ヴェダのハーブティー1
午後、ネネが中庭のベンチで日向ぼっこをしているとルスランがやってきた。
「やあ、今は休憩中かな」
「はい。いい天気なので日向ぼっこです」
「じゃあ、日向ぼっこしながらでいいから少し話せるかな?」
ネネがお尻を少し横にずらすと、ルスランはベンチの空いたところに腰かけた。
「実は君に作ってもらいたいものがあるんだけど、前に君の家でハーブティーを作ってくれたことがあっただろう。他のハーブティーも作れたりするかな?」
「ものによりますけど、どういったものをお望みでしょう」
「こう心を落ち着けるような、リラックスできるハーブティーはあるだろうか?」
「…………そんなにストレス溜まってたんですね。すみません気づきませんでした」
ネネが憐みの目をルスランに向けると、ルスランはかぶりを振った。
「いや、俺が欲しいんじゃないよ。学生に飲ませたいんだ」
「ああ、そういうことでしたか」
「試験や課外活動を頑張りすぎたみたいでね。魔力が不安定になってる子がいるんだよ」
「それはハーブティーで治るんですか?」
「今回の場合、魔力をどうにかするよりまず心身を整えることが先決だからね。でないといくら魔力を整えようとしてもうまくいかない」
「なるほど。じゃあ作ってみます。リラックスできるハーブティー」
「助かるよ」
そう言ったルスランはそのままベンチの背にもたれかかる。どうやら彼も日向ぼっこをしたくなったようだ。
「今日は気持ちのいい日だな」
目を閉じて天を仰ぐルスランに陽の光が降り注ぎ、白銀の髪がキラキラ輝いている。見慣れたとはいえ彼の美貌にはときどきハッとさせられることがあった。今もまるで美しい絵画でも見ているようだと思いながらぼんやり彼の横顔を眺めていると、後ろから声が聞こえた。
「こんなところで何されてるんですか?」
振り返ると、そこには数人の女学生たちがいた。ルスランもゆっくり後ろを振り返って彼女たちに言った。
「何って見ての通り日向ぼっこしてるんだよ」
するとなぜかキャーと黄色い声があがる。
「先生も日向ぼっことかするんですねっ!」
何がそんなに面白いのか女学生たちはきゃっきゃと楽しそうだ。
「それじゃあ先生、今度私たちと一緒にお庭でお茶でもしませんか? 先生が来て下さったらみんな喜びます」
「ありがとう。だけどあいにく予定が詰まっているからなあ。参加できるのはいつになるか分からないなあ」
「少しだけでもいいですよ〜。私、ドクターともっとお話ししてみたいです」
「私も! 先生って最年少で公認医術師になられたんでしょ? 先生のこといろいろお聞きしたいわ」
「俺のことよりこの間の課題はみんな終わったのかな」
「あ、そうだ! その課題のことで分からないことがあったんです。今少し聞いてもよろしいですか?」
女学生たちは目を輝かせてルスランに詰め寄る。これは自分がここにいては邪魔になりそうだ。ネネはルスランにこっそり言った。
「私戻りますね」
「ああ、うん」
ネネが立ち上がると、学生たちが我先にとベンチの取り合いをはじめた。ネネは彼女たちの勢いに弾き飛ばされるようにその場を離れた。
(すごい熱量だったな)
女学生たちがルスランを囲んでいるのは遠目によく見ていたがあんな間近で見たのははじめてだった。マリーが言っていた通り、彼女たちはルスランのことを先生としてではなく男として見ているようだ。
(貴族に生まれるのも大変なんだな)
聞いた話では貴族の結婚は庶民には想像もできないほど大変らしい。より位が高く多くの資産を持っている家に嫁げれば最良だがそんな結婚ができるのはほんの一握りの令嬢だけ。爵位はあれど領地経営がうまくいっていない貧乏貴族に嫁がされることも珍しくはない。令嬢たちとしてはそんな家に嫁いで苦労するくらいなら、爵位は諦めて裕福な商家や公認医術師に嫁ぎたいと思うようだ。特に公認医術師は貴族並みに特権を与えられているし稼ぎもかなり良いというから、貴族のご令嬢の結婚相手として全く不足はないだろう。しかもルスランは公認医術師の中でもとびぬけて若くあの見た目である。是が非でも婚約をとりつけたいと思うのだろう。ただ、結婚とはそんなに大変な思いをしてまでしなければならないものだろうか。
(まあ私が考えたって仕方ないか)
貴族のご令嬢たちの面子やプライドは庶民には計り知れないし、そもそも自分には結婚というもの自体縁のない話だ。魔法の使えない女は庶民だろうと貴族だろうと結婚相手に選ばれることはない。ある意味最初から縁がないと分かっていれば悩むこともないので気が楽だ。好きな仕事をして楽しく生きていければそれで充分。恋愛も結婚も本の中で娯楽として楽しむくらいでちょうどいい。
(そういやノアに借りてた本返さなきゃ)
ネネは厨房に戻るといつも通り大好きな仕事に励んだ。
その夜、ネネはルスランに頼まれたハーブティーの試作にとりかかった。
「せっかくだしヴェダの花を使ってみようかな」
ヴェダのなかでも紫色のものは甘く優しい香りが特徴で、安眠効果もあったはずである。これに合わせるならレモングラスあたりがいいだろう。
「ちょっと甘味も欲しいな」
梨のジャムも少々加えてみる。
「うん、いい感じだな」
ほんのり甘くてホッとする香りに体の力が抜けていく。
(そろそろ来る頃かな)
ルスランはほぼ毎日夜中に厨房へやってきて夕食をとっていた。だから今日もまたやって来ると思っていたのだが、しかし試作の片付けを終えてもルスランは厨房に現れなかった。
(忙しいのかな)
