早生魔法と氷桃
「なんと本当にネクタルを作ってくれたのか!」
ネネがホフマン教授のもとへネクタル(仮)を持っていくと、ホフマン教授はその厳つい目をまん丸にして喜んでくれた。
「ただネクタルの完全なレシピは分からなかったので、おそらくネクタル、としか言えませんが」
「構わぬ構わぬ。レシピがないものを作れと言ったのはこちらであるからな」
ではさっそく参ろうか、とホフマン教授に連れられやってきたのは校舎裏の空き地である。その一角に土がよく耕されている場所があった。ホフマン教授はその土の上に、懐から取り出した種を置く。
「これはわしの故郷であるカペラで栽培している桃の種だ。この桃は氷桃といってその魔力で常に凍っていて暑い日にはもってこいなのだ。今回はこの氷桃を早生魔法で育ててみようぞ」
言いながらホフマン教授は種の上に土をかけ、さらにその周りを囲むように魔法陣を描いた。
「よし、術を始めるぞ。料理人殿はしばし離れて待っていてくれるか」
ネネは校舎の壁際に下がった。ホフマン教授はネネが十分に離れたのを確認すると魔法の詠唱をはじめる。すると魔法陣がうっすら光を放ちはじめた。同時に種を埋めた土の辺りがモコモコしはじめた。
(おお?)
やがてポンっという音とともに小さな芽が土から顔を出した。そしてみるみるうちに芽から茎になって、それがさらに太くなり空へと伸びていく。あっという間に立派な桃の木になって花が咲き、美しい桃がいくつも実っていた。
「おおー」
ネネは思わず歓喜の声を上げた。
「これは成功だな! 料理人殿の作ってくれたネクタルは本物だったということだ!」
ホフマン教授も大喜びでネネにガッツポーズをしてみせる。さらにホフマン教授は実った桃を一つもいでネネに渡してくれた。
「これは料理人殿の功績だ。まずはおぬしが味見してくれ」
受け取った桃は氷桃というだけあってすごく冷たい。さっと皮を剥くと白くて滑らかな実が現れた。
「では遠慮なく」
ネネは氷桃にかぶりついた。すると。
「苦っ!!!」
もらった桃は、たいていのものは美味しく頂けるネネも顔をしかめるほど苦かった。
「なぬ!? 苦い? そんなはずは……!」
ホフマン教授は信じられないとばかりに桃をもう一つもいでかぶりついた。
「うっ! くっ、これは……確かに苦い」
「ネクタルのレシピが間違っていたのでしょうか」
「いや、ならば術が発動せんはずだ。これはわしのミスだな。やはり古代魔法は扱いが難しい」
ホフマン教授は残念そうに唸り声をもらす。
「本来氷桃はこんな味ではないのだ。もっと甘くジューシーな桃なのだ」
ネネも氷桃を食べるのははじめてだったので少しガッカリしたが、そもそもホフマン教授はこの魔法をなぜ使おうと思ったのだろうか。
「そういえば聞きそびれていましたが、今回なぜこの早生魔法をやろうと思われたのですか」
「この氷桃で故郷の村おこしをしようと思ったのだ。氷桃が広まれば故郷が潤う。まあ郷への恩返しというわけだ。ただ帝都で普通に売ってもなかなかその魅力を伝えられん。ならば早生魔法を使って作ったとなればいやでも注目を浴びよう? なにしろ早生魔法は古代魔法の一種でまだ解読されたばかりのものだからな」
「古代魔法……ですか」
「そう。わざわざ古代魔法の研究者に連絡を取ってこの早生魔法を教えてもらったのだが、うまくできなんだな」
「その研究者って……」
「ん? ギギ・クルタリカという女性だが」
やっぱり。古代魔法でしかも早生魔法という特殊な魔法。母の好きそうな魔法だと思った。
「おぬし、彼女を知っておるのか?」
「ギギ・クルタリカは私の母です」
「なんと、そうであったか! これは奇遇だな! だが言われてみればおぬしクルタリカ女史にそっくりであるな。なぜ気づかなんだのか不思議なくらいだ」
ホフマン教授は嬉しそうにガハハと笑った。
「もしかするとクルタリカ女史ならこの術も成功できたかもしれぬな。まあ何事も経験ゆえこの失敗もけっして無駄にはせん。ただカペラの氷桃はぜひ料理人殿に食べてもらいたいところだ。本当に美味い桃なのだ。こちらに取り寄せて後日厨房へ届けよう」
ホフマン教授はこちらが合いの手を入れる暇もなく言い終えると、ではまた会おうぞ!と元気よく校舎に消えていった。
数日後、いつものごとく夕食を食べに厨房へやってきたルスランに食事を出してやっていると、誰もいない食堂に野太い声が響いた。
「料理人殿はまだおられるか!」
はーい、と返事をすると両手に大きな箱を抱えたホフマン教授がひょっこり厨房に顔をのぞかせた。
「以前話していたカペラから氷桃が届いたのだ。ぜひ食してみてくれ」
ホフマン教授はカウンターの上に箱をそっと下ろした。そして箱のふたをとると桃の甘く爽やかな香りがふわりと鼻をくすぐる。やはり早生魔法で作った氷桃よりずっと良い匂いがする。これは期待大である。ルスランもカウンターの側へやってきて箱の中を覗き込んだ。
