17.開示された歓喜
図書館の出来事から数日経ったが、それから私はあまり熟睡できていなかった。
(正直ディエラが何を考えているかってずっとよく分からないんだよね。)
授業が終わってぼーっとしていたが、未だにキリアに言い出せていないことを思い出してため息を吐く。冬季休暇に家族だけで婚約式を行おうと決めているので、公式発表はもう目と鼻の先なのだ。
(無理に引き留めてでもちゃんと話さなきゃいけないのに……)
それに加えてディエラともう少し気まずい感じがしてしまって相談できていない。
正直私を助けるために婚約までしてくれていると言うのに、この私が他の人物に懸想しているなんて笑い事ではないのだ。
(実はあなたです!なんて絶対に言えるわけないし。)
そんなことを考えながら椅子の下で足を踏み鳴らしていると――
「メルユール嬢、ちょっとこっちの方に来てくれないか。」
そうディエラに呼びかけられる。
最近より眩しく見える彼の姿は私の目にはあまりにも毒のように感じられる。人気が少ない場所でそっと手首と手の間を握られると胸が痛くなってしまうのだ。こんな距離感が許されるのは婚約者しかいないのだから。
「ここに座ってくれ。」
彼は外のベンチをそっと指し示す。
この学園の敷地はとても広いようで、人に見つからない場所を探すのは思っていたよりも容易だということを最近分かってきたのだ。
私が座った後に彼も隣に座ると
「君がずっと悩んでいることは分かっていたんだ。」
そう話し始める。
「――キリア嬢に婚約のことをまだ伝えていないだろう?」
彼もどうやらそのことについて案じていたようだった。
「私が相手だから難しいだろう。彼女の反応は何パターンか予想できるがそのどれも中々のものだと思われる。」
嫌がられると言ったものではないと分かっているのだが、いつもの私たちではなくなってしまうのが怖いのだ。
「でもまず君が過去にしてくれたことのお返しをさせてくれるだろうか?」
話題は突然変化する。
一体何のことだろうか、いつだって見返りを求めずに私に与えてばかりなのはあなただと言うのに。
彼が取り出したのはベルベットで覆われた箱だった。私の想像できるそれの用途はただ一つしかない。
「……キザなやつになりたくないんだ。だから慣例として気軽な気持ちで受け取ってくれ。」
そう開かれた箱の中には私の想像さえも上回るような、メルユールとしての私のクローゼットの中にすらない細かなダイアモンドがびっしりと繊細に散りばめられた指輪が乗せられている。
冷たい風に吹かれた彼の髪が輝き、深い瞳は私を見つめている。
こんな一枚絵のような素敵な風景を本当に独り占めしても良いのだろうか。
「手を出してくれ。」
その言葉に従って手を差し出したが彼は一瞬見て止まってしまう。
「タコの位置がおかしいな。」
鋭い指摘に震えてしまう。
(天才過ぎて何の隠し事もできないったらありゃしない。)
「剣術の授業の成績がまずくて家で練習していたのですが……ちょっと持ち方に問題があるみたいで。」
それを聞いた彼は少し苦笑いをして
「どうか君の兄上か父上かそれか屋敷の騎士にでも教えてもらってくれ。手が泣いているぞ。」
そう傷んでいない手に少し触れられる。彼の手は滑らかで、それがあまりにも現実的でちくっとする。
ふとサンドルに付けられた傷を確認された時のことを思い出した。彼はずっと変わらない。
指輪をそっと手に取ると
「じゃあ本当に嵌めてしまうよ。いいね?」
まるで後戻りはできないかのように左手の薬指にそれは収まってしまった。
「その、恋愛に浮かれたやつにこれを見せびらかすつもりで言えばいいんだ。」
少しぶっきらぼうな口調で冗談を言う。どうやら彼の目論見はこのこと自体だったようだ。
「すごく嬉しい、ありがとう。」
もっと気の利いたことが言えたらよかったのに。ただ素直に感動することしかできなかった。
教室に戻って授業を受けた後、昼休みにキリアに予約を取り付けた。
そしてあっという間に時間はやって来る。
先ほど彼から指輪を貰った場所まで彼女を連れて行くと
「もうクラスで騒ぎになってますよ。そのすごくキラキラしてる指輪のこと!」
そう伝えてきた彼女は私の指に嵌められたそれを凝視している。
(いくら何でも早過ぎじゃないかな。)
貴族たちの目ざとさに若干引きながらも
「そう、今日はこれの贈り主についての話をしたかったの。」
それを聞いた彼女は驚いたように
「まさか今日いらしてるとかそんなのじゃないですよね?」
