大貴族の恩返し
昨日、図書館に行く途中で出会ったキースという男が食堂へやってきたのは昼を少し過ぎた頃だった。
「ごきげんよう、可愛らしい料理人さん。昨日は世話になったね」
キースは優雅な所作でお辞儀をする。その所作は非常に洗練されていて、まさか腹が減って唸り声をあげていた人物とは思えない。
「まだしっかりあいさつできていなかったから、まずは自己紹介させていただこう。私は隣国ケセル王国からこの学校に留学しに来たキース・メルペンというものだ。こんなことを言うと驚かせてしまうかもしれないが、我がメルペン家は侯爵位を有していてね。ケセル王国でも有数の由緒正しき大貴族なのだ。まあ料理人殿にとって私のような者と関わるのは恐れ多いと感じるだろうが、貴女は恩人だ。気兼ねしなくキースと呼んでくれたまえ」
キースは言いながら大ぶりな動きで前髪をかき上げる。
ネネは返す言葉が見つからず固まっていた。
「ふふっ、緊張させてしまったかな? しかし私はこうみえて寛容な男だ。少しくらい粗相をしても気にしないぞ。して貴女の名前も教えてくれるか?」
「……ネネ・クルタリカです」
「そうかネネ、いい名前だ。私は貴女にぜひ昨日の礼をしたいのだが、何がいいだろうか」
「お礼なんてけっこうです。お気になさらないでください」
「そうはいかない。誇り高きメルペン侯爵家の長男として、恩を受けた相手に礼をしないままではいられない。しかもその相手がレディとなればなおさらだ」
「いえ、お礼の言葉を頂けただけで十分です。本当にお気遣いなく」
「……なかなかに奥ゆかしいレディなのだな。では、貴女のその高潔な心に敬意を称し、貴女を私の第三の妻に迎えよう」
「はい?」
いったいこの男は何を言っているのだろうか。なんでピザまんの礼によくも知らない男に娶られねばならんのだ。
ネネはまた返答に窮して固まってしまったが、そんなネネに構わずキースが続ける。
「なに第三夫人とはいえ、望むものはなんでも与えてやるぞ。我が侯爵家は所有する鉱山のおかげで王族に匹敵するほどの財を所有しているからな」
「えっと、私は……」
「ああ、もしかして身分を気にしているのかな。なら心配ないぞ。正妻以外なら君のような下女でも問題ない。他の妻と同じように愛すると誓おう」
なんだろう。本当に何から言っていいか分からないがとにかくこの男の妻になりたくないのは確かだ。
「光栄なお話ですが、私のような者ではメルペン様には釣り合わないと思いますので……」
「なんと貴女は本当にいじらしいひとなのだな。私が妻に迎えると言えば女性はみな泣いて喜ぶというのに」
「女性にもいろいろいますので」
「ふむ。あれだな。きっと突然のことで心の準備ができないのだろう。だが、私は貴女のその思慮深く思いやりのある心や、まるで子リスのように愛らしい容姿にすっかり心を奪われてしまった。貴女が私を受け入れてくれるまでじっくり待つとしよう」
特別だぞ、とキースが得意顔でウインクを飛ばしてくる。
ネネは顔をひきつらせていたが、そんなことにはまったく気づいていないらしいキースはおおげさな素振りで踵を返すと意気揚々と食堂から出ていった。
その後ろ姿を見つめながら絶句したまま固まっているネネの隣で、ノアがゲラゲラ笑いだす。
「よかったなー! ネネ! 侯爵夫人だってよ!」
「全然よくない」
「なんでだよ、玉の輿じゃんか。――その美しい心、リスのように愛らしい姿! ――ぷくくっ、おれもそんなこと言われてみたいぜ」
ネネはノアを一睨みすると、食材をとりに裏口から外へ出た。
なんだか面倒なことになったが、きっと貴族の気まぐれ、すぐに飽きてくれるだろう。と思っていた。のだが。
次の日、再び食堂へ現れたキースは両手に花束を抱えていた。
「これはマーサに言って急遽取り寄せた貴重なバラだ。こんな素敵な花束もらったことないだろう。ありがたく受け取るといい」
「すみません。わたし薔薇に触るとかぶれるので」
「なっ、そうか。では明日はガーベラにするか」
「ガーベラもかぶれます」
「なんと可哀そうに。花を受けつけぬ体なのか」
花というかあなたを受けつけられません、と言いたいところだったが、くさっても異国の侯爵様相手にそんなことは言えない。失礼に思われないようのらりくらりとかわしていたのだが、この男相当鈍いのか、やんわりした拒絶では全く効果がないようだった。
「ああ、貴女はどこまで無欲なんだ。こうなったらともに街へ行って貴女の欲しいものを直接見てまわろう。そうすれば貴女の好みも知れるだろう」
何を持ってきてもネネが贈り物を受け取らないものだから、ついにキースは一緒に選べと言いだした。
(街には行きたいけれど)
この男と行くのだけはごめんこうむりたい。
ネネはまたしても言い訳になっていないような言い訳でキースの誘いを断っていたが、やはりいくら断ってもキースはあきらめてくれなかった。
(これはやんわり断っていてもダメかな)
ここまで鈍感だともうはっきりきっぱり、あなたのことは好きじゃないので妻にはなれません、とハッキリ言うしかない。たとえそれで相手が傷ついたとしても、嫌なことは嫌と言った方が互いのためだ。
