ヴェダの花
キルケー魔法学校にヴェダの花が咲く季節になった。広大な敷地のいたるところで黄色や赤、紫に桃色の可愛らしい花びらが朝露に濡れきらきら輝いている。
校内にある湖までやってきたネネは原っぱに腰を下ろすと、そのヴェダの花を摘んで手提げカゴへ入れた。
「ふんふふーん」
ヴェダの花は食用にもでき、しかも色によって香りが違う。
「ケーキ用とスープ用と、お茶も作ってみようかな」
いろんな料理に使えるヴェダの花は料理人にとって重宝する食材だ。それを取り放題とはまさにパラダイス。ご機嫌でネネが花摘みをしていると。
「おっ!」
原っぱを埋め尽くすヴェダの花の中に、一輪だけ白色の花があった。白色のヴェダの花はとても希少で、それゆえ見つけた者には幸運がやってくると言われている。
「白色はまだ食べたことないな。どんな味なんだろ」
ネネは白色のヴェダの花を摘むと、他の花と混じらないようにそっと懐紙に包んでおく。
そしてカゴいっぱいにヴェダの花を摘んだネネは、よっこらしょと立ち上がると厨房へ戻った。
厨房に戻ると、ノアが出勤してきていた。
「あ、ネネ。おはよ。朝っぱらかどこ行ってたんだ?」
「湖辺りまでヴェダの花を摘みに行ってたんだよ。ほら」
ネネはカゴの中をノアに見せる。
「おお、こりゃ大量だな」
「うん。しかも白色のヴェダ見つけちゃった」
「え! すっげえ、おれ白は初めて見た」
「私も初めて。どんな味か楽しみだなあ」
「いや食べるのかよ!? せっかく幸運の白色見つけたのに!」
「だってどんな味か気になるでしょ。ヴェダは色によって全部味が違うし」
「だからって食べるやつはいないと思うぞ。押し花とかにしておいといた方がいいって。なんだったらおれが魔法でやってやるから」
「……じゃあフリーズドライしてくれる?」
「よし分かった」
乾燥させておけば日持ちする。ノアが忘れた頃にこっそり食べることにしよう。
さて、そろそろ朝食の準備にとりかかろうかというとき、ミランダが出勤してきた。
「二人ともおはようさん」
ほがらかにあいさつするミランダのすぐ後ろからもう一人やってきた。
「皆さんおはようございます。お届け物です」
やってきたのはフィリップだ。フィリップは最近学内でメッセンジャーの仕事をはじめたらしい。こうしてときどき学内の連絡を持ってきてくれる。
「ありがとう、フィリップ」
ネネはフィリップから封筒を受け取って中を確かめる。いつもの連絡事項の他に、チラシが入っていた。
「何これ。スイーツコンテスト?」
ノアとミランダがネネの手元のチラシをのぞき込む。
『クヌルート帝国一のスイーツ求む』
ミランダがへえ、と興味深そうに頷いた。
「第三皇女のスイベル様が主催されるんだね」
「ああ、スイベル様っていったら茶会好きで有名だもんな。特にスイーツにはこだわってるって聞いたことある」
「国中の料理人や菓子職人を集めて一番おいしいスイーツを決めるってわけだね。ネネ、このコンテスト出てみなよ」
うーん、と首を傾げたネネは、チラシをノアに渡して朝食の準備に取りかかった。
「私はコンテストとかあんまり興味ないかなあ。ミランダさん出てみたらどうですか」
「あたしゃスイーツは得意じゃないんだ。でもあんたの腕なら入賞も狙えるかもしれないよ。前からあんたはコンテストに出てみたらどうかと思ってたんだ。試しに出てみなって」
そう言われても、食べ物なんて好みがあるし競うものでもないと思っているのであまりやる気になれない。
するとノアがチラシを見て言った。
「これ賞金も出るみたいだぞ。うわ、金賞とったら一年は遊んで暮らせるじゃん」
その言葉につられてネネはもう一度チラシに視線を落とす。
確かに入賞以上で賞金がもらえるようだ。
ネネはちょうど金策を考えていたところだった。
以前よりずっと給金がもらえるようになってネネも弟妹も暮らしぶりは良くなっていたが、できれば弟妹たちの学費も貯めてやりたいと考えていた。ヘンゼルやリリ、ララは自分と違って魔力を持っている。できれば彼らを魔法学校にいかせてやりたいのだ。今も貯金はしているが、それだけでは少々心もとない。
もしこのコンテストに入賞して少しでも賞金をもらえたらありがたいことだ。
