人狼とジンジャークッキー
人狼とは人を襲う恐ろしい化け物である。人と同程度の知能があり、人に擬態して獲物を捕らえる。
最近、魔物学の授業で取り上げられたとかで学内はもっぱら人狼の話題で持ちきりになっていた。しかも満月の日が3日後に迫っているということで学生たちはさらにソワソワしはじめていた。
そしてネネとノアも人狼の話はやはり気になっていた。
「満月の日以外は人と変わらない姿らしいからどこにいたって分からないよね」
「もしかするともうこの学校にもいるかもしんないってことだよな。怖いな」
「でも人狼に嚙まれると人狼になるってのは嘘らしいよ」
「え、なんだそうなのか?」
「うん。人狼に襲われたら骨まで食べられちゃうから人狼になることはないんだって」
「ええ……そっちの方が怖いじゃんかよ」
とそんな話をしていると、厨房のカウンターにマリーとクリシュナがやってきた。
「ネネー! ちょっと今いいかしら」
「どうしたの?」
「実はお菓子作りを教えて欲しいって子がいるんだけど…」
と言いながらマリーは後ろを振り向いた。するとマリーの影から小柄な女の子が現れる。
「メニエ・プルーストです…」
「お菓子を作って友達に贈りたいんですって」
「い、いや友達というか先輩なんだけど、今度、お茶会メンバーに入れてもらえることになったからお菓子を持参しなきゃいけなくて」
「大丈夫、ネネならきっとおいしいお菓子の作り方教えてくれるわ」
「でも、お仕事中に押しかけて……料理人さん、お邪魔じゃないかしら」
ネネはミランダおばさんに意見を求めた。
「あたしゃかまわないよ。手伝ってやりな」
ネネはミランダに頷いて、メニエを厨房の中へ入れた。
「どんなもの作りたいんですか?」
「ジンジャークッキーを焼きたいの」
今日はもうオーブンを使う予定はない。クッキー作りなら夕食づくりの邪魔にはならないだろう。
ネネとメニエは二人でジンジャークッキーづくりを開始した。
ジンジャークッキーはよく贈り物として用いられる菓子で、お茶会の持参菓子にもぴったりだろう。
材料を混ぜて型抜きし、オーブンに入れて待つこと十五分。こんがりジンジャークッキーが焼きあがった。しかしこれで完成ではない。ジンジャークッキーの醍醐味はアイシングにある。粉砂糖と水で作ったアイシングシュガーを絞り袋に入れて、ジンジャークッキーに絵を描いていく。
「お! あんた結構うまいじゃん」
ノアがメニエの手元をのぞき込んでつぶやいた。そしてノアはそのまま、隣で作業しているネネの手元に視線を移す。
「ネネは……うん、知ってた。お前の感性は」
「どう言う意味?」
「これじゃ親愛の証にはなんねーってことだよ。完全に相手を怖がらせにいってるじゃん。ハロウィーンならともかく、こんなん贈られたら怖えよ」
「おやまあ……確かにこれは、ちょっと怖いね」
ミランダおばさんまでそんなことを言う。
まったくみんなどうしてこの可愛さが分からないのだろう。まあでも、これはメニエに付き合って作っただけで誰にあげるわけでもない。みんないらないなら、自分のおやつにするまでだ。
となんだかんだ言いつつも、ネネとメニエはジンジャークッキーを完成させた。
メニエはさっそく明日、その先輩とのお茶会があるのだそうだ。
ネネはジンジャークッキーを作った満足感でそのことについてはすぐに忘れてしまっていた。のだが。
翌日、ネネはノアと一緒に学校の事務所へ書類を提出しにいった。その帰り、中庭で催されているお茶会に遭遇した。まさにメニエがジンジャークッキーを先輩に渡しているところだった。
「ちょっとだけ様子見てから戻ろうぜ」
