苦くて甘いお出かけ
キースと街へやってきたネネは、大型商店の立ち並ぶ帝都で最も華やかな大通りを歩いていた。
「ああ今日の君はいっそう美しいね。さあ、ネネ。何が欲しい? 何でも望むものを与えよう。ドレスか? 紅霊石の首飾りか? それとも千年べっ甲の髪留めがいいかな」
キースはとにかく高級店にネネを連れ込もうとするが、そのたび上の空で首を振るネネは静かに話ができそうな喫茶店を探していた。
(ノアにお店聞いとくんだったな)
帝都の街に来たのはまだ数回で、どこにどんな店があるのかまだよく分からない。
あまり人がいなくて静かな店はないかと辺りを見回していると、大通りの脇道に掲げられた看板に目が留まった。
『朽ち木横丁』
ちらとその横丁をのぞくと、薄暗い通りに手狭な店が並んでいて、軒先にあまり見たことのない珍しいものを陳列している。なんだか面白そうな通りだ。
早く喫茶店に入りたい気持ちもあったが、今日は一日休みで時間はある。少しくらい寄り道するのもいいだろう。
「キースさん、この通り入ってみませんか」
「え? ここに?」
戸惑っているキースをよそにネネは『朽ち木横丁』に入っていく。
「こんなところ見るものなんてないだろう。引き返そう」
「こういうところに案外掘り出し物があったりするんですよ。ほら」
ネネは店先に置いてあった巨大なカエルの置物を手に取る。見た目は陶器でできていそうなのに持ち上げると妙に柔らかく、手足がくったり垂れ下がった。
「なんだいそれ。気持ち悪」
キースは嫌悪感をむき出しにするが、街へ行きたいと言ったのはキースなのだから少しくらい付き合ってもらおう。ネネはカエルの置物を棚に戻すとそそくさと次の店に向かう。
「ねえ、やっぱりレディがこんなところ歩いているのはよくないぞ。そろそろ大通りへ戻らないかい」
いつも自信満々に歩いているキースがここでは抜き足差し足しながら歩いていた。よっぽどこの薄暗い通りが怖いようだ。あまり長居してごねられても面倒と思いつつ好奇心がまさってしまう。
「せっかくだからもう少しだけ」
「えぇーまだ行くのかい」
ネネがるんるんで奥へ進んでいると、後ろをついてきていたキースが急に「わっ」と声を上げた。
驚いて後ろを振り返ると、大きな熊のような男がキースを睨みつけていた。
「どこ見てんだボウズ」
「そ、それはこちらの台詞だ! そちらがぶつかってきたんだろう。それに私はボウズではない! ケセル王国の大貴族、メルペン家の者だぞ」
「ああん? 大貴族様がどうした。軟弱な面して威勢だけはいいってか」
熊男がキースの胸ぐらを掴む。
キースの顔面からさっと血の気が引いた。
「ひっ。ちょっと、暴力はだめだって……そうだ金を、金をやるから」
キースは懐から財布を差し出す。
「ずいぶん素直になったな。でも俺はそんなはした金いらねえ。それより大貴族様がどんなふうに泣き叫ぶのか見てみてえな」
熊男の目は本気だった。これはさすがに何とかしないとキースの命が危ないかもしれない。
ネネは熊男に話しかけた。
「あの、離してあげてもらえませんか。この人ひどい感染症にかかってて、あんまり近づくとあなたにも移るかも……」
「なんだ嬢ちゃんこいつの連れか」
熊男はキースの胸ぐらから手を離すと、ネネに近づいてきた。熊男がネネの肩に腕を回す。
「へえ、なかなか可愛らしい顔してんじゃねえか。お嬢ちゃんが相手してくれるならこのボウズのことは見逃してやってもいいぜ? ボウズもそれで文句ねえよなあ?」
ネネがキースの方に目を向けると、キースは目を合わせず熊男に言った。
「……ほ、本当に見逃してくれるのか」
「はっはあ! 女を差し出すのか!? いいぜお前みたいな腑抜け相手にしても面白くなさそうだしな。このお嬢ちゃんと仲良くさせてもらおう」
「キースさん……」
「あ、貴女がこんな通りに入るのが悪いんだからな!」
キースは叫びながら後ろを向いて走り去っていく。
「ははははっ! こりゃ見ものだぜ! ほんとに女を置いて逃げやがった」
ネネは悲しいとかそんなことより、むしろあっけにとられていた。
「さあて、邪魔者はいなくなったし、俺たちはゆっくり楽しもうか」
「私もすごい病気持ってるので近づくと移りますよ」
「へえ、どんな病気なんだ? とっても健康そうに見えるがな」