「やっぱ出てみようかな。スイーツコンテスト」
「おっ賞金に目がくらんだか」
「うん。まあね。あ、でも開催されるのはいつなのかな。あんまり日が近いと準備できないかも」
「それなら大丈夫だ。ほら今年の夏に流星群がくるって話だろ。その日にやるみたいだからまだずいぶん先だよ」
「よかった。それなら十分間に合いますね」
「でもなんでわざわざ流星群が来る日なんだろうな」
「そのことならここにちゃんと書いてある。皇宮でスイーツコンテストを開いて、その後は流星の鑑賞会をしながらコンテストに出されたスイーツをみんなで頂くってことらしいよ」
なるほどスイベル皇女はなかなか洒落たことを考える。
「じゃ、今度学校長のところへ行くとき、ネネの名前で申し込みしといてやるよ」
「よろしくお願いします」
こうしてネネは、数か月後に開かれるスイーツコンテストに出場することになった。
(何を作ろうかな)
入賞を目指すならそれなりのものを作らなくてはならないだろう。ただ時間はまだたっぷりある。ゆっくり考えられそうだ。
さて終業後、ネネはさっそくスイーツの試作に取りかかった。クレープ生地を焼いて、泡立てた生クリームやイチゴ、バナナを巻き蜂蜜を少々かける。
「ほほほ、おいしい」
けれどこれだと普通のおいしいクレープでしかない。コンテストで勝つためには、他のスイーツとの差別化が必要だろう。おいしさというのは優劣をつけ難いものだ。それでも優劣をつけようとするなら、まず判定者の印象に残らなければ勝負にすらならない。
(さらにその上で上位に食い込むためには)
コンテストの目的に合わせたスイーツを用意することが重要だろう。はたしてスイベル皇女は何のために今回のコントストを開催するのだろうか。単に自分が好きな茶会のため、その茶会で自分が楽しむために帝国一のスイーツを求めているのか、はたまた他の目的があるのか……。
そんなことを考えながらクレープを食べていると、いつものごとくルスランが厨房にやってきた。
「夕食ですね」
「お願いします」
ルスランはほとんど毎日、学生たちが帰ってから夕食を食べにやってくる。最初は面倒だと思っていたが今はもう慣れてしまった。それに残業代もきっちりくれるので逆にありがたかったりもする。
ネネはソーセージと卵をフライパンで炒め、その間にレタスやトマト、スモークサーモンなどを用意する。それらを先ほど焼いておいたクレープ生地で巻いてルスランに出してやった。
「そういえば私、皇宮で開かれるスイーツコンテストに出ることにしました」
「へえ、スイーツコンテストか。面白そうだな」
「ドクターは皇宮にも診察に通ってるんでしたよね? 第三皇女のスイベル様って会ったことありますか?」
「ああ、うん」
「どんな方なんですか? お茶会好きっていうのは聞いたんですけど、どんなものを好まれるのかなと」
「俺もそんなに親しいわけではないからスイベル皇女の好みまでは知らないけど、彼女は積極的に外交の場に出てらっしゃる印象だな。茶会に力を入れておられるのも迎賓のためだと聞いたことがある」
「自分のためのお茶会というより、おもてなしのためということですか」
「おそらくね」
ふむ。これは大きなヒントかもしれない。
「あれ? それってもしかしてヴェダの花?」
ルスランは調理台の端に置いてあった瓶を見つめている。中にはノアにフリーズドライしてもらった白いヴェダの花が入っていた。
「今朝見つけたんです。食べようかと思ったんですけど、ノアがせっかくだし残しておけって」
「幸運の花だからな。確かに食べてしまうのはもったいないな。でもいっそスイーツコンテストのスイーツに入れてみては? 優勝できるかもしれないよ」
「なんかそれズルくないですか?」
「そうかな。珍しい食材を使うというのも一つの手だと思うけど」
それはそうだけど、しかしやはりコンテストには出せない。一つしかないから試作で味見ができないからだ。どんな味かも分からず菓子に入れて、もしとんでもない味だったらいくら幸運のジンクスがあっても落とされてしまうだろう。
「それならむしろ、コンテスト出場のときに私が食べる方がいいかもしれません」
「ああ、なるほどゲン担ぎにな」
