エリクシルフラワーの蜂蜜
ミランダの姉、アマンダがやっている牧場は皇宮の北にあった。
「こんにちは。アマンダさん、ですよね」
「ああ! あんたがミランダの同僚だね」
「ネネ・クルタリカです。よろしくお願いします」
「エリクシルフラワーの蜂蜜だったね。今年の分はちょうどこれからとるところなんだけど養蜂は旦那がしてるんだ。ただちょっと用事で出ててね。もうすぐ帰ってくるからそれまで少し手伝ってくれるかい?」
ネネは牛舎に連れて行かれた。
「さあ、これから搾乳の時間なんだ。あんたは牛の搾乳はしたことあるかい?」
「いえ、ありません」
「そうかい。なら私が見本を見せるから真似してやってみな」
アマンダが牛の乳を搾りながらコツを教えてくれる。ネネも見よう見まねで乳搾りにチャレンジした。
「うまいね。その調子で頼むよ」
乳搾りはなかなかの重労働だったが、はじめての経験で興奮していたのか思っていたより早く終わった。
「助かったよ。休憩にホットケーキを焼こう。せっかくだから搾りたての牛乳でバターを作ってくれるかい?」
「分かりました」
バターの作り方ならネネにも心得がある。
とれたての牛乳の上層に溜まったクリームを適当な瓶に入れ、あとはひたすら振るだけだ。
(くう)
乳搾りのあとにこの作業はなかなか腕にくるものがある。しかしアマンダが焼いてくれるホットケーキの匂いをかげば、その辛さも幾分和らぐというもの。10分ほどシャカシャカと瓶を振っていると、次第に音がしなくなってきた。
(そろそろかな)
手を止めて瓶の中を見てみると、もったりしたバターが出来上がっていた。水分を別容器にあけてバターだけを皿に取り出す。
「うまくできたね。こっちもちょうどいい具合に焼けたよ」
アマンダは熱々のホットケーキを皿に移した。
「あんたが作ってくれたバターと、蜂蜜をかけて頂こう。これは去年とれたエリクシルフラワーの蜂蜜だ。たっぷりかけて食べとくれ」
焼きたてのホットケーキにバターを乗せるとすぐにジュワッと溶けて、さらにその上から蜂蜜を垂らせばえもいわれぬ香りがネネの腹を鳴らした。
「いただきます」
ネネはホットケーキを一口大に切ってかぶりつく。
「お、おいひい!」
ふわふわのホットケーキにジュワッとバターが染み込んで、そこにねっとり甘い蜂蜜が絡まれば悶絶級のおいしさだ。エリクシルフラワーの蜂蜜は少しクセがあるが、後味がスッキリしているのでいくらでも食べられそうである。
ネネが夢中でホットケーキにかぶりついていると、玄関の扉を開けて中年の男性が小屋に入ってきた。
「はー、まいった。すっかり遅くなっちまった」
男性はアマンダの夫、グレゴリーだった。あいさつが済むとグレゴリーはさっそくネネを養蜂場へ案内してくれた。
「巣に近づく前に、蜂に刺されない魔法をかけとこう」
グレゴリーはネネの頭の上でクルクルと円を描いた。
「これで蜂に近づいても襲われることはないから安心しな」
「ありがとうございます」
グレゴリーは蜂の巣へ向かう道すがら養蜂についていろいろ教えてくれた。
「蜂ってのは賢い虫なんだよ。常により良い蜜源を探してるし、群れにそれを伝える手段も持ってる。だから普通蜂蜜にははいろんな花の蜜が混じってんだ。じゃあもし蜂に単一の花の蜜だけをとらせたいと思ったらどうすればいいか分かるか?」
「その花の近く……他の花はあんまり咲いてないところを選んで巣を作らせる?」
「正解だ」
「でもエリクシルフラワーってあんまり群生したりしないですよね」
「そうよく知ってるなお嬢ちゃん。実はうちの蜂は特殊でな、エリクシルフラワーの蜜しか採らない。だから巣をどこに置いたって必ずエリクシルフラワーの蜜を採ってくるんだ」
と、グレゴリーの話が終わったところでちょうど蜂の巣に到着した。
グレゴリーはさっそく巣箱を開けて巣脾と呼ばれる巣の板を一つ取り出した。そこにはずらりと美しい六角形の巣房が並んでいた。この巣房の中に貯められた蜂蜜をいただく。見たところ巣房の中は蜂蜜しかないようだが、蜂はいないのだろうか。
「これって蜂蜜に蜂の卵が混じってたりしないんですか?」
「女王蜂が卵を産むところと蜜を貯めるところは別だから混じることはないんだ。まあ手狭になるとごっちゃになっちまうから様子を見て巣を大きくできるようにしたり、あとは体の大きな女王蜂が蜜貯めの場所へ入れないようにしておいたりっていう工夫もしてるんだ」
なるほど確かにそのおかげでグレゴリーが取り出した巣脾に卵はないようだった。あとはこれを濾過して不純物を取り除けば蜂蜜の採集は終了だ。ネネはグレゴリーからとりたてのエリクシルフラワー蜂蜜を一瓶もらった。
「この蜂は先祖から代々受け継いでる蜂でな。エリクシルフラワーの蜂蜜を皇宮に納めてるのはうちだけなんだ。量がとれねえから他に売ったりもしてないし貴重だぞ」
「ありがとうございます。もしかしてこの蜂蜜を使ったお酒のこともご存知ですか? ネクタルと言うんですけど」
