エリートのお仕事
「ペトラさんって今誰の調査してるんですか?」
「ふふ、それは秘密よ。でもなかなかの大物だから、期待していてちょうだい」
ペトラ・ぺぺは密かにドクター・ルスランの調査を進めていた。
ルスラン・ユト。
彼は謎に包まれた男である。
約三年前、異国からこの国にやって来たルスラン・ユトは、十七歳という若さで難関と言われる帝国公認医術師試験に合格。その一年後には治療院勤務のかたわら、キルケー魔法学校の講師にも抜擢されている。
そんな華麗な経歴をもつルスラン・ユトだが、この国に来るまでの来歴はおぼろげだ。各国を転々としながら医術の修行をしていたらしいことは分かっているが、出身国についてはどれだけ探しても情報が出てこない。浮浪者ならいざ知らず国家資格を持つような者の出身がわからないというのは通常あり得ないことだ。これはつまり、意図的な情報の抹消を意味する。
(怪しい匂いがぷんぷんするわね)
諜報局はずっとルスラン・ユトを要注意人物としてマークしていた。しかし彼はこの国へ来てからの約三年、調査に値するような口実を与えることはなかった。
これはもうルスラン・ユトは本当にただ優秀なだけだったのではないか。人々がそう思いはじめていた頃、彼が不可解な行動を起こした。
港町の料理店買収と、魔法学校への料理人推薦である。
しかも料理人推薦については無能者を推薦するなど不可解な点が多く、やたらと急いでいた様子がうかがえた。
これは何か企だてがあるのではと疑って当然だ。
ペトラは嬉々としてルスラン・ユトの調査に乗り出した。彼女もルスランほどではないが、若くして諜報局の一員に選ばれたエリート官吏。仕事に対する情熱は人並み以上である。
「絶対に私がルスラン・ユトの正体を暴いて、手柄を挙げるんだから」
鼻息荒く仕事に邁進するペトラは、今日もキルケー魔法学校へルスラン・ユトの調査に向かった。
前回はルスラン・ユトにうまく丸め込まれ逃げられてしまったが、次こそは必ず有益な情報を引き出してみせる。
(だけどあの見た目は、本当に厄介なのよね)
あんなに色気をふりまいている男を前にすれば、ペトラのようなエリートでもあってもうっかり頬が熱くなってしまうのは仕方のないことだ。それに厄介なのは見た目だけではない。彼は相当に頭のキレる男でもある。
(となると、本人以外を相手にしたほうが良さそうね)
学校に着いたペトラは図書館員の制服に着替え、昼時の食堂に潜入した。
「あれが料理人、ネネ・クルタリカ……」
厨房の中では、目まぐるしく走り回る少女の姿があった。
まずはあの娘から籠絡して、ルスラン・ユトのことを探ろう。
ペトラは食券を買って、豚肉のトマト煮込みを注文することにした。
ただ残念ながら、カウンターに出てきたのは男の子だった。ネネ・クルタリカは霧吹きを手に、奥で何かしているようだ。いったい何をしているのかもっとよく見たいところだが、カウンターに長居して怪しまれてもいけない。
ペトラは席について食事をしながらネネ・クルタリカの様子を観察することにした。
適当な席に座ったペトラは、じっと厨房の中を見つめたまま、トマト煮込みをスプーンですくって口に含んだ。瞬間、自然と視線が手元に移る。
(あら。このトマト煮込み、なかなかいけるわね)
角切りになった豚肉は口に入れただけでほろっと溶けるほど柔らかいし、コクのあるトマトスープとの相性も抜群だ。肉の脂が溶けたまろやかな酸味がスプーンを持つ手を次へ次へと急きたてる。
いつの間にかペトラは、ネネ・クルタリカの観察に来たことなどすっかり忘れ、食事に夢中になっていた。
そして皿の底を見てハッとしたペトラは、ゆっくりスプーンをテーブルに置くと、指で眼鏡を静かに押し上げた。
