監査団とツチウオ1
珍しく昼間に厨房へやってきたルスランから話があるとのことでネネ、ノア、ミランダの三人が呼ばれた。
「今年の監査なんだけど、うちの学校は来週行われることになったんだ」
「監査? って何ですか?」
「あれ、話したことなかったかな」
ルスランが教えてくれたところによると、監査とは国庫から学校に支出された資金が適切に使用されているか、学校の運営に問題はないか、国の監査機関が年に一度調査しにくるものらしい。
「といっても監査局の官吏が学内をぐるっと見て回るだけの形式的なものだから気負う必要はないよ。ただ俺は明日からカペラ地方に出張に行かないといけなくなってしまってしばらく学校に来られないんだ。だから監査官の相手は君たちだけでやってもらうことになる。すまないね」
「それは構いませんが、どんなことを聞かれるんでしょうか」
「収支状況は必ず聞かれるだろうね。去年まで赤字続きで国の資金がずいぶん注ぎ込まれていたみたいだから。ただ今はネネのおかげで黒字になっているし問題ないよ。あとは厨房の様子を見学されるくらいかな」
とルスランはミランダに目で意見を求めた。
「そうだね、いつも監査官がチラッと厨房をのぞいて終わりさ」
ルスランもミランダも大したことないよ、なんて軽く言っていたのだが、このあとネネたちは食堂始まって以来の危機に直面するのだった。
監査当日。監査団は順番に校内の施設を見て回っていた。その様子を探りに行っていたノアは厨房に戻ってくると素っ頓狂な声を上げた。
「おい、やばい! やばいのが来てるぞ!」
「何? ワイバーンでもいたの?」
「ちげーよ! やばい監査官が来てんだ。削減魔のベルツとかいうやつなんだってよ!」
「ノア落ち着いて。その削減魔のベルツ? って人はいったい何者なの」
「分かんねーけど、そいつが監査に入ったところは国から出てる補助金をめちゃめちゃ削減されるらしい。今年だけでも七カ所で補助金半分にしたらしいぜ。しかも国の財源が減ってるとか言って——」
とそんな話をしていると、廊下をぞろぞろ歩く複数人の足音が聞こえてきた。学校の書記官が監査団を引き連れてやってきたのだ。
食堂の入り口から入ってきた監査官たちは、びしっと同じ制服を着た男女十数人で、一糸乱れぬ足取りで厨房の方へやってきた。そんな監査団の先頭に背の高いやけに存在感のある男がいた。歳は四十半ばくらいだろうか、その切れ長の細い目はまるでヘビのようだ。男は無表情で書記官の話を聞いていたが、途中で書記官の話を遮ると厨房に向かって言った。
「こんにちは。私は監査官のベルツです。あなたたちがこの厨房で働いている従業員ですか?」
ベルツの問いかけにミランダが前に出た。
「ええ、はい。厨房で働いているのは私たち三人ですが」
「よろしい。では、さっそっくですが厨房の中に入ってあなた方の仕事を見させてもらいます」
「え、ちょっと……」
あたふたしているミランダを押しのけるようにして厨房に入ってきた監査官たちは、ベルツの指示でそれぞれ定置につき厨房の様子を観察しはじめた。その様子はまるで囚人を見張る看守のようだ。
(監査ってこんな感じなのかな)
いきなりやってきたかと思えば大した説明を聞かされることもなく監査が始まってしまった。ミランダとノアはかなり緊張しているようで見るからに体がこわばっている。雑談でもして緊張をほぐしてやりたいところだが、口を開くことすら許されない雰囲気だ。仕方なく黙って自分の仕事に集中していると、ベルツがミランダのそばに寄って問いかけた。
「ここに吊るしてある鍋は、なぜこんなにたくさんあるのですか?」
「え、ああこれは、料理によって使い分けるためだよ」
「使い分け……それは一つの鍋ではできないのですか?」
「そりゃまあできなくはないだろうけど、ソースを大鍋で作るのは大変だし熱の入り方も——」
「なるほどやろうと思えば一つの鍋でもできるのに、いくつも無駄に鍋を購入したわけですね」
「い、いや、無駄ってわけじゃないよ。それぞれ使い道が違って——」
とまだミランダが説明しているというのにベルツの方は話は終わったとばかりに隣にいる部下に何か記録させている。
(嫌な感じだな)
そう思いつつもネネは黙々と自分の仕事をこなしていた。
一方ノアは、ベルツや他の監査官たちのことが気になってしかたない様子だ。
「やべ、間違えた」
動揺しているのかノアは本来ピラフに入れるはずの玉ねぎをスープの方へ入れてしまったらしい。すかさずベルツがノアのもとへやってくる。
「今、何か工程を間違えたのですか?」
「あ、いや。ええっと……」
ベルツに迫られ、ノアはしどろもどろになってしまっている。見かねたネネが代わりにベルツに答えた。
「スープに入れる具材を変更しただけです。何も問題ありません」
「変更? しかし今明らかに彼は間違えたと言っていましたよね。やはりこの厨房ではかなり食材の無駄使いをしているようだ。だから食材費がかさんでいるのでしょう」
食材費がかさんでいる? ネネは首を傾げた。仕入れに関しては相当厳しく見積もってやっているので無駄などほとんどないはずだ。
「食材費はかなり抑えているはずです。何を見てそう思われたのですか」
するとベルツはネネに書類の束を渡してきた。それはこの食堂の収支報告書だった。中身を確認すると確かに食材費はかなり高いが、しかしこれは去年以前ネネがこの食堂へ来るまでの記録だ。
