図書館と医術師
図書館の前までやってきたネネはその立派な建造物に驚かされた。見上げた外観はまるで城のようだ。
さっそく中央の大きな扉、ではなくその横にある小さな扉から中に入る。そして一歩中へ足を踏み入れた途端、ネネは驚愕した。
(はあぁぇえ)
外観からしてある程度予想はしていたが、内部はその予想を軽く超えていくものだった。
吹き抜けになった天井は恐ろしいほど高く、奥行きは館内が薄暗いこともあって、最奥がはっきり見えない。
両側にずらりと並んだ本棚はいったいいくつあるのだろうか。散々歩き回ってやっと、食関連コーナーを見つけることができた。
(なっ……)
食べ物の本だけでこんなにあるのか。
またもやネネは愕然とさせられながら、棚にぎっしりつまった本のタイトルを眺めてまわる。
その中で最初に目に留まったのは『異国の珍味』と書かれた本だ。手に取ってぱらぱらめくってみて、借りることにした。
さらに次は図鑑コーナーにも行ってみる。
図鑑もさすがに種類豊富だった。『美麗:闇魔法陣集』『肉食植物を食べる草食動物』『昆虫の生み出す魔法色素』など見慣れぬタイトルが並ぶ。
ネネはキノコと魔草に関する図鑑を借りることにした。それらの本を担いで貸し出しカウンターに向かおうとしたとき、『珍獣』と書かれた図鑑に目がとまる。ちょっと気になって本を開いてみる。そしてあるページで、手がとまった。
『白獅子』
挿絵には、真っ白な毛並みの美しい獅子が描かれていた。
その白い毛並みに引っ張られたのか、あの白髪医術師のヘラヘラした笑みがネネの脳裏に浮かぶ。
ちょっと気になって解説を読んでみた。
——白い獅子が棲む地域で、彼らは高潔の象徴とされており、人々を救う神の使いとして崇められている——
この獅子に限らず白い生き物というのは神聖視されやすいものだ。が。
「彼は……高潔って感じじゃないよね」
あの微笑みはむしろ、ものすごく俗っぽかった。
とネネが不敬なことを考えていると、すぐ隣から声がした。
「誰が高潔じゃないんだい?」
びくりと右隣を仰ぎ見れば、白髪の美青年が開いた本を手に立っていた。
いったいいつの間にやって来たのだろう。
というか。
「どうして図書館に?」
「俺だって調べものくらいするさ。そんな不勉強な医術師に見えたかい?」
ネネは、うっと声をつまらせる。
「それにしても無事帝都に着いたようでなにより。初日の仕事も順調だったみたいだね」
「はい……おかげさまで」
と返したものの、ネネは違和感を感じた。
今日、食堂でルスランの姿を見た記憶はない。どこで自分の仕事ぶりを知ったのだろうか。
訝しんでいるネネの内心を察したのかルスランは、
「ミランダさんから報告を受けてね。君のことをたいそう褒めていたよ。前の料理人にはずいぶん苦労させられたから君が来てくれて本当によかったって」
「ありがとう、ございます」
「今日は行けなかったけど、今度俺も厨房の方へ遊びに行くよ」
それから、とルスランは読んでいた本をパタンと閉じる。
「君には他にも色々頼みたいことがあるんだよね」
「……何でしょう?」
「まあまた追々話すよ。今は新しい仕事に慣れるのに専念してくれればいい」
そう言って朗らかに微笑んだルスランは、「じゃ、また」とひらひら手を振って行ってしまった。
「私もそろそろ帰るか」
明日の朝も早い。さすがにそろそろ寝なくては明日の仕事に差し支えそうだ。
◆ ◆ ◆
ルスランは図書館でネネと話をしたのち、自分の宿舎へ戻ろうと回廊を歩いていた。すると回廊に女性の声が響き渡った。
「ドクター! ドクター・ルスラン!」
ルスランは足をとめ、後ろをふり返る。
するとそこにいたのは、帝国諜報局員ペトラ・ペペであった。
(また来たのか)
帝国諜報局とは、異国のスパイや売国奴の調査摘発をしている機関だ。
ルスランはスパイ行為など全くもって関わりがないのだが、異国出身である彼は何かと諜報局に目をつけられているのだった。
ペトラは塵一つついていない眼鏡を光らせ、長い黒髪を左右に揺らしながら、つかつかと歩いてくる。
ルスランは彼女へ朗らかに微笑んでみせた。
「これはこれは、ペペ諜報官。こんなところでお会いできるなんて嬉しいなあ」
その言葉にピタリと足をとめたペトラは、自分の腰に手をあて目を細める。
「心にもないことをおっしゃるわね。ルスラン・ユト。むしろ今すぐ逃げ出したいのではないですか?」
