわけではありません。」
しかし、そう言い切るのだ。もしかして彼女は――
「元の世界に帰りたいんですか?」
私がそう問いかけようとした時
「危ない!」
突然ディエラに抱き止められる。私の背後の木には短剣が刺さっていた。
私は空気を大きく吸い込んだ。もし彼が気付かなかなかったら――そんなことを考えてしまう。
「皆さん注意してください。罠があるようです。」
ディエラは私を強く抱きしめてそう言った。確かに婚約者同士なので何も変なことはないが、少しぎこちない。
「一体この先に何があるって言うんだい?」
いつも浮ついた喋り方をするヴィクトル殿下が声に焦りを滲ませている。
「大丈夫です。私が何とかします。」
キリアが剣を抜いて先を急ごうとする。それをヴィクトル殿下が追う形になる。
「ちょっと待ってください!」
セフィラが二人を追いかけようとして叫ぶと
突然地面から大きな音が鳴り響いた。何かがひび割れる音なのは分かった。しかし、聞いたこともないようなとてつもなく強い音だ。
私は耳を塞いでその場にしゃがみ込んだ。そうしなければ身体は打ちつけられそうだったし、鼓膜も破れてしまいそうだった。
「無理はしないでよ!」
精一杯キリアの方に向かって叫んでみたが返事は聞こえなかった。
(本当に大丈夫かな?)
私は恐ろしかった。設定にないことを切り拓いて行くのはこんなことなのかと痛感した。
(でも私が言い始めたことなんだから責任持たなきゃ。)
音が鳴り止んですぐ、私は立ち上がった。
「ちょっと待ってくれ。」
そう言って立ち上がったディエラが私の手を握った。
「不安なんだ。」
この場所に来る決意をしてから珍しく思えるほど彼は素直な感情を伝えてくる。
「君は強い。私が君と出会った当初想像していたよりもずっと。」
それでも彼の手は優しく、今にもすり抜けてしまいそうだった。
「君はそうやって強く立ちあがろうとしている。でも、今にも消え入りそうで怖いんだ。」
先のことは分からない。でも私は今は何も約束することはできなかったのだ。
何も言えないまま立ち尽くしていると、聞き慣れた声が聞こえた気がした。