白いヴェダの使い方が決まったところで、ネネはさらなるスイーツ試作に取りかかった。
◆ ◆ ◆
ペトラ・ぺぺは諜報局を退職したのち、キルケー魔法学校の図書館で正職員として働いていた。
日がな一日貸し出しカウンターで貸し出しカードにハンコを押す毎日は以前と比べればあまりにも変わり映えのない退屈な仕事と言えるだろう。しかしペトラは案外この仕事が気に入っていた。静かな環境で働くのは自分に合っていたし、なにより大好きな本に囲まれて働けるのは幸せなことだ。今日も平穏な時間が流れていく。はずだだたのだが、貸し出しカウンターにやってきた男はペトラに過去を無理やり思い出させた。
「お久しぶりです。ペペ諜報官。あ、いや諜報官はもう辞められたのでしたね。図書館員のペトラ・ペペさん」
ペトラが顔を上げると、にっこり微笑みながら自分を見下ろしていたのは見目麗しき医術師、ルスラン・ユトだった。
ペトラはルスランに鋭い目を向ける。
「そんな嫌味を言うためにこんなところまでわざわざ来られたのですか。ドクター・ルスラン」
「嫌味だなんてひどいな。私はただ本を借りにきて、知り合いにあったからあいさつしただけなのに」
ルスランは本を二冊ペトラに差し出した。
「でもまさかあなたが諜報局を辞められるとは思いませんでした。やっと私が善良な市民だと分かってくださったんですね」
「ふんっ。私はただ、人を疑うばかりの人生に嫌気がさしただけです。それにネネちゃんがあなたのことを信じているようだったから……」
「ネネに感化されたというわけですか」
「感化というか、私は彼女を信頼しているのです。あの子は私なんかよりずっとちゃんと人のことを見ている気がするから。でも実際のところ、ネネちゃんはあなたのことをどこまで知っているのです? 何を隠しているのか知らないけれど、諜報局が手を出すのをこまねく人物なんてなかなかいないわ」
「おや、先ほど人を疑いたくないと聞こえたのは幻聴でしたか」
「別にあなたが悪い人間だと疑っているわけではありません。ただ局長があれほど警戒するなんて。そんな人間がただの医術師だとは到底思えない」
「私はいたって普通の医術師ですよ。人を救えることもあれば救えないこともある。もしかして神様だとでも思っていましたか?」
「相変わらず話をすり替えるのがお上手ですね」
ペトラは、はぁとため息をつく。
「でもまあ確かに、あなたが何者でももう私には関係のないことですね。ただ、ネネちゃんを傷つけるようなことだけはしないで下さいよ」
ルスランはふっと不敵に笑った。
「その言葉そっくりそのままお返ししますよ。もし私以外の者を巻き込むつもりでしたらそれ相応の覚悟をしておいてくださいね。元諜報官のペトラ・ぺぺさん」
ルスランは挑戦的な視線をペトラに向けると、本を受け取って帰っていった。
(ああ、なるほどそういうことだったのね)
ルスランは疑っているのだろう。自分が諜報局を辞めたフリをしてネネに近づき調査を継続しているのではないか。ネネを利用する気なのではないかと心配しているのだ。それでわざわざこんなところまで牽制しにやって来たわけである。
(ずいぶんと必死じゃない)
これまで彼自身のことをいくらつついても、いつものらりくらりだったくせに。ネネに手を出されるのは我慢ならないというわけか。
ペトラはふふっと笑った。
「そんなに心配しなくても、私は本当に諜報局を辞めたのよ」
局長は適性のないものを手元に置いておくほど甘くない。そして一度見切りをつけた相手に二度とチャンスは与えない。
「もう私が諜報官に戻ることはないわ」
国を守るため陰で闘う姿に強烈に憧れ諜報官になった。有能な先輩たちに出会って自分も彼らのようになりたいと強く思ったし、そのためにあらゆることを犠牲にして努力した。それが間違っていたとは思わない。
でも、今となってはこうして図書館員として働く自分の方が好きだと嘘偽りなく言える。
毎日変わり映えのない日々だけれど、そんな日常がこの上なく幸福なのだ。なにより毎日のご飯がこんなに美味しいだなんて、諜報官を続けていたら気づかなかっただろう。
「さあて、今日のランチは何かしら」
ペトラは休憩中の札をカウンターに置くと、ご機嫌な足取りで食堂へ向かった。