きょろきょろと周りを見回しているがどうしてそんなに私の周囲の人たちは勘が鋭いのだろうか。
「そのまさかなの、どうぞこちらにいらして。」
茂みの方を見て手招きをする。飄々と現れるのはもちろん彼だ。
「……ディエラ様?」
どうやら頭の中での認識が追いつかないのか不思議な顔をして止まってしまう。
見かねた彼は
「ご紹介に預かりました。メルユール様の婚約者、ディエラ・ソラネルと申します。」
そう恭しく挨拶をする。
キリアはその瞬間勢い良く息を飲んで口元に手を当てた。しかし何も言わないまま止まってしまうのだ。
「……キリアさん?」
私が肩を掴んで身体を揺すってみるが私の顔を見たまま何を言っていいか分からなさそうな顔をする。
「メルユール様!本当に良いんですか!?」
やっと彼女が叫んだのはその言葉だった。
(だいたい想像通りだったね。)
しかしその次の言葉が紡がれる前にディエラに回収されて行ってしまう。
(まあ二人にも色々思うところはあるだろうな。)
彼らは思ったより早く戻ってきたが
「ちゃんとメルユール嬢に許諾を貰ったどころかもう私の実家にも彼女の実家にも報告しているんだ。」
そうやって彼がこの婚約の正当性を主張すると
「ま!そうやって外堀を埋めて断れなくしたんですよね。怖かったですね、メルユール様……」
そんなことを言いながらも彼女は
「でもきっとディエラ様だったらメルユール様を閉じ込めてでもちゃんと守ってくださるのでその点は大丈夫だと思います。」
なんて主張してくれるのはとてもありがたいが、一部縁起が悪過ぎるので勘弁して欲しい。
「君は人のことを何だと思っているんだ。」
彼が言い返すと
「でも事実じゃないですかいつもメルユール様のことどんな目で見て――」
また二人の言い争いが始まってしまったので終わるまで遠い目になってしまう。
(私をほったらかしにしないで……)
そんなことを思いながらも三人の時間が変わらなさそうで嬉しかった。
左手の薬指のそれはあまりにも重厚感があったが――
「上部の部分を外してくれ。」
彼から贈られた時にあることを教えてもらったのだ。
上部の飾りを持ち上げるとカチッと外れてしまう。それはケースのようになっており、留め金の部分を外すと中からチェーンが現れた。
「この飾りの穴の部分を通すとペンダントになるんだ。」
指輪の状態だと豪奢なドレスにしか合わせられなさそうに思えたそれが、日常的に身に着けられるものに変化する。
「……ずっと着けるわ。」
特に深い意味を込めずにそう瞬間に言ってしまったことを後悔した。彼の頬は少し赤く見える。きっと私の頬もだろう。
(最近分かったんだけど、多分自分が認識しているよりもメルユールって美人なんだ。)
サンドルの影が見えなくなってから視線を寄越されることが多くなったのだ。
最初は訳が分からなかったが、何となく理解してからはなんて都合が良いのだろうかと悪態をつきそうになる。
二人の牽制し合いを見届け、学校が終わってから帰路に着く。
本日の課題を終わらせてから再び彼に勧めてもらった本を開いた。
神学の話を元にした古典作品だったが、そこまで古めかしい内容には思えない。
オムニバス形式で続いていくそれは小説好きとしては色々な題材を楽しめて面白く感じられたが、神学の要点は授業で習うことだけではないということをようやく知ったのだ。
ではどうして授業で取り上げない部分があるのだろうか、謎は深まるばかりだ。
「真実を見る目、か……」
神の愛し子は様々な幸運を手にしているとされている。そして能力としては"真実を見る目"が要であった。詳しくどのような能力なのか描かれているわけではないが、他の人とは世界の見え方が違うようだ。
(例えばヴィクトル殿下が空間認知能力に優れていてキリアに勝てたのもその目を持っているからってことなのかな?)
それは理解できる。しかしサンドルが何に秀でているかと言うと、そこまで特別なものはなかったはずだ。それが少し心を不安にさせた。
一体これから起きる危機とは何なのだろうか。原作では二人の王位継承権を主に描かれた話であったのでこのような壮大な世界観の設定など存在しなかったのだ。
(何も起きないといいな。)
そんなことを考えながら彼から貰った指輪はすぐペンダントにしてしまった。ぎゅっと抱きしめて枕元に置く。
原作を忘れたこの世界がどう進むか、いつ終わるか分からないけど今を大切に生きると私は決めてみたのだ。




