42話 ー 色の無い未来 ー
目の前の世界には、色がなかった。
そこは、オレ達が暮らす場所。
綺麗に磨かれたテーブル。
使い慣れた台所。
メモ用紙が貼り付けられた冷蔵庫。
10年間見続けてきたその部屋を、見間違う筈なんてない。
だが。
その世界には色がなかった。
テーブルの上には空になった湯呑みが二つ、寂しそうに乗っているだけ。
台所にある調味料は埃を被り。
メモ用紙に書かれた日付と電子時計が示す日付は、大きく離れている。
いや、色はあるのだ。
しかし、今までオレ達の生活を彩ってきた彼らの姿からは、まるで魂を感じない。
そこに見えている物が存在しない…… 色褪せたモノクロの世界を見ている様な感覚に苛まれる。
物悲しさを漂わせるリビングには、二つの影。
一つはオレで……… もう一つはシャーロット。
凪咲の姿はない。
目の前にいるシャーロットも、様子がおかしいかった。
目元は長い金髪に隠れていて表情は見えない。
だが、その事自体に違和感がある。
彼女は基本的に前を向いている。
笑う時も悩む時も、緊張している時でさえ、視線は下げても、顔だけは前を向いていた。
そんなシャーロットが、俯いて唇を強く結んでいる。
涙はない。
ただ、ただ、無力な自分を痛めつける様に、噛み締め、膝を握っている。
居た堪れない気持ちになり、オレは凪咲の部屋を訪ねた。
扉を開ける。
そこには、彼女はいなかった。
……… いなかった、と、目を背けたかった。
遠目からでもわかるくらい衰弱しきった身体。
散らかしっぱなしの制服や雑貨。
あれだけ凛々しく綺麗だった、凪咲のトレードマークとも言えるポニーテールは、雨風に晒された稲のようにボサボサだ。
何より信じ難かったのは、彼女の目だ。
自信に満ち溢れていた眼光はなく、オレを見ているのかさえ分からない。
人を疑い、人に怯え、人を近づけない。
そんな意思が、オレの目を通して心臓を貫く。
そして、オレの存在を認識した凪咲は、ふっと吹けば飛んでいきそうな弱々しい笑顔を見せた。
あぁ、そうか。
これは " 夢 " だ。
オレは昨晩、シャーロットと話した後は、病室に戻ってグッスリ眠った筈なのだから。
………… そう考えることができれば、どれだけ良かったことか。
" 予知夢 " 。
いつかは分からないが、何処かで道を修正しないと、この光景は現実のものになってしまう。
確信。
不安。
焦り。
オレは何か手がかりがないかと部屋を探そうとした。
が。
途端に力が入らなくなる。
夢から覚めようとしているのだ。
膝が折れ、埃まみれのカーペットに倒れこむ。
それでも藻搔いた。
凪咲に、もう二度とあんな顔はさせない。
昔の弱虫ナギには戻らせない。
必死に伸ばした手の先には、開きっぱなしになっている一冊のノート。
既に足は動かない。
最後の力を振り絞って、ノートを手繰り寄せる。
【 急がば回れ。答えを急ぐな 】
どこかで見たことがある字で書かれた文字が、オレの目に入った。
それが、予知夢の最後の光景となった…………
「遥希さんっ…… そのっ、は、はやくっ…… おきてくださっ…… 」
予知夢から覚めた後、最初に聞こえてきたのは、シャーロットの妙に色っぽい声。
次に、ノートを手繰り寄せようと懸命に伸ばした手からは、なんだか柔らかい感触が、徐々に脳内へと伝達される。
ぼやけていた視界が晴れていく。
そこには顔を真っ赤にしたシャーロットが、寝ているオレを見下ろしていた。
「…… あぁ、どうした?」
欠伸を噛み殺しながら生返事をすると同時に、手の感覚を確かめるように指を動かしてみる。
「…… んっ」
途端にシャーロットが身をよじった。
……… ゆっくりと手元を見る。
力を振り絞って伸ばした手の先にあったもの。
それは、将来を期待せずにはいられない、ブリティッシュの血が通った双丘の一角だった。
あーね、なるほど、おっぱいね。
道理で柔らかいと思ったわ。
ってかなんで見た目はそんなに小さいのに、いざ触れてみるとこんなにも柔らかいのだろうか。
凪咲のちっぱいと言い、女性の身体の神秘は計り知れないな。
ここまでのシークタイムは0.5秒。
「すっ、すまん! ありがとう、すまん!!」
指摘されてから一瞬で手を離したオレは、そのまま襲撃されたヒーローの如くベットから転がり落ちて、シャーロットの足元でDOGEZAした。
「い、いえ……… おっ男の人に胸を触られたのは、初めてだったので…… ちょっと驚いただけですので、お気になさらないでくださぃ…… 」
不問としてくれるようだ。
ありがてえ、ありがてえ。
オレ、この手一生洗いませんっ!
「そんなことより…… ナギさんが目を覚ましました!」
「マジか。先生は? 今何時だ?」
「朝の6時です。先生はまだお呼びしてなくて…… まずは遥希さんに報告しなきゃって」
「…… ありがとう。よく気が付いてくれたな」
「お手洗いに行く時に偶然…… ただ……… いえ、先ずは遥希さんもナギさんに会ってあげてください!」
シャーロットに引っ張り上げられながら、向かい側のベッドに向かう。
因みにベッドの配置は、部屋の右側に凪咲とシャーロット。
左側にオレといった感じで、せめて男女の境界線を作ったのだ。
オレがな。
やっぱりね、オレも男の子なわけだからさ!