「確かにここに記載されている食材費はかなり高額ですが、これは前にいた料理人が仕入れをしていたときのものです。今はかなりコストを抑えています」
「だとしても先ほどの様子を見させてもらう限り、普段から食材が無駄になっている可能性も見受けられる。今後また食材費がかさんでいくことも考えられます」
そんな可能性を言い出したら未来に起こることなどどうとでも言える。先ほどの鍋の話といい、これでは指摘というより難癖である。
(私たちを困らせたいのか)
世の中には立場を利用して弱いものいじめをして愉しむ人間もいる。この難癖のつけようは愉快犯ともとれるが、しかしベルツは楽しんでいるというわけでもなさそうだ。むしろこれは何か別の目的のために無理やり理由をこじつけているような……。
ベルツはゆっくりと厨房の中を歩きながら何の感情もない声で言った。
「これはやはり、今のまま食堂運営を続けてもらうのは難しいですね。閉鎖もやむを得ないでしょう」
「閉鎖?!」
ベルツの思いがけない発言にネネたち三人は思わず声を上げた。
「ちょっと待ってください。急に閉鎖ってどういうことですか」
「急ではありません。前から話はあったのです。ただ前任の担当者はズルズルと保留にしていたようですが、本来ならとっくにこの食堂は閉鎖されてしかるべきだったのです。おかげでずいぶん国庫の資金が無駄に出ていきました」
「でも食堂を閉鎖したら学生たちの食事はどうするのですか?」
「学外で済ませれば良いでしょう。この辺りは料理店も多いですし、以前は外の店で食事をする学生も多かったそうじゃないですか。ならわざわざ学校が食堂を経営する必要はない。この立派な建物も講堂として使ったほうが有意義そうだ」
なるほどベルツははじめからこの食堂をつぶす気だったのだ。今日の監査はその理由をでっち上げにきただけ。このまま黙っていればベルツの思惑どおり食堂閉鎖にもっていかれてしまうだろう。
なんとかベルツの意向を覆す説得材料はないかとネネが考えていると、先にノアが口を開いた。
「食堂を閉鎖するなんて間違ってます。確かに前は利用者も少なかったみたいだけど、最近は利用者もずっと増えてるし収益も上がってる。もしおれがミスをしたことが原因なら、おれが辞めます。それでいいでしょう」
食堂中に響くような大きな声だったので、まだ食堂に残っていた学生たちが目を丸くして何事かと厨房の方を見ていた。そんななかベルツは顔色ひとつ変えず淡々と言った。
「あなた一人辞めたところで意味はありません。それに利用者が増えてきているといっても、今までの国庫から補填してきた赤字はかなりのものです。多少収益が上がったところで取り返せる額ではないのですよ」
「だからって閉鎖なんて……!」
ネネもノアに加勢する。
「せめてこの食堂の料理を食べてみてから判断してもらえませんか。私たちの料理が学外の料理店のとどう違うのか確かめて——」
「あーはいはい、学校食堂の料理など食べなくてもだいたい分かります。監査結果は審議の上、決定されますがこの状況なら閉鎖は免れないでしょう。では我々は次の予定がありますので」
「そんな、ちょっと待ってくださ——」
しかしベルツはもはやこちらの声など聞こえていない様子で部下たちに目で合図すると、あいさつもそこそこに厨房から出ていってしまった。
監査団がいなくなった厨房はしんと静まり返る。
「まさか閉鎖なんて……」
ネネもノアもミランダもあまりに予想外な事態に言葉が出ない。
(どうしよう)
この食堂で働けなくなったら、帝都で他に働けるところはないだろう。魔法の使えない者を雇ってくれる店を探すのは至難の業だ。ルスランに頼めばポポロ料理店で働かせてくれるかもしれないが給金は下がってしまうだろう。それに今さらあの港町に帰りたいとは思わなかった。弟妹たちのことを考えれば港町で暮らした方がいいに決まっているが、せっかく帝都でノアやミランダと楽しく仕事をしていたのにそれができなくなるのは辛い。
どうしたものかとネネが思案していると、カウンターに学生のフィリップが来た。
「ネネさん、さっきの話聞こえちゃったんだけど、この食堂なくなるの?」
「まだ分からないけど、その可能性もあるみたい」
「それは困るな。いまさら他のところで食事なんてできないよ」
うなだれるフィリップだが、彼になんと言っていいか分からない。またしんと厨房が静まり返ると、ノアが言った。
「おれのせいだ。おれがあんなヘマしたから」
「それは関係ないよ。あの人たちは最初からこの食堂をつぶす気だったんだよ。今日はその口実を探してただけ」
「だけど厄介なことになったね。あの調子じゃ私たちにはどうしようもなさそうだよ。こんな時にドクターがいてくれたら……」
このことをルスランは知っていたのだろうか。いや知っていたなら彼のことだ、何か対策を立てていたはずだ。ルスランもまさか閉鎖の話が出るとまでは思っていなかったのだろう。事実、食堂の経営状態は良くなってきているし今年の状況だけでいえば食堂閉鎖にされる理由はないはずだ。おそらくベルツもそれは分かっている。だから難癖のような理由をこじつけてきた。
(そこまでして食堂を閉鎖したいのか)
商売というものはこの先もずっと良好な収益を上げられるという保証はない。今は良くても今後また赤字になる可能性はある。監査局としては金のかかる可能性のあるものは出来る限り無くしたいのだろう。
(だけどこのまま黙ってつぶされるのを待つなんて嫌だ)
何かできることを考えなければ。