ノアに手を引かれてネネは物陰からこっそりメニエたちを覗いた。
「あ、あの、シャロンさん、ゼーネさん。今日はお招き頂いてありがとうございます。感謝の気持ちを込めて、ジンジャークッキーを焼いてきました」
メニエは女の学生二人組にジンジャークッキーを差し出した。
「え、何これ、ジンジャークッキー? やだ、こんな貧乏くさいもの持ってくるなんて」
「素人の手作りって、これだから庶民出の娘は嫌なのよ。いい? こういうときは、ある程度名のある菓子職人や店のお菓子を持ってくるものなの。あなたお茶会に出たことないの?」
先輩たちはメニエを蔑むような目で見つめながら、クスクス笑っている。
「あ、すみません。でも、このクッキーもちゃんと料理人さんに教えてもらってーー」
メニエが言いすがると、先輩たちはめんどくさそうな顔をした。
「そういうこと言ってるんじゃないのよ。ほんとお茶会の作法を何にも知らないのね」
「無駄よシャロン、この娘には言葉で言ったって理解できないんだわ」
そう言って先輩はジンジャークッキーの入った袋をつかむと逆さまに向けて、中身を芝の上に捨てた。
「へ……?」
それを見たメニエは固まっている。
「これで分かった? 私たちはこんなクッキーを食べるような身分じゃないってこと」
「そもそも庶民は貴族のお茶会に呼ばれても遠慮するものなのよ。なのにノコノコやってくるなんて。さ、もう行きましょゼーネ。興醒めしてしまったわ」
先輩たちはクスクス笑いながら、放心状態のメニエを置いて校舎の中へと消えて行った。
直後、ここの隣でノアがすっくと立ち上がった。
「ネネ、おれ腸が煮えくり返ってんだけど、おかしくないよな」
「うん、おかしくないよ」
ノアはまだ固まったままのメニエのもとへ駆け寄っていった。
一方、ネネも立ち上がると先輩学生たちが捨てたジンジャークッキーを拾い上げる。
「食べ物を粗末にする人間は、食べ物に泣くんだよ」
ネネはジンジャークッキーについた芝を軽く払うと、先ほどの先輩学生たちのことを考えながらぼりぼりかじった。
◆ ◆ ◆
今日は満月だった。シャロンはその日、親友のゼーネとともに学外で買い物をし、門限ぎりぎりに寮へ戻るところだった。
「それにしてもこの前のお茶会メンバーにどうしてあんな庶民出の娘が入っていたのかしらね」
「ああ、メニエのこと? 最近あの娘の家、景気がいいみたいだからそれで誰かがメンバーリストに入れたらしいわ」
「やだもう勘弁してほしいわ。あんな貧乏くさい娘と一緒にお茶会なんてしていたら、私たちの格まで下がってしまうじゃない」
ほんとね、と二人が笑い合っていると、廊下に見慣れぬ扉を発見した。
「こんなとこに扉なんてあったかしら?」
「あった気もするけど、こんな大々的に装飾はされてなかったわね。なになに……満月の夜にだけ開かれるお茶会?」
「あ、わたし聞いたことあるわ。優秀な学生たちが夜な夜な集まって情報交換してるお茶会が、学校のどこかで密かに開かれてるって噂」
「へえ、中にはどんな方がいらっしゃるのかしら」
「分からないけれど、ほらこれ見てよ。魔力測定器かな。これでふるい分けしてるってことね。わたしたちも試してみましょうよ」
二人は測定器らしきものに手を触れた。その瞬間、扉の鍵がガチャリと開いた音がした。
「わたし適正ありってこと?」
「やったじゃない。入ってみましょ」
二人は扉を開けて中へ入った。すると中は細い廊下になっていた。右端に小さなローテーブルが置かれていて、壺のようなものと紙が置いてある。
『選ばれし者のお茶会へようこそ。まずはこちらで全身整えてからお進みください』
さっそくシャロンは壺を手に取ってふたを開けてみる。
