16.嫉妬と尊敬
「そうです、私がヴィクトル殿下の恋人ですから!」
次の日のキリアは爛々とした姿でそう話していた。どうやら話し合いは成功したようだった。
万が一、今日も調子が悪そうに見えたら、それこそまた私が殿下のところに駆け出してしまうところだ。
「セフィラさんはお綺麗なので確かに嫉妬しちゃいますが……」
それはそうだがキリアでもそう思っていたのか。
「堂々と恋人ですって紹介されちゃったら私も何も言えないじゃないですか。」
ぽつりと呟いた彼女の様子は幸せそうだ。
本当に何よりなのだが、未だに婚約者の話をできていないことが気がかりだった。
話すタイミングを伺っていたが、大体は
「じゃあ鍛錬場に行ってきます!」
と練習に向かってしまうし
ある時は
「殿下に会いに行ってきます!」
と完全に他の人に彼女の時間を奪われてばかりであった。
「はぁ……」
正直最近は考えることが多過ぎて集中して家で勉強することも難しかった。
自分なりにまとめたノートを学園のベンチに座って読んでいた。ある程度様子を見たり、この世界に存在する程度の防犯グッズという名の凶器を持ち歩いたりしてはいたが、サンドルが私の元を訪れることはなかった。
よっぽど謹慎が堪えたようだ。どうせ彼のことだから遊び歩けないことに嫌気が差していたのだろうと考えていたが――
そう、ただ意図せずにその瞬間私は目線を前に戻したのだ。その時そうする必要はなかったのだが、運命はいつだって悪戯のように想像通りの出来事を突き付けてくることがあるものだろう。
目の前には校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下があった。そこに見慣れたグレイッシュゴールドの髪を光らせている人物がいる。ディエラだとすぐに分かり、そっと見つめて微笑んでいると、手を振って可憐に小走りしてくる人物が見えた。
ペールピンクの柔らかな髪が揺れる。セフィラだ。
そう、二人は既知の間柄だったようだ。
以前、ディエラは私のことを欲がないと言って、勘違いしていたことがあった。本当にそんなことはないのだ。
悲しいことだ。こんなにも長い人生を生きているというのに、私はまだメルユールになれていない。私は二人が無邪気に笑っている姿を見て素直に感動している。彼の悲恋が叶うことを願ってしまう。
邪魔なものなど何一つない、彼のために生み出されたようなこの世界で私だけが異質な存在のように思えた。
教室に戻ると
「ああ、メルユール嬢。」
ディエラの方が先に戻っていたようで声をかけられる。
どうしたのだろうかと思い身体を向けると
「少し前から思っていたんだが……放課後、一緒に図書館に行かないか?」
思ってもみない誘いだった。
正直今はそこまで気がそそられなかったが、断るのも変だったので頷いて了承する。
(だって勿体な過ぎるよこんなの断ったら二度とないかもしれないし。)
そんな現金な自分に呆れ返ってしまいそうだった。
放課後――。
「私も君も図書館によく行くというのに実際に館内で遭遇することはなかったな、と思って。」
それは私も前から不思議に思っていた。
「だから今日は君のおすすめの本を教えてもらいたくて一緒に来てもらったんだ。」
きっと彼なりに私に歩み寄ってくれているのだろう。……婚約者として。
「じゃあ……専門書は読まれるかしら?」
何となく尋ねてみる。
原作のディエラは悪事にまつわることは多岐に渡って精通していたが、目の前にいる彼はどうなのだろうか。
「こういった本とかは読んだことはあるな。」
悩みながら彼がたどり着いた本棚の方に向かう。
想像通り、怪しげな本ばかりが並んでいた。読む人が少ないせいか少し埃がかっている気がする。
(犯罪心理学っぽいことに興味あったりするのってすごいオタクの素質があると思うんだけどなぁ。)
そんなことを考えながら
「じゃあこの小説はいかがでしょうか。」
と私が差し出したのはいかにもメルヘンチックなコテコテの恋愛小説だった。
「これは真剣に勧められているのか揶揄われているのか聞いてもいいか?」
その言葉に笑い出しそうになる。いけない、ここでは静かにしないと。
「まあ、読んでみたら分かるから。だって教えちゃったら楽しさが減るじゃない。」
私はそう言って彼にその本を押し付け続けた。
実際にその本はロマンスの皮を被った重厚なサスペンスミステリーで、知る人ぞ知るといったものだったのだが、彼が知らないのは意外だった。どうやら本当に恋愛小説のようなものは読まないようだ。