と男が無骨な手でネネの頬を撫でようとしたとき、急に男の体が硬直した。
「なんだ!?」
男の足にいつの間にか布が巻き付いている。その布はしだいに男の足から上半身まで巻きついていき、やがて熊男はその場にばたりと倒れた。そのすぐそばの店では店員があわあわしている。どうやらこの布は売り物だったようだが、店員の様子からしてこの店員がしたことではないようだ。
いったい誰の仕業かと辺りを見回していると、聞きなれた声が聞こえた。
「本当に裏路地にいた」
声のした方を振り返ると、薄暗い通りの向こうから現れたのはルスランだった。
「何だてめえ。この布切れはてめえの仕業か! くそ魔法をときやがれ!」
「といたらお前、またこの子に手をだすだろう」
「うるせえ、誰に何しようと俺様の勝手だろうが!」
「おや? お前の顔さっき通りに張り出されていた密売人だな。これはお巡りさんに引き渡すしかないな」
「なっやめろ! 警吏は呼ぶな」
熊男がのたうち回っているうちに警笛が聞こえてきた。やがてやってきた警吏に事情を説明し、熊男は喚き散らしながら連行されて行った。
それを見届けたのち、ネネはルスランにぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました。助かりました」
「何でこんな路地裏に一人でいたんだ?」
「本当はキース・メルペンて人と一緒だったんですけど、途中で逃げて行っちゃったんです」
「逃げて行った?」
「はい。あの熊男にからまれて恐かったみたいです」
「恐かったって、それで君を見捨てて逃げたのか。そのキースという男は」
「まあ、大貴族様らしいのでこういうのに慣れてなかったんでしょうね。ところでドクターは何でこんなところに? 何か街で用事でもあったんですか?」
「ああ、うん。まあそんなところだよ」
ルスランは歯切れ悪く言った。薬草でも買いに来ていたのだろうか。
(私も本当は買い物しようと思ってたんだけどな)
当初の予定ではキースにお断りを伝えたあと、一人で市場に行ってスイーツの試作用食材を見て回るつもりだった。しかし、さっきあんなことがあった直後に一人で街をふらつく勇気はさすがになかった。どこかに熊男の仲間がいないとも限らない。もし報復にでもこられたら面倒だ。
また出直そうと足を踏み出しかけたとき、ルスランが言った。
「それじゃ行こうか」
「え? どこに?」
「どこにって、市場に行きたいんだろう」
ルスランは当然のことのように言う。
「……それはまあ行きたい、ですけど。何で分かったんですか」
「君が街まで来たのに食材を見に行かないなんてことあるのか? 俺も用事があるから一緒に行こう」
心の内を見透かされたようでなんだか落ち着かないが、ルスランが一緒に市場に行ってくれるなら安心ではある。
ネネは、すでに歩き出していたルスランについて市場へ向かった。
街の市場へやってきたネネは、目を輝かせながら食材を見てまわった。しかも今日はピザまんの売上で心置きなく食材を買い込むことができる。
「おっと」
支払いのために財布を出そうとして、危うく抱えていた紙袋が腕から落ちそうになった。が、その紙袋をひょいとルスランが持ち上げる。
「ほら、俺が持っててあげるから」
「ありがとうございます。あ、でも用事の方は大丈夫なんですか? ドクターも見たいものがあったんじゃ」
「ん? ああ、俺のはもういいんだ」
市場についてからルスランはずっと自分の後ろについてきていて何も買っていない気がするが何の用事だったんだろう。と思いつつネネはルスランに荷物を任せて会計を済ませた。
(やっぱり大きな街の市場は食材の種類も多いな)
帝都の市場には見たこともない食材が数多く並んでいる。国内だけではなく異国から仕入れているものも多いようだ。
「帝都って異国から仕入れてる食べ物もたくさん売ってますね」
「交易で栄えた国だからな。いろんな食材が手に入るのはいいことだけど、自国の食材は減ってきているからな。それは少し問題だ」
「そういえば前にミランダさんも言ってましたね」
不作が続いていて国の財政が圧迫されていると、監査のときに話してくれた。
「国内で作物がとれないと他国からの輸入に頼るようになって、国内の農家は廃業するところが増えてるんだ」