自分でブレーキをかけないとヤバかった。
さてさて、お姫様のご尊顔は…………
「………っ!? ……あっ、遥希…」
最初に脳裏によぎったのは、先程見た予知夢の凪咲。
あそこまで酷くはなかったが、今の凪咲の姿は、あの凪咲と被って見えた。
…… 見えてしまった。
必要以上に怯えた反応に、一瞬言葉を失ってしまう。
「…… 身体は痛くないか、ナギ?」
喉の奥で何度もつっかえたが、何とか声を前に出す。
「うん。おにっ…… ハルの怪我は? 大丈夫!?」
「あぁ、問題ないよ。やっぱかすり傷だったみたいでさ、包帯巻く必要もないって笑われたくらいだ」
「…… ごめんなさい。私、何も出来なくて」
「仕方ないですよ。間近であんな事が起こってしまったんですから」
「そんなの、言い訳だよ。元はと言えば、私の魔法が…… 」
シャーロットのフォローも届かないのか、中々顔を上げようとしなかった。
同時に、手元は何かを探るようにフラフラと右へ左へ彷徨っている。
探しているのは恐らく。
「ねぇ、私のリボン知らない?」
やっぱりか。
「ここにはない。現場に落ちているかもしれないけど…… 」
「探しに行くっ!」
「まぁ座りなよ若いの」
膝元に掛かっていたシーツを蹴っ飛ばして立ち上がろうとした凪咲の肩を押さえつける。
「離してっ! アレは私にとって大切なモノなのよ!」
そう言って貰えるとプレゼントした甲斐があったと思うが、今はまだ行かせられない。
と言うか、事故にあって気を失ったヤツが、目が覚めた瞬間に外に出るとかかなりマズイだろう。
「気持ちは分かるが、お前はまだ起きたばかりだ。お前の事も心配だが…… 今お前が飛び出して行ったら、色んな人に心配や迷惑をかけるってのは、わかるか?」
「….…… それは」
「それにお前がリボンがないと騒ぎ立てる事は想定済みだ。棚橋先生が一緒に来てくれたこと、覚えているか?」
コクリと凪咲は頷いた。
その辺の記憶はあるらしいな。
「実は、先生が帰る時に現場にリボンが落ちてないか調べて貰うように頼んであるんだ。もし見つかれば今日中には届けてくれるはずだ」
「…… そっか、よかった」
一安心したのか、いそいそとシーツを再び足元にかけて元の位置に座る凪咲。
「………… 」
そんな安心しきった彼女の表情を見ていると、次の言葉が言えなくなる。
「でも、十中八九リボンは千切れていて、もう使い物にならないだろうな」
伝えたきゃ行けないのに、オレの口は全く動いてくれなかった。
逆に考えよう。
仮に見つかったとして、何も本当に千切れているとは限らないじゃないか。
もしかしたらあの音は、オレか凪咲の衣類の一部が破れた音だったのかも知れない。
何なら聞き間違いと言う可能性だってある。
…… どちらにせよ、真実は棚橋先生から連絡が来るまで分からないのだ。
この件は、伏せておこう…… 。
コンコン。
思い悩んでいると、病室の扉がノックされた。
「おはようございます。桜庭さん、如何されましたか?」
ノックの後に扉を開けて入ってきたのは、少々若めの看護師さん。
オレは凪咲のベッドに向かう直前に、自分のベッドの頭元にあるナースコールを押してから凪咲と対面していた。
故に、何かあったのはオレだと思ったのだろう。
「ナギ…… 東雲が目を覚ましたので、先生を呼んできて頂けませんか? 意識はしっかりしていて、体調も問題ないみたいです」
「わっ、わかりましたっ! 直ぐに呼んできますね!?」
あわわえらいこっちゃと、バタバタ走って行ってしまう。
新人さんなのだろうか、看護服を来て走る姿があまり慣れていないように感じた。
「…… だ、誰か、来るの?」
すると。
凪咲は何故か急に弱気な態度になってしまう。
「私達を見てくださったお医者様がいらっしゃるんですよ。も、もしナギさんが起きたら知らせる様に言われてましたので」
シャーロットもそれが気になったのか、言葉の端々に疑問が感じられる。
「ふ、二人とも、一緒にいてくれるわよね…… !?」
ギュッと、オレの手を握りながら訊ねる凪咲。
一体何をそんなに不安がっているのだろうか。
確かに昨日の今日だ、内心穏やかじゃないのも分かるし、できれば一緒にいてやりたいが…… 。
「わかった。ただ、医者から席を外せって言われたら離れるぞ? 個人にしか本人にしか話しにくい事もあるだろうし」
「…… わかった。でも、なるべく離れないで。シャーロットも、一緒にいて頂戴?」
「もちろんですよっ。今日はずっと、ナギさんの隣にいますね?」
シャーロットはそう言って、凪咲の隣に腰を下ろした。
結局、急いで部屋に入ってきた医者に、午後からもう一度精密検査を受けて問題なければ家に帰って様子見とのお達しが降ったのだが。
話を聞いている間。
オレの手を握りしめていた凪咲の手は、ずっと小刻みに震えていた。




