ヴェダのハーブティー2
ヴェダのハーブティーをフィリップに託して研究室に持って行ってもらった次の日、ネネはいつも通り食堂で仕事をしていた。
「私、空いたテーブル拭いてくるよ」
昼過ぎ、学生たちが教室に戻って行ったので、食後のテーブルを濡れ布巾で拭いていると誰かに声をかけられた。
「あなたがネネ・クルタリカね」
振り返るとそこには、数日前に回廊で言い争いをしていたペネロペ、ペネロペが立っていた。
「あなた、あのハーブティーはいったい何のつもり!?」
「はい? 何の話ですか?」
「とぼけないで! ルスラン先生に毒入りのハーブティーを渡して、私に飲ませようとしたでしょ!」
毒入りのハーブティーなんて作った覚えはないが、もしかするとルスランが依頼してきたハーブティーはこの子のためのものだったのだろうか。
「何を勘違いされているか分かりませんが、私は毒入りのハーブティーなんて作ってません」
「嘘をつくな! あなた日頃から先生とよく話していたそうじゃない。あなたも私と先生の仲を引き裂こうとしてるんでしょ! なんてひどいの。私の婚約者を取らないでよ!」
婚約者? ルスランはいつの間に婚約していたのだろう。よく分からないがこういう時に言うことは決まっている。
「ご婚約おめでとうございます」
「おめでとうじゃないわよ! 人の気も知らないで!」
お祝いを言ったのに怒られた。言葉が足りなかったのだろうか。なら仕方ない。かしこまったあいさつは苦手なのだが頑張って考えてみる。
「えー、この度は誠にめでたいことで——」
「うるさい! あんたなんか何も分かってないくせに! 消えてしまえ!」
そう叫びながらペネロペはポケットから小瓶をとりだした。
ネネは嫌な予感がした。したけれど、逃げる余裕はなかった。ペネロペが小瓶の蓋を開けて振りかぶる。中に入っていた液体がぶちまかれ、ネネはその液体を頭からかぶった。と思ったのだが——。
ペネロペが小瓶を振りかぶった瞬間、何かが覆いかぶさってきた。おかげでネネは液体をあびることはなかった。
だが代わりにネネに覆いかぶさっている人物が液体まみれになっていた。
「……ドクター?」
ルスランはネネから離れると、振り返ってペネロペに言った。
「薬品が盗まれたと聞いて来てみれば、これはどういうことかな。ペネロペ・フィッシャー」
「ど、どうしてルスラン先生が……?」
「聞いているのはこちらだよ。フィッシャー」
「違うんです。この女があなたと私を騙して毒を飲ませようとしたんです。だから、その……私……」
「こうなる前に、君は休養をとるべきだった」
「何でそんなことおっしゃるの? 私にはもうあなたしかいないのに」
ペネロペはわんわん泣き出した。そこへ騒ぎを聞きつけた他の先生たちが集まってきた。ペネロペはその先生たちに連れられ食堂から出ていく。その背中を見送って、ルスランがネネの方を振り返った。
「大丈夫か?」
「それはこちらの台詞です。何で……」
かばったりしたんですか、と言いかかけてネネは口をつぐんだ。聞かなくても分かっている。ルスランはそういう人なのだ。誰かが危ない目に合っていたら身を挺してでも助けてしまう。誰が相手でも。
「ペネロペがぷちまけた液体は何だったんですか? ただの水ってわけではないでしょう?」
「うん。でも解毒薬を飲めば大丈夫。たいしたものではないよ」
あまり大丈夫な様子ではなかった。平静を装っているが随分顔色が悪い。魔法を使えばルスランが薬品を浴びなくても回避できただろうけれど、教師が学生に魔法を使うのはかなり厳しく制限されている。誰かを守るためであったとしても後々問題になる可能性はあった。だからルスランは身をもってかばうという選択をするしかなかった。
今にも倒れそうなルスランにドミトル教授が声をかけた。
「ドクター・ルスラン、君も治療を受けた方がいい。学校長に解毒薬を煎じてもらおう」
ドミトル教授に連れられてルスランも食堂から出ていった。
「おい、大丈夫かネネ。何だったんだ今の」
厨房の中から一部始終を見ていたノアが心配そうにかけてきた。
「私もよく分からないけど、婚活競争に巻き込まれたみたい」
「婚活競争?」
その後、ネネは学校長に呼び出された。
はじめてやってきた校長室。ネネはノックをして扉を開けた。
(普通の扉なんだ)
校長室といえば魔法がかかっていて合言葉で開いたりするのかなとちょっと期待したが、普通の扉だった。