「まさか。あなたとのお茶なら、いつでも大歓迎ですよ」
ルスランがにっこり微笑むと、ペトラはふんと鼻を鳴らした。
「私があなたに会いに来たのはお茶をするためではありません。『港町の料理店購入』について伺うためです」
朗々と言い放ったペトラに、ルスランは不敵な笑みを浮かべた。
「何か問題でもありましたか?」
「なぜ医術師のあたなが料理店を購入したのです?」
「医術師は料理店を購入してはいけないのですか?」
「いえ、そういう訳ではありません。ただ料理店購入だけではなく、その店で働いていた雑用係を学校の食堂料理人に推薦したそうじゃないですか」
ペトラはむんと胸を張る。
「いったいなぜ、あんな田舎町の娘を学校に連れてきたのです?」
「ちょうど学校の料理人が辞めたがっていましたからね。その穴埋めに彼女が適任だと思ったからです。それに雑用係ではなく、彼女はれっきとした料理人ですよ」
「仮に彼女が料理人だとして、聞いた話では彼女は魔法が使えないそうじゃないですか」
「ええ。でもたとえ魔法が使えなくとも、彼女はきっとこの学校に恩恵をもたらしてくれますよ」
「恩恵だなんて、大袈裟なこと。あんな無能者を推薦するなんて何か裏があるのでしょう? 一体何を企んでいるのですか?」
そう言うペトラの表情を見て、ルスランはふふっと笑った。
「何がおかしいのです」
「いや、失礼。ペペ諜報官はお優しいなと思って」
言いながらルスランはゆっくりペトラとの距離をつめていく。戸惑った様子のペトラはルスランから距離を取るように後退るが、後ろには壁があった。
ルスランはペトラの頬に触れそうな位置で、壁に手をつき囁く。
「あなたは私が査問にかけられるかも、とこうしてわざわざ報せに来てくれたのでしょう? 私を心配して下さったのですね」
「なっ、そんなわけないでしょう」
否定しながらも目をそらすペトラの顔を、ルスランが覗き込む。
「お気遣いはありがたいですが、心配して頂かなくて大丈夫です」
自分の身は自分で守れますから、とルスランは放心しているペトラを残してその場から去った。
ルスランはペトラと別れたのち薄暗い回廊を歩きながら小さくため息を吐き出した。
(まあこうなるだろうとは思っていたけれど)
あの料理人のことは自分でも強引だったと自覚している。しかしそれでも、あの娘をあの港町から連れ出さずにはいられなかった。
現在、ルスランは学生たちの健康管理を学校長より任されていた。健康管理において大事なことは運動や睡眠などいろいろあるが、ルスランが注目したのは食事の改善であった。
学生たちを調査したところ、彼らは学内の食堂をあまり利用しておらず、学外の店に食べに行ったり出前を利用している者が多かった。
(もし食堂の食事がおいしくて、なおかつしっかり栄養がとれるものだったなら……)
学生たちの健康管理という点で十分成果を出せそうな気がする。そう考えたルスランは、ちょうど食堂の料理人が一人辞めたがっているということを聞き、新たな料理人を探すことにした。
しかし、栄養に関する知識があって学生の健康管理に協力してくれそうな料理人などそう都合よく見つかるものではなかった。方々探し回っても適任者はおらず、これはもう何か他の手を考えなくてはならないかと諦めかけていた。
そんな折、あの料理人、ネネ・クルタリカに出会った。
調べたところ魔法が使えないということだったが、食材の知識も料理の腕も申し分ないし、さらに知力、洞察力についてもかなり優れているようであった。ルスランが探しているのは、魔物を倒せるような派手な魔法を扱えるものではなく、食の知識と深い思考力を持った者だ。そういう意味ではネネ・クルタリカは最適な人材と言えた。だから多少強引にでも彼女を帝都に引っ張ってきたかった。たとえ周りの誰もが彼女の能力を疑っても、自分が分かっていればそれでいいと。
(それにしても)
彼女はなぜあそこまで魔法が使えないのだろうか。人によって魔法の得手不得手はあるものだが、薪に火もつけられないほどというのは逆に珍しい。そこまでいくとむしろ何かによって制限がかけられているような……。
とそこまで考えて、ルスランは首を振った。
(俺が今考えたところで、どうなるものでもないな)
現状、彼女は求めていた人材の条件を満たしているのだ。ならそれでいい。
ルスランは頭に浮かんだものを忘れることにして、廊下を進んだ。