「え? ネクタルってこの蜂蜜から作ってたのか? そりゃあ知らなかったな。もしかしてお嬢ちゃんはネクタルを作るためにこの蜂蜜を探してたのかい?」
「ホフマン先生に頼まれたんです」
「へえ、もし本当にネクタルができたらオレたちにも飲ませてくれよ」
ネネはネクタルのお裾分けを約束して学校へ戻った。
夜、ネネは蜂蜜酒作りにとりかかった。蜂蜜酒の作り方はシンプルである。材料は水と蜂蜜と妖精の粉だけ。レーズンを入れたりする製法もあるが、今回は入れずに作ってみる。
清潔な瓶に材料を全部入れたらあとは数週間待つ。
「さあ、どんなお酒になるかな」
数週間後、エリクシルフラワー蜂蜜の蜂蜜酒が完成した。
(ちょっと味見してみるか)
蜂蜜酒を少量コップに移し、まずは香りを確かめてみると。
「かはっ」
強烈な酒の匂いが鼻を刺激した。本来蜂蜜酒はワインと同じくらいの強さの酒だがこれは明らかにもっと強い酒になっている。
「どうしよ」
ネネはあまり酒が得意ではない。料理には使うが、こんな強い酒は飲めない。
こうなったら味見はせずにホフマン教授に渡してしまおうか。どうせ儀式に使用するものなら味はそれほど重要ではないだろう。ただ料理人としては自分の作ったものを味も確かめずに他人に渡すことにやや抵抗を感じる。
と思っていたところ、ちょうどいい人物が夜の厨房へやってきた。
「今日もおつかれさま〜」
気が抜けるようなあいさつとともに厨房の裏戸を開けたのはルスランである。
「お、これは珍しい。君が酒を飲んでるなんて」
「飲んではないですよ。作った酒の味見をしようとしてただけで。ホフマン教授にネクタルを作って欲しいと頼まれたんです」
「え、じゃあこの酒がネクタルなのか?」
「いろいろ調べて一応ネクタルと呼べるものになってるとは思うんですけど……よかったら味見してみてくれませんか? わたし強い酒は飲めないので」
「ぜひ頂こう」
ネネはルスランに先ほどネクタルを注いだコップを渡した。せっかくなのでおつまみとしてチーズも少しばかり切り分けて出してやる。
ルスランは嬉々とした様子でグラスを傾けた。
「んん、確かにけっこう強い。けれど、美味しいよ」
「そうですか。ならよかったです」
本物のネクタルとは違うかもしれないが、お酒として美味しくできているならそれだけでも作った甲斐はある。
「だけどこれ……蜂蜜酒だね?」
「はい、エリクシルフラワーの蜜からできた蜂蜜を使って作りました」
「蜂蜜酒って、場所によっては花嫁が新郎に飲ませるものだって知ってる?」
「へえ、そうなんですか」
「結婚して最初の一ヶ月、新婚夫婦が子宝を願って毎日飲むものらしいよ。あ、もしかして、この味見はそういう……」
「そういう何ですか」
「いや遠回しに求婚されたのかなって」
「してません」
「でも俺に蜂蜜酒をすすめるってことはちょっとはそういうことを意識してたのかも」
「ならホフマン教授にも求婚することになりますね。これはホフマン教授のために作ったんですから」
ネネがさらりと言ってのけると、ルスランは不満そうに口を尖らせた。
「つまらない」
「はい?」
「君が全然のってきてくれないから、つまらない!」
そう言ってルスランは机に突っ伏してしまった。
(何だ子どもみたいなことをして)
もしかしてもう酔っ払っているのか。
「そう言われても私、新婚夫婦が蜂蜜酒を飲むなんて知らなかったんですもん。ただ酒として純粋に味が知りたかっただけで」
「うん……詳しく説明してくれなくても分かってるよ。ただ……真面目な話、君はこの先誰かと結婚したい気持ちはあるのかな」
「したい、したくない以前に私はそもそもできません。結婚なんて」
「どうして?」
「どうしてって、魔法の使えない女と結婚したい男なんていないでしょう」
「そうかな。そんな男ばかりじゃないだろう。俺はそういうの気にしないけれど」
「それはドクターが変わってるだけです」
「そうかなあ。魔法が使えるかどうかより一緒にいて楽しいかどうかの方が大事じゃないかな?」
「二人だけで暮らすならいいのかもしれませんが、子どもができたりしたら後悔するんじゃないですか。子どもも魔法が使えなかったりしたら可哀想に思うでしょ」
「それこそ気にしなくていいじゃないか」
だって、とルスランはネネの瞳をまっすぐ見て言った。
「魔法が使えなくても楽しく生きていけるって、君はもう知っているだろう」
その言葉に媚びも欺瞞もないのが分かってしまって、ネネは言い返す言葉を飲み込んだ。
「でもまあ魔法のことはいいとして、君が素っ気ないからといって君を責めるのは違うよな」
ルスランは自分に言い聞かせるようにぶつぶつ呟いている。
「人の心を変えたいならまずは自分が変わらないと」
そう言いつつじっとこちらを見つめてきたルスランは、どんな蜂蜜よりずっと甘く微笑んでいた。