たださすがに大貴族様の求婚を真正面から断るなら、せめて人目を避けるくらいの配慮は必要だろう。学校では他の学生たちの目もある。となれば街に行って、そこでお断りする方がいいかもしれない。
「分かりました。今度休みが取れたら街へ一緒に行きましょう」
「本当か? やっと心を開いてくれたか」
デートの予定が決まったことで、キースは一旦引き下がってくれた。
夜、宿舎に戻ったネネはデートのことをノアに伝えた。
「え、キースと街へ行くのか?」
「うん。だっていつまでも諦めてくれないから。学校の外で、はっきり断ってくる」
「おまえが諦めてあいつに嫁いじゃうってのは?」
「そんな選択肢はないよ」
「そうか。そんなに嫌がるってことはもしかしておまえ……他に好きな男がいるとか?」
「そんなんじゃないよ。ただキース・メルペンが苦手なだけ」
「ほんとに?」
「ほんとだよ。何でそんなこと聞くの」
「いや別に。じゃあさ、キースと出かけるときおれが服準備してやるよ。化粧も」
「わざわざそんなことしなくていいよ。お断りに行くだけなんだから」
「ダメダメ。お断りするからこそ、きちんとした格好で行かなきゃだろ」
そういうものだろうか。首を傾げたネネであるが、ノアは一度こう言い出すととまらない。おとなしく任せることにした。
◆ ◆ ◆
今日はネネがキースと街へ出かける日だった。
ノアは朝からネネに服を選んでやり化粧を施して彼女を街へ送り出したのち、厨房へ出勤してきた。
(いい感じに仕上がったな)
ネネは手入れのしがいがある女だ。普段は化粧っけがないからか幼く子どもっぽい印象の顔だが、少し手を加えるとあら不思議。すっかり清廉な大人の女性の雰囲気になる。自分の手で人がこれほど変わるのはたまらなく嬉しい。
だからついつい何かと理由をつけてネネに化粧をしたりいろんな服を着せたりしたくなる。今回も
(けど、どうせなら好きな男とデートに行くときにしてやりたいよな)
こちらだってその方が気合が入るというもの。
いつかそんな日が来るだろうか、と想像しながら厨房でコーヒーを飲んでいると、ルスランがやってきた。いつものことながら目が覚めるような美青年である。
「やあ、ノア君おはよう」
「おはようございます。ドクター・ルスラン」
「あれ? ネネはいないのかい?」
「ああ、あいつは今日休みとって街へデートに行きましたよ」
「デート?」
ルスランの眉がピクリと動いた。ネネがデートなんて珍しいことだから、ルスランも気になったようだ。
「誰と、デートに行ったのかな?」
「それがですね、ネネのやつ最近キース・メルペンていう男から求婚されてるんですよ。で、今日はそのキースと街へ」
「求婚て、あの求婚? 植物の球根じゃなくて?」
「結婚の申し入れの方です。妻になって欲しいって、それはもう熱烈に求婚されてるんですから」
言いながらノアはルスランにコーヒーを出してやった。
ルスランは黙ってそのコーヒーを一口含む。
(おや?)
ルスランはいつも必ずコーヒーに少しだけミルクを入れるのだが、今日はブラックのまま飲んでいる。
(珍しいな)
どうしたのだろう、とノアが様子をうかがっていると、ルスランはじっとコーヒーカップの中を見つめながら何やらブツブツつぶやいている。
「求婚……。デート……」
さらに今度は角砂糖をカップの中に放り込みはじめた。しかも10個、11個入れても手が止まらない。
(おいおい大丈夫か)
「あの、さすがに砂糖入れすぎじゃないですか?」
「え? あ、ああ。そうだな……」
返事をしながらもルスランはどこか上の空でその砂糖盛り盛りのコーヒーを口に含む。普通なら甘すぎてとても飲めない代物と思われるが、しかしルスランは何も言わずコーヒーをすすっている。味が分かっていないのだろうか。
(もしかして、すごく動揺してる?)
いつも飄々としている彼がこんな様子を見せるのははじめてだ。
「……それで、ネネはその求婚についてどう思ってるんだろうか」
彼の独り言のようなつぶやきに、ノアはなんと返事をするか迷った。素直に本当のことを教えてもいいが、ちょっとばかし揺さぶりをかけてみたらルスランはどんな反応をするだろう。
「おれもネネがどうするつもりか分かんないんですよね。でもキースとデートに行くくらいだから、彼のこと前向きに考えてるのかなぁ」
「ふうん……。まあ、周りがとやかくいうことじゃないしな」
ルスランは平然を装っているつもりのようだが、明らかに元気がない。
これは悪いことをしてしまっただろうか。
ならば。
「ああ、でも心配だなー。あいつすぐ危なそうな裏路地とか入りたがるからキースなんかと行って大丈夫だったかなー。キース方向音痴とか言ってたしなー。ああー、おれが行ってやれたらいいけど、仕事があるしなあ」
ノアはチラリとルスランを見る。するとルスランは黙って立ち上がった。
「コーヒーごちそうさま。悪いんだけどカップ洗っておいてもらえるかな」
「ええ、全然いいですけど」
とノアが言い終わらないうちに、ルスランは慌てて裏口から出て行った。
(やれやれ。本当にどいつもこいつも)
「素直じゃないんだから」