「そんなことになってたんですね」
「陛下もかなり気にされているし、国としても対策を講じているみたいだけどなかなかうまくいっていないみたいだな」
仕入れのときも薄々は感じていたが、そんなに深刻だとは思っていなかった。とはいえ自分に何ができるものでもないが、この国の食物が手に入らなくなるのは悲しいなあと思いながら店先に並ぶ品物を見ていると、ルスランが言った。
「ちょっと小腹がすかないか」
言われるまで気づかなかったが、そういえば朝から何も食べてない。
「確かにお腹へりました」
「どこか店に入るか。何か食べたいものはある?」
「じゃあスイーツでもいいですか? コンテストには帝都の菓子職人もたくさん来ると思うので、彼らの力量を知りたくて」
「ふふ、そうだな。じゃあ人気の店に入ってみよう」
ネネとルスランは市場の店員から帝都で一番人気のスイーツ店を教えてもらい、その店に入ってみることにした。
店内は話のとおり多くの客で混みあっていたが、幸いにも待たずに席に座ることができた。
「うーん、どれにしようかなぁ。種類が多くて悩みますね」
「どうせなら全部食べてみようか」
「え、全部?」
「敵を知るなら隅から隅まで調査したほうがいいだろう。二人で半分ずつにすればいいし」
確かに二人で半分ずつなら全種類でもいける。かもしれない。
数分後、二人のテーブルの上は乗り切らないほどのスイーツで埋め尽くされた。カラフルな果物が乗ったケーキに、プリン、アイスクリーム、綺麗に飾りつけされたシュークリームやマカロン。そのどれもがまるで宝石のように輝いている。
「これは想像以上に手ごわそうですね」
「どれから攻める?」
「ではまず、アイスクリームから」
チーズケーキ風味のアイスクリームにイチゴの果肉が入っているようだ。スプーンですくって一口食べてみると、思わずほっぺたが落っこちそうになった。
「こ、これは強敵です。さすが帝都のアイスクリーム」
「ああ、でもまだ敵はたくさんいる。これからだぞ」
ルスランがスプーンをかまえて真剣な顔で言う。ネネも神妙な面持ちでうなずくと、今度はラズベリーのムースにスプーンを入れた。口に入れるとこれもまた舌がとろけてしまいそうなほど美味だった。
こうして二人は帝都一人気のスイーツを堪能し尽くして最後にコーヒーを飲んでいた。するとルスランがぼそりと言った。
「ところでネネ……。その、大丈夫か? もし辛かったら――」
「はち切れそうですけど、なんとかこのコーヒーは入りそうです」
「いや、お腹の話じゃなくて……君、キースとかいう男に求婚されてたんだろう」
「……どうして、そのことを?」
キースのことはルスランには言っていたなかったのに、どこで知ったのだろうか。
「ちょっと小耳に挟んだんだ。けっこう熱烈に求婚されてたって……。その相手にあんな形で置き去りにされて辛かっただろう」
「正直驚きはしましたが、キースさんの求婚はもともとお断りするつもりだったんです。だからまあ、逆にほっとしているくらいですね」
「そうか……」
ルスランもなぜかホッとしたような顔をする。もしかして彼は、助手の契約のことを気にしていたのだろうか。
「安心してください。助手の契約を忘れて勝手に異国に嫁いだりしません」
「あ、そうか。契約があったな」
「あったなって……。それを気にしてたんじゃないんですか?」
「いや、うん。ただ君が、その男に振り回されて辛かったんじゃないかと思っただけだよ」
この人はいつも飄々として他人に執着しないように見えて、案外人の感情の機微を気にするところがある。
「美味しいスイーツのおかげであんな男のことはすっかり忘れました」
「そうか。じゃあ、また一緒にスイーツを食べに来ようか」
ネネは目を瞬く。
「またスイーツを?」
「帝都には他にもたくさんスイーツ店があるのに、君はたった一店舗調査しただけで満足なのか?」
確かに他の店のスイーツも食べてみたいとは思っていたけれど。
「でもドクターそんな時間……」
「俺だってたまにはこうして息抜きくらいしないと倒れる」
「そうですか。では……、一緒に帝都のスイーツ狩り、よろしくお願いします」
ネネが頭を下げると、ルスランはとても満足そうに微笑んだ。