「……これはオイルかしら?」
「きっとあれよ、指先とかしっかり保湿しておきなさいってことよ。さすがマナーに厳しいみたいね」
なるほど、と二人はオイルを手にとり腕や首など肌が出ているところによくよく塗り込む。
「これでバッチリね」
シャロンとゼーネは意気揚々と先に進む。
するとまたローテーブルが現れた。先ほどと同じく上に何やら置かれている。
『香りは淑女のたしなみの一つです。その場にあった香りをまとうこともお茶会においては重要です』
今度は紙の横に五つ、小瓶が置かれていた。ふたを開けてみると、それぞれ違った香りがする。どうやらハーブのようだ。
「ここから選んで香りをつけろってことね」
二人はああでもないこうでもないと悩みながら、それぞれハーブを体にすりこんだ。
「これで準備万端よね」
そう思って二人が先に進むと、奥に扉が見えてきた。すりガラスをはめ込まれた扉から明かりがもれていて、誰かの話し声が聞こえてくる。二人は扉を開ける前に耳をすませてその声を聴いた。
「くくく、そろそろ来る頃かな」
「ああ、今ごろしっかり油とハーブが体にしみ込んでいるだろうな」
どうやら中にいる者は自分たちのことを話しているようだ。
「それにしても、今回は獲物探しにずいぶん苦労したな。だけどそのかいあっていいのが見つかった」
獲物? いったい何の話をしているのだろう。
「あの女二人組、人にもらったクッキーを捨てるなんて、よほど腹が満たされているんだろうね」
「ああ、食べ物を捨てるくらい、しっかり栄養がついてるってことだもんな。あいつらなら煮ても焼いてもうまいだろうよ」
その会話を聞いていたシャロンとゼーネはやっと異変に気付いた。
「ねえ、これってまさか……」
なぜ今まで気づかなかったのだろう。そう、今日の夜空には、大きな満月が出ていたというのに。
二人はそこで初めて、すりガラスの向こうにいる者たちの影を見た。
すりガラスを透かして見える影には、人間にはないはずの大きな三角の耳が生えていた。
「で、でたああああ!!!」
シャロンとゼーネは一目散にもと来た廊下を駆け戻り泣き叫びながら外へ出る。奥の部屋で三角の耳を震わせクスクス笑っている声は、もう彼女たちには聞こえていなかった。
◆ ◆ ◆
「ふう、暑かった」
ネネとノアはとあるお茶会に出たあと、厨房に帰ってきたところだった。被り物をしていたせいで顔がすっかり蒸れてしまった。
ネネとノアは汗を拭って遅めの夕食を済ませた。とちょうどそのとき、厨房の裏戸が開いた。ルスランがいつものごとく遅い夕食を食べに厨房へやってきたのだ。
「なんだ二人とも、そんな汗かいて」
「まあ、ちょっと野暮用です」
「ふうん。そういやさっき人狼が出たのは二人とももう聞いたかい?」
「ああ、はい。使われてない倉庫に人狼がいたらしいですね」
「そうそう、学生が二人襲われたみたいだ」
「怖いですねぇ学校の中に人狼なんて」
「そうだな。彼女たちも相当怖い思いをしたようだよ。泣きじゃくって大変だった」
と言いながらルスランは作業台の上に置いてあるカゴに手をのばした。ルスランがそのカゴの中からジンジャークッキーを一つ摘みあげると、ノアが思い出したようにルスランに話しかけた。
「そのクッキーの顔どう思います?」
「どうって、可愛らしいと思うけど」
「またまたあ、どうみてもクセ強すぎでしょう?」
「そうかな。俺わりとクセの強いもの好きだからな」
そう言ってルスランはサクサクとジンジャークッキーをかじった。ルスランの夕食を用意してやっていたネネは背中でその会話を聞きながら、皿にそっとエビフライを追加してやったのだった。




