22.神の愛し子
私は家に帰ってからセフィラの教えてくれたことについて思い返していた。
「現在の王族が神の愛し子ではなかったとしたら、一体この世界の神は何を意味してるんだろう。」
それはいくら考えても解決しない。
原作に一切書かれていないことについては何のヒントも存在しないのだ。それでも彼女は多くの知識を私に与えてくれた。けれどそれも何を示したいのか理解できない。
やはり彼女が神の愛し子だと言うのだろうか。では彼女が前世の記憶を持ってここに生まれやってきた理由は一体何なのだろうか。
「この世界の神は創造した人間のことを深く愛していたため、人と人とが愛し合うことを強く望まれていました。それが実りに繋がっているのです。」
神学の授業の内容を思い出してみるが、特によくある神話と何ら変わらない気がしてしまう。
(でももっと重要なのは……)
間違いなく世界を繋ぐ門のことだろう。
もしそこから私が元の世界に戻ることができたとするなら、その選択をするだろうか。
(私は転移者ではなくて転生者なのに?)
やはりこの世界の仕組みはそう単純ではなさそうだ。
訳もないと言うのは違う気がするが、こんなどうしようもなく不安になってしまう時に首にそっと触れてしまう。
「セフィラはディエラに未練とかないのかな。」
細かいエピソードはもう思い出せなくなってしまったが、私の中で絶対に忘れられないのは彼女に断られると分かっていても永久の騎士の誓いをした場面のことだ。
セフィラが全ての争いを終わらせた後、自身の屋敷で忙しく婚礼の準備をしているところ
「セフィラ嬢。」
やって来たディエラを見て私はとても驚いた。彼は未だに犯罪者の身分だ。そしてこの場所に、この国に彼のいる場所はない。
「どうされたの?」
内心焦りながら問いかけると
「私はこの国を去ります。」
返ってきた彼の言葉に安心する。
もしかすると彼は罪を償うと言うのではないかと考えていたのだ。そうなってしまうとこれからこの国の象徴として生きる私にとって重い枷となるに違いなかった。
これからの彼は自由に生きるべきだ。そう思うのは聖女失格だろうか?
「そう、どうか元気に人生を全うしてね。」
それが私の言える最大限の祝福の言葉だった。
「最後に少し宜しいですか。」
と言って彼は剣を抜いた。優秀な魔法使いである彼が取り出したそれは実際のものではなく、魔力によって練り出されたものだ。非常に高度な技術であることが分かる。
それを私に渡すと
「どうかあなたの手で私を永久の騎士として叙勲してください。」
私にとっては他者に人生を荒らされた可哀想な人だったが、他者から見ると陰険で狡猾な彼には到底考えられない願いだった。
私は承諾した。もう二度と会うことがないのであれば、せめてこの瞬間だけは友人として過ごしたかったから。
しかしその剣は瞬く間に姿を変え、指輪となる。困惑した表情を浮かべる私に
「あなたの視線が向く方向がこちらではないことを存じています。それでも私の気持ちは変わりません。」
彼はそれを伝えてそのまま風のように消えていった。
私の手元には何も残されていない。ただ夢のような時間が去っただけだ。
あのはっきりと明言しない求婚を思い出すと胸が詰まってしまう。
とても素敵で、前世は何度も小説を読み返したが、今はメルユールという私が実体験した場面があまりにも多過ぎる。彼はディエラであるが”あの彼”ではないのだ。
(分かってるけど……)
正直セフィラに嫉妬してしまえばしまうほどディエラを彼と同一視し過ぎているような気がする。そもそも推しって私にとっては恋人ではないのだ。
(じゃあ今の状況って、何なの?)