「これは立派な桃ですね」
「ああ、我が故郷の特産品でな。ネクタルの例に料理人殿に食べてもらおうと持ってきたのだ」
ネネは桃をいくつか箱から出すと食べやすい大きさに切り皿に乗せて再びカウンターへ持っていった。
「せっかくですからみんなで頂きましょう」
ルスランとホフマン教授にフォークを渡す。三人揃って切り分けた桃を口に入れた。
「んん〜!」
うまい。ねっとりジェラートのような食感の果肉、甘くスッと爽やかに抜ける香り。
「すごく美味しいです、この桃」
「そうか! 気に入ってもらえてなによりだ」
ホフマン教授はとても満足そうに頷いた。
「して料理人殿、わしの助手になる気はないか?」
とホフマン教授が言った瞬間、ネネの隣にいた人物が盛大にむせ込んだ。
「ごほっ……は……。助手とはどういうことでしょう。ホフマン教授」
「今回ネクタルの件で、料理人殿が非常に有能な人物であることが分かったのでな。わしの研究を手伝って欲しいのだ」
「申し訳ありませんが、彼女はすでに私の助手として学生たちの健康管理を手伝ってくれていますので、これ以上は……」
「なぬ! そうであったか。さすがルスラン、すでに料理人殿の有能さに気づいておったか」
「彼女をここへ連れてきたのは私ですので」
「ほう! それは失礼した。残念だがここはわしが引くしかなさそうだ」
ではまた手伝いを依頼したときはよろしく頼む、とホフマン教授は元気よく帰っていった。
ホフマン教授の背中が見えなくなると、ルスランがふぅと溜め息をはきだす。
「危なかった……」
なにやら独り言のように呟いたのち、ルスランはネネに視線を向けた。
「もしホフマン教授が強引に頼みごとしてきて困ったら俺に相談して。俺から断っておくから」
「ありがとうございます」
ホフマン教授はこちらが困るようなことを言うような人には思えなかったが、ルスランがあまりに真剣な顔なのでとりあえず頷いておいた。
ともあれこれでホフマン教授から依頼された早生魔法の一件は終わった。
はずだったのだが——。
翌朝、宿舎の自室で目が覚めたネネはある違和感を感じた。今日は仕事が休みだったのでいつもより少し遅めに起きたのだが、そのわりにまだ外が暗い。時計を見てみればすでに七時をまわっている。雨なのかと思ったが雨音はしないし曇り空の暗さとも違う。不思議に思って窓から外を見てみると遠くの空は晴れていた。なのに学校の敷地辺りだけまるで何かが覆いかぶさっているかのように暗い。
(なんだろう)
ネネは簡単に身支度を済ませ宿舎の外へ出た。そして空を仰ぎ目を見張った。
「何……これ……」
ネネの視線の先には、天まで伸びる巨大な蔓とこれまた大きな葉っぱが学校に覆いかぶさっていた。
(いつのまにこんなものが?)
昨日の夜寝たときにはこんなものはなかった。夜の間に何があったというのだろう。
とにかくどこから生えているのか蔓の根本に行ってみよう。校舎の間を抜けてたどり着いたのはつい先日来た空き地。ホフマン教授と桃の木を早生させた場所だ。ネネが到着した頃にはすでに人だかりができていて、人々が見つめる先には大きな蔓がしっかりと土に根を張っていた。
「あの桃の木はどこに?」
ネネが首を傾げていると野太い声が響いた。
「料理人殿! おぬしも来ておったか!」
そう叫び、人だかりの中からこちらへやってくるのはホフマン教授だ。
「この蔓はいったい何なんですか?」
「これはおそらくジャック豆の蔓だ」
「ジャック豆?」
「主に巨人族の国で栽培されている豆だ。先日研究のために仕入れてポケットに入れたまま忘れておったのだが、どうやら桃の木に魔法をかけるときに落ちてしまったようだな」
研究材料をポケットに入れておくなよ、と思ったが何も言わずにおいた。
「おそらくジャック豆にも早生魔法がかかってしまったのだな。遅れて発芽したがこの通り急成長してしまったようだ。桃の木もすっかり飲み込まれてしまって、このままだと魔物が寄ってくるやもしれん。これは困ったことになった」
「魔法で燃やしたりすることはできないのですか?」
「そうしたいところなのだが、古代魔法を使ったせいかあらゆる現代魔法が効かないのだ」
とホフマン教授が指差す方を見てみれば、集まった群衆の何人かがジャック豆の蔓に魔法を放ってなんとかしようと試みていたが、確かにどの魔法も弾き返されてる様子だ。
「大変なことをしてしまった」
ホフマン教授がしょげた声で呟いていたとき、背後から魔法の詠唱が聞こえてきた。しかもこの詠唱は古代魔法のものだ。
ネネとホフマン教授が振り返ると、そこには古代魔法を詠唱する、ドラゴンより出現率の低い女がいた。