「ジゼルちゃんは賢いんだったら……そういった本が欲しいとかお話聞いてとか言ったりしないのかしら。」
奥にある長椅子に座って二人で本を読んでいた。
彼は私が押し付けた本を眺めている。私は彼が過去に読んだという古典を教えてもらった。神学に興味があると話したらそれを勧められたのだ。
「ジゼルは冒険小説のようなものが好きみたいだ。私よりも勇ましいんだ。」
とても愛おしそうな表情をして笑う。
「女性の友人がいるわけではないからこういったものに親しんだことはあまりなかったな。確かに古典作品にも通づるところはあるだろうが――」
そう、ただ少し気を悪くしたのだ。私だって嘘を吐くことはあるし、嘘だらけだと言うのに、癪に障ってしまうことがある。
「そんなことはないんじゃない?」
口から出た言葉は思っていたよりも刺々しいものだった。
「だって今日すごく綺麗な女性と一緒にいるのを見かけたし……あちらは友人じゃないの?」
どうしてだろうか。こんなことが言いたかったわけじゃないのに止まらなかった。
「だとしたらどんな関係かって――」
静かなその場所で時間だけでなく空気の流れも止まってしまったようだ。
「君、もしかして嫉妬してるのか?」
ベンチに手をついて少し私の方に身を乗り出した彼がそう問いかけてくる。
私は彼に私を見て欲しくなかったのではなく、私が私自身を見たくなかった、直視したくなかっただけではないだろうか。
それなら私は……私でなくメルユールを選ぶだけだ。
「違うわ。私は正式にあなたの婚約者だから疑われるような行動は控えて欲しいってお願いしようと思っただけよ。」
そう言い放って顔を背けようとすると彼は私の顎に手を添えて自らに目を逸らさせないようにした。
「ちゃんと私の目を見るんだ。」
どうやって?あなたの目は私にはいつだって眩し過ぎると言うのに。
煮詰まり過ぎた空気を溶かすように彼は少し咳払いをして
「ちゃんと説明させてくれ。」
と話し始めた。
「彼女はセフィラ・ニュレルという令嬢で……私の幼馴染だ。」
正直驚いた。私が思っていた以上に彼女と長い付き合いだったようだ。
「ジゼルが幼い頃に病気だったのだが、彼女も同じ病気の経験者だったこともあって家同士の親交があったんだ。」
納得した。
確かに原作でもセフィラが幼少期に何らかの病気にかかっていた描写があったのだ。一部のキャラクターのみが別世界に来ているとはいえ、その設定は継続されているようだった。
しかしそのことに現在進行形で苦しめられていることはない。幸いだが不思議に思えた。
(ある程度の整合性を取ろうとはしてるんだよね)
正直この時点で自分が何を口走ってしまったかすっかり忘れてしまっていたのだが、話は続く。
「だから彼女は私の友人というよりもジゼルの友人という方が正しいんだ。」
彼は本当に誠実だ。何も取り繕うことなく真剣に私に説明をしてくれた。
「勝手に勘違いしてごめんなさい。ちゃんと冷静に聞くべきだったわね。」
次はしっかり彼の目を見て、できるだけ綺麗に微笑んだ。そのつもりだったが――
彼は再び腕に重心をかけ、私の方に身を乗り出した。やっと慣れて意識することの少なくなったルバーブの香りが今までで一番無防備な心臓を貫いていく感覚がする。
甘くて酸っぱくて……少し苦い。いや、これは香水ではなくて、彼自身の――
耐えられなくなって目を瞑ると
「ようやく理解した。」
そんな彼の声に目を開いた。
一体彼は何を考えついたというのだろうか。自分でも分かるくらいにきょとんとした顔で彼を見つめていると
「君はもしかして――」
(何、何を言おうとしてるの!?もしかして……)
「私に似ているって言う知人のことが、その、好きなんじゃないか?」
それを聞いた瞬間に私はベンチから転げ落ちそうだった。
しかし彼は鈍感ではない。寧ろ誰よりも鋭いのだ。私が一番指摘されたくなかったことを言い当ててしまうだなんて。
(さすが推し!って頭の中で踊っちゃってる感じがするの、ちょっとお花畑過ぎるかな。)
そんなことを考えながら
「さぁね。」
私は彼ほどの誠実さを持ち合わせていないので軽くあしらってしまった。実のところ分からないのだ。だからまだもう少しだけ時間が欲しい。
(人間として好きって何だろう。尊敬してる、とは違うんだよね?)
原作と共に前世の記憶が薄れつつある今の私には難しかった。
そして狂おしいほどの愛を知っているはずのメルユールも今は答えてくれないような気がしたのだ。