今の私にはあまりにも答えの出ない疑問が多過ぎる。一度頭を冷やすためにも早めに寝ることにした。
それでも逃げずにちゃんと決断しなければいけない。私の将来は私だけのものではないのだから。
次の日――。
「それでですね……」
ベンチでいつものようにセフィラと話をしていると
「いたっ!メルユール様!大変です!」
とキリアが走ってやってくる。
なぜか彼女を見る時、走っていることが多いと突っ込もうとしたが、それどころではないようだ。
ガゼボのようなところにキリアとヴィクトル殿下によって集められたのはセフィラとディエラと私だった。
「サンドルが逃亡したんだ。」
私はハッとする。
もしかして彼は原作通りに森へ入って行ってしまったのだろうか、と。しかし現状、私は森に置き去りにされていないし、破滅もしていない。彼がメルユールのいない森に入る理由がないのだ。強制力にしてはお粗末過ぎる。
「まあ、謹慎どころか王位継承権まで剥奪されて堪えたんだろうよ。」
それまでにさまざまな流れがあったにも関わらず、ヴィクトル殿下はそんな軽口で済ませる。
どうやらサンドルは私兵を用いてヴィクトル殿下の暗殺を試みようとしていたことを摘発されたらしい。確かに原作でも同じようなことをしていたが、その時はメルユールという強靭な傘に守られていたのだ。
結局彼女を捨て置いたことによって彼は没落する。この流れはあまり変わっていないようだった。
「それでもどのような行動を起こすか予測できないから関係している皆さんをお呼びしたんだ。」
とヴィクトル殿下は微笑んだ。その笑顔は少し怖い。彼も捜索に協力していたが、難航しているようだった。
お手上げだという空気の中、ふとキリアが
「そういえば殿下がやたらと世界を変えたがっている、とか信心深くなったという話をしていませんでしたか?」
と尋ねるのだ。
確かに彼にしては不思議なことだ。以前セフィラと彼の謹慎について話していたが、絶対に神殿での生活に慣れることはないと思っていたのに。
「そうなんだ。兄上は神学に熱心だったわけじゃないし、神殿に呼ばれてもまともに行事に参加していなかったのに。」
どうやら彼は謹慎の後も中央神殿に通っていたようだった。
これはどう考えても――
「自らを神の愛し子として世界を変えたいと願っていると言うの?」
そう呟いた私を一斉に全員が見た。
ただ少しこんな発言をすることは怖い。
私は彼らとは違う世界が見えているのだから。
「その可能性は高いでしょう。」
セフィラが私の意見に同意して
「神殿の奥にはこの世界と他の世界を繋いでいるとされる門が存在します。神官たちはそこから神と対話が可能であると考えているのです。」
と説明を加える。
「つまり王族が神の愛し子であると言う迷信を信じて兄上は神を呼び出そうとしていると言うのか?」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの顔でヴィクトル殿下は呆れ返っている。
「神の愛し子の逸話など、王室が当初利用したものに過ぎない。陛下だって信じていないよ。」
ただ苦笑いを浮かべながら話していたが、薄々感じているのだろう。
既にサンドルがそのことについて盲信しているのだろうという事実を。
「では神は……本当に呼ばれて来ると思いますか?」
重い空気の中、改めて尋ねたのはキリアだ。
「どうでしょう?そもそも神の愛し子が願いを叶えてもらえるのは人間たちに危機が訪れた時に人々を導くためですから。」
セフィラが説明する。
これは神学において最も重要な点だ。いずれ訪れる危機――
(じゃあ彼自身が危機を引き起こしたらどうなるんだろう?)
そんな想像をして身体が冷たくなった。もしかするとどんなこともあり得るかもしれない。
あまりにもこの世界は複雑で私にでさえ分からないことが多いのだから。
「でも、確かに神はおられますよ。」
セフィラは凛とした声でしっかりと言い切った。
「人々が結婚する際に不思議な光が降り注ぐのです。まるで歓喜の涙のような……」
そのセフィラの言葉にハッとする。
私は最も重要なことを見落としていたのかもしれない。
最初に疑った、この世界の真実について。
「私、今から中央神殿の方に向かおうと思います。」
勢いよく立ち上がって馬車を呼ぼうとする。
「私も行きます。」
セフィラとキリアが同時に私に言った。
「場の責任は私が持とう。」
ヴィクトル殿下がそう伝えてくれると心強かった。
全員に向かって
「本当にありがとうございます。」
とできるだけ真摯に伝えた。
(悪役令嬢だって言うのにこんなにも私の言葉を信じてくれる人がいるなんて。)
一方この場でディエラは一言も発していない。
「私はずっと疑問に思っていた。」
彼は突然そう告白した。
「どうして信心深いわけではなく、神学について本当によく知らない君がそこまで神に惹かれていってしまうのか。」
そう、いつだって私のことをしっかり見てくれている。この世界のあなたは私を見つけてくれた。
「もし理由があるなら教えてくれないか。」
私は彼に向き合うことを恐れていた。そして彼も恐れていたのかも知れない。初めて向き合った気分だ、本当の正面から。
「もし……もしもの話よ。」
震える手を握り締めて話す。
「私の想像通りなら、きっと私は神を最初から愛していたし、神は私を愛していたんだと思うの。」
だからこそこの世界に神は存在しているのだと思うのだ。




