月明かりに包まれた
一方その頃、月明かりに包まれた部屋の中。
思わず呼吸を止めてしまいそうなほどの夜の静寂の中で、窓に近寄って、嵐山 蓮は、細く、形の整った白い指を分厚い布に沿わせて、少し引き寄せる。黒い雲が少し夜空を隠しているのを、横目でチラリと一瞥すると、ゆっくりとカーテンを閉ざした。
そのままゆったりとした動作で振り返り、誠の腕の中で、まるで安心しきったかのように眠る香をじっと見つめた。まだ幼さが残る顔立ちは、いつも無愛想な表情を浮かべていても、こう目を閉じて眠っていると可愛らしく、年頃の子と変わらないように見える。
どうして、こう上手くいかない。
香が出発してしまい、心寂しさは時とともに憂れい、胸が塞がるような思いになって、いつの間にか香の顔を再び見ることを希ったほど辛かった。そのたった1晩だけで、初めからアクシデントだらけの1晩だけで、こうもなってしまうなんて自分らしくもない。ただ感情的に1人で助けに行こうとして、みんなに押さえられて、幾重にも縛られ繋がれていた。暗闇の中、今にも1つ2つ、落ちてきそうなくらい頼りない砂金の粒のような満天の星を。空が薄紫色に白み、うるさいくらいに眩しい星の光がだんだん消えてゆく様を。真っ赤な燐光が最初の1欠片を投じた瞬間を。ただ、放心したように見つめていた。
……そんな夜を思い出しただけで、蓮は物憂いような、そんな気分になってしまうのだ。
「なんで、俺じゃないんだ」
なんとなく心に影が差した気がして、香の髪を指で弄ぶ。その細い絹糸のような髪は、指の隙間からするりと落ち、何事も無かったかのように流れに混じってしまった。
「……どうした、ボス」
ほとんど声のない、空気だけで発音するような音が響いた。目を開いたのは誠だ。心地よい眠りを妨げられ、多少不機嫌に見える。誠が香の背に回した腕を少し動かしたからだろうか、香は小さく甘えるような声を漏らして、誠の胸に額を押し付けた。それを見て、一瞬躊躇って、
「なんにもねぇよ、ちょっとお出かけしてくるから留守番頼んだ」
「……またいつものか」
「さぁな」
素っ気ない返事で視線を逸らす。そこはかとなく浮かんだ嫉妬を、知られたくなかったのかもしれない。もしくは、自分以外の腕の中に抱かれているその小さい子供を見たくなかったのかもしれない。どっちにしろそこを直視していられなかったのだ。後から、まるで愛を結びあったあと、恋人同士が2人きりの夜を過ごしたあとのように見えてしまったのだと理解する。
……そんな馬鹿な。ありえない。2人共、浮いた話は何1つ聞かない。
誠は若きマフィアの幹部でありながらも女性に一切の興味がなく、それは仕事の付き合い (という名の相手側の色仕掛けだが)でもそうだ。レディーファーストを欠かさないフェミニストだからちゃっかり相手が惚れてしまって、組的には上々だが、誠はよく迷惑してたりする。
香なんて言うまでもない。そもそも相手が狙わない。雄々しい感じもないし、ぶっちゃけ可愛いツンデレ系アイドル……? 特定の相手ではなく、囲みができるタイプだ。まぁ、本人ははた迷惑そうな顔をしているが。
そんな恋愛関係においては迷惑しか被ってない2人がまさかな……。確かに2人は一途だが……いや、考えても仕方がない。と、ブンブンと首を振って考えを追い払おうとする蓮を誠は不思議そうな顔で見ると、ゆっくりと上体を起こした。
「俺も行こう」
「ダメだ」
「何故なんだ」
「ダメだ」
「おい……?」
「ダーメーだ」
「理由くらい述べたらどうだ?」
何を聞いてもダメだの1点張りな蓮に、誠は眉をしかめ、語気を強めて問う。だが、蓮は俯いたまま言葉を発することは無かった。実は、蓮はこの結果はなんとなく想像出来ていた。きっと誠が行きたがるだろうと。だからこそ知られたくなかったのだ。責任感の強い誠は失態を演じてしまった事に人1倍苦しんでいる。それは蓮も知っている。汚名を挽回しようとするだろうということも、香の復讐を果たそうとするだろうということも。
それでも、蓮は行かせたくなかった。来てほしくなかった。何故かはわからない。とにかく、ダメだった。あえて理由をつけるなら、不眠で身体を追い込んでいて体力がないだろうとか、香を1人にはできないとか、適当に取り繕うくらいなら簡単に思いついた。思いつくが、それを言葉にはしなかった。ただじっと、自らの鼓動すら辺りに響くような静寂の中で、蓮はピクリとも動かずに突っ立っていた。
「まぁいい。俺も行くからな」
「…………」
「俺達のボスであるお前が止めたってやめるつもりは無い」
「………………」
「……なぁ、お前、どうして……」
そこまで言うと、誠は少し躊躇するように視線を逸らし、さまよわせた。再び蓮の目を覗き込んだその表情は、まるで本心から困ったように眉を下げ、元々低く優しい声をさらに柔らかくして尋ねた。
「どうして、泣いているんだ」
「――ッ、はは、俺が?」
「そんなに、俺がイヤか」
「そんなんじゃねぇし」
「じゃあ、どうしたんだ。お前が泣くところなんて初めて見たぞ」
「泣く? 俺がなんにもないのに泣くわけないだろ」
「……どうして、認めない」
ムキになってベッドの縁に手をついて抗議する蓮を見て、誠は小さな子供でも見るような目付きで蓮を見ていた。
少し前から、誠の目には、蓮の瞳が映っていた。その目は、微かに煌めいて見えた。それに手を伸ばして親指で払う。そしてその少し濡れた指を蓮の目の前に差し出した。
「じゃあ、これはなんだ?」
「知らねぇ」
「泣いてる時くらい認めればいいだろう」
そういう誠の顔は真剣みを帯び、1つも嘲笑おうなんて感情は見えない。それどころか、本気で、心の底から諭すように話しかけていた。