中にいたのは、いつか林で出会ったお爺さんだった。あの時よりは小綺麗な格好をしているが、白いひげは間違いない。
(やっぱりあの人、学校長だったんだ)
「先日は失礼しました。学校長先生だったとは知らず……」
「ふぉふぉ、何も失礼なことなどしとらんよ。むしろ美味しい料理をありがとう、クルタリカ君。ところで今回はひどい目に合ったのう。怖かったじゃろう」
「いえ、私は大丈夫です。でもあの学生さんはなぜあんなことをしたんですか?」
「ペネロペ・フィッシャーはの、少し前から心身が不安定だったんじゃ。ルスランは再三、休学と入院を勧めていたんじゃが、本人も両親も断固として拒否していてのう。仕方なくルスランが面倒をみておったんじゃが、ここまでのことをするとはのう」
「ペネロペさんはそんなに追い詰められるまでいったいどうして?」
「ううむ、それがちと複雑での。彼女はずっと医術師を目指しておったんじゃが両親に認めてもらえなんだようでな」
学校長が言うには、ペネロペの両親はもともと娘を有力貴族と結婚させるためにこの学校へ入れたのだという。しかし医術師になりたかったペネロペは研究課程への進学を望んでいた。両親に訴えた結果、学年首位の学業を修めれば研究課程への進学を許すと言われたらしい。しかしペネロペは首位成績をとることができず、進学の道は絶たれた。両親からは婚姻のお相手探しをしろと圧をかけられ、そちらもうまくいかず精神的に追い詰められていた。そしていつしかペネロペは自分がなりたかった医術師であるルスランに自分の夢を重ねるようになった。公認医術師を夫にすることで自分の叶えられなかった夢を疑似的にでもかなえようとしたのだろう。
「ご両親にはわしからも進学を許可してもらえるよう説得したのじゃが、彼らの考えを変えることはできなんだ」
貴族にとって婚姻というものは重要な意味を持つ。どの家とつながりができるかで将来家が存続できるかどうかがかかっているのだ。その重責を背負わされ、ペネロペは自分のなりたいものになることは許されなかった。
「ペネロペさんはこの後、どうなるのですか?」
「学校としては停学処分とし、治療を勧めるつもりじゃ。じゃが君は、加えて訴追することもできるぞ。ルスランがかばったとはいえ暴言を受けたうえ傷つけられそうになったわけじゃからな。慰謝料くらいもらっておいてもおかしくない」
「……訴追は必要ありません。彼女にはお大事にとお伝えください」
「ふぉふぉ、そうか。ルスランの言った通りじゃったの」
「そういえばドクター・ルスランの容体はどうですか?」
「解毒薬を飲ませてやったから大丈夫じゃろう。ただちと副作用のキツイ解毒薬じゃから、今日明日は休ませることにした」
「そうですか。彼は……研究棟で寝泊まりしてるんでしょうか?」
「そうじゃよ。研究棟で暮らしておるのは今ルスランだけじゃ。ああ、でもこのことは学生たちには秘密じゃぞ。学生が見舞いに押しかけたら大変じゃからな」
学校長は悪戯っぽく笑って見せた。ネネはうなずくと学校長に礼をして扉に向かった。そのまま出ようかと思ったが、一つ聞いておきたかったことを思い出した。
「あの、学校長先生はケーキお好きですか?」
「ん? ケーキか? 大好きじゃよ。なぜじゃ?」
「いえ……今度スイーツコンテストに出ることになったので、何を作ろうか悩んでまして」
「ふぉふぉ、そうじゃったの。わしも期待しておるぞ」
ネネは校長室を後にした。
(さすがにこの前ケーキの生クリーム舐めましたかとは聞けなかったな)
校長室を出たネネは校内にある畑に向かった。その途中、マリーがネネのもとへやってきた。
「ネネー! ごめんなさい! ペネロペにハーブティーのこと話したの私なの。この前ネネからもらったハーブティーと同じものをペネロペが持ってたから、それはネネが作ったものだって言っちゃったのよ。その時はまさかペネロペがあんなことするなんて思わなくて」
「マリーのせいじゃないよ。それに私は何ともないから」
「ほんとにネネが無事でよかったわ。でもドクター・ルスランは大丈夫かしら。毒薬を浴びたって聞いたけど」
「うん学校長の話では大事ないって」
「そう、よかった。ネネまたお見舞い行くんでしょ。よろしく言っておいてね」
マリーは次の授業へ向かった。
お見舞いには行くつもりだった。ただその前に準備するものがある。
畑に着いたネネは天高く伸びた、キングコーンを見上げた。