時々急患が重なったりして来ない日もある。ヴェダのハーブティーの味見をしてもらいたかったが仕方ない。また明日にでも飲んでみてもらおう。とその夜は明かりを消して宿舎へ帰った。
しかしルスランはその後数日経っても厨房に姿を見せなかった。彼がこんな長い間厨房へやって来ないのはネネがこの厨房で働き出してからはじめてだ。単に忙しいだけかそれとも体調不良なのだろうか。
「ねえドクターって最近見かけた?」
午後の休憩中、ネネはノアにルスランのことを聞いてみた。
「ドクター・ルスランならいつも通り廊下で女の子たちに囲まれてるのみたぞ。昨日の昼過ぎだっかな。どうかしたのか?」
「ハーブティーを作って欲しいって言われたんだけど、全然会わないから味とか確認してもらえないんだよね。ノア代わりに味見してくれる?」
ネネはノアの返事も聞かずに湯を沸かしはじめた。
「味見はいいけど、ドクター・ルスランてしょっちゅうここに晩ごはん食べに来てるんじゃなかったのか?」
「そうだったんだけど最近来ないんだよね」
「へえ、何かあったのかな」
「分からない。忙しいのかも」
ネネは淹れたてのヴェダのハーブティーをノアに出した。
「良い香りだな」
ノアはカップを鼻に近づけ香りを楽しんでからヴェダのハーブティーを一口飲む。
「癒される味だなぁ。このほんのり甘いのは梨のジャムか?」
「そう。砂糖でも良いんだけどコクが出るから」
「そうかすごく良いよこれ。おれは毎日でも飲みたい」
ノアがそう言うので一週間、毎夜ヴェダのハーブティーを飲んでもらうことにした。さらにマリーやクリシュナにもバーブティーを渡して毎日飲んでもらった。
そして一週間後、彼らに何か変化があったか聞いてみる。
「なんか寝つきがよくなった気がするな。朝までぐっすり眠れてるし」
「朝目覚めたときすごくスッキリした感じがするわ」
ハーブティーの効果は上々のようだ。これならルスランに自信を持って渡せる。が肝心のルスランはあれからもずっと食堂に来ていなかった。そうなるといつまで経ってもヴェダのハーブティーが納品できない。これはもう研究室に訪ねて行ったほうがいいのではないか。そんなことを考えていたとき、フィリップがルスランからの便りを持ってやってきた。中身を読んでみると、もしハーブティーが出来上がっていたらフィリップに頼んで研究室まで届けて欲しいということだった。
「これくらい私が直接持っていくけど」
わざわざフィリップの手を借りるほどでもないと思ったのだが、フィリップは首を横に振った。
「ドクター・ルスランから言われたんだけど、ネネちゃんが直接研究室に持って来ようとしたら引き留めてって」
「……? 何でなんだろ?」
「分からないけど、すごく念を押されたから。僕が預かって持っていくよ」
よく分からないがルスランがそうしろと言うのなら従うしかない。ネネは袋に入れて用意していたヴェダのハーブティーと梨ジャムをフィリップに託した。
(何があったんだろう)
これはただ忙しいだけではなく明らかに避けられている。ハーブティーを作って欲しいと頼まれたときはいつもと変わりなかったからあの後に何かあったのだろうか。
と考えをめぐらせながら回廊を歩いていると、曲がり角の向こうから複数人が言い争う声が聞こえて来た。いったいどうしたのだろうとネネが曲がり角からそっとのぞくと、女子学生が4、5人集まって何やら揉めている。その中でも一番興奮した様子の学生——赤毛の小柄な女の子——が、すらりと背の高い金髪の学生にすごい剣幕でまくしたてている。
「この悪女が! あなたみたいな女がルスラン先生に近づかないで!」
「いきなり何なの?」
金髪の学生は困惑している様子だ。一方赤毛の学生はそんなことはお構いなしにまくし立て続ける。
「しらばっくれないでよ! あなたが色目を使って先生を誘惑しているの私知ってるんだからね!」
「あなた確かペネロペといったかしら。仮にわたくしが色目を使っていたとして、あなたには関係ないことじゃなくって?」
「関係あるに決まってるでしょ! ルスラン先生は私を一番に思って下さってるのよ! なのにあなたみたいなイヤらしい女がウロウロしていたら邪魔なのよ。何で分からないの!」
「はあ? なぁに、あなた。まさか自分が先生のお気に入りだとでも思っていますの? ペネロペ、あなた鏡でご自分の姿を見たことがあるのかしら。あなたみたいな女性、ルスラン先生が相手にするわけないでしょう」
周りの学生がクスクス笑った。ペネロペは顔を真っ赤にする。
「うるさいうるさいうるさい! あなたたちに何が分かるのよ。私にはもう先生しかいないの。私は、先生しか。医術師に……」
なにやらブツブツ呟いていたかと思うと赤毛の学生——ペネロペは突然、金髪の学生につかみかかった。そのまま二人は揉み合いになる。助けに行った方がいいかと思ったが、先に他の学生たちが二人の間に割って入った。
「ちょっと、あなたシェリーから離れなさい!」
「これ以上やるなら先生方を呼ぶわよ」
するとペネロペは少し怯んだ様子で、歯噛みをしながらもそれ以上は何も言わず走り去って行った。
(これは)
とんでもない場面に遭遇してしまった。見聞きした様子からおそらく彼女たちはルスランとの婚約を望む女の子たちの一人のようだが、それにしても婚活競争というものは人をあんな攻撃的にしてしまうのだろうか。
「怖いなあ」
まるで東の国で用いられる蠱毒のようだ。とこの時のネネは他人事のように思っていた。まさかこの後自分もその蠱毒の壺に引きずり込まれることになるとは知らずに。