(バカバカ! 敵に出された食べ物に夢中になるなんて! 何してるのよ! 私)
レンズの奥では瞬きが二倍に増えていたが、エリートの眼鏡は都合よく光を反射するので、周りの者に異変を悟られることはなかった。
気を取り直して、ペトラはカバンから調査書を取り出した。
ネネ・クルタリカの経歴を調べたところ、彼女は港町の料理店で働いていた貧困層の少女であった。客として通っていた者の話では、仕事ができずいつも店主に叱られていたという。
「それがここへきて、まるで人が変わったような働きを見せている」
しかも彼女がこの食堂に来てから、食堂の売り上げが上がりだしている。以前は学外に食べに行く学生も多かったようだが、最近では食堂の利用率がずいぶん上がっているのだ。学生たちの間でも最近食堂の食事が美味しくなったともっぱら噂になっている。
田舎では全く仕事のできなかった少女が、なぜ帝都へ来た途端そんな活躍をみせているのか。
(ルスラン・ユトが何かしたのかしら)
ペトラが眉間に皺を寄せながら調査書をカバンにしまっていると、ちょうどネネ・クルタリカがテーブルを拭きに出てきた。
ペトラは再び眼鏡をくいっと押し上げると、不敵な笑みを浮かべる。
これは好機だ。今ならじっくり彼女と話ができる。
エリートにかかれば、あんな小娘の口を割らせることなど容易いことだ。
「お嬢さん、少しうかがってもよろしいかしら」
「あ、はい」
「今日のランチを作ったのはどなたです?」
「それは厨房の料理人全員です。レシピを考えたのは、私ですけど」
「あらそう。このトマト煮込みすごくおいしかったわ」
さらににっこり微笑んで見せると、ネネ・クルタリカは手で口元を隠しながら、くねくねしはじめた。
(よろこんでいる……のかしら)
これはやはり、ルスラン・ユトより籠絡は容易そうだ。
「そういえば、あなた最近厨房で見かけるようになった気がするけれど、どうやってこの食堂に——」
と言いかけたところでネネ・クルタリカが急に大きな声を上げた。
「あ! その制服着てるってことは、もしかして図書館の方ですか?」
「え? あ、ええ。そうよ、図書館の職員よ」
「私よく利用させてもらってるんです。すごいですよね、ここの図書館。料理の本も種類が多いし、この前も『貝を訪ねて三千歩』っていう、世界中の貝料理を食べ歩いて書かれた本を借りたんです。日記みたいで読みやすいし、変わった貝のこともたくさん載っいて面白かったんですけど、厨房の仲間に見せたら、三千歩じゃ帝都も見て回れないだろうって、議論になっちゃって」
「…………厨房のみなさん、仲いいんですね」
ペトラにとっては本のタイトルが何千歩だろうが何百万歩だろうがそんなことはどうだっていい。聞きたいのは彼女が隠しているであろう、ルスラン・ユトの秘密だ。
だがネネ・クルタリカは珍しい貝の話を延々と続けていて、こちらが口をはさむ隙がない。やっと話が終わったかと思えば、間髪入れずまた質問を繰り出してきた。
「ところであなたはどんな本読まれるんですか? 図書館で働いてらっしゃるってことは、本お好きなんですよね?」
「あ、いや。私が読むのは主に、法律関係の本ばかりで……」
しまったどうして馬鹿正直に答えた。法律の話からルスラン・ユトの話に持っていくには話が飛躍しすぎてしまう。ここは医療関係とかなんとか適当に嘘を言うべきところだった。相手から情報を引き出すときは、自然な会話の流れをつくっておくのがセオリーなのに。
エリートであるペトラは、セオリー通りにことを進めること、それこそが仕事をするうえで一番大切なことだと考えていた。
一方、ネネ・クルタリカはというと。
「へえ法律の本ですか。そういや図書館の本返却ボックスってもう少し大きくなりませんか? たまに本がいっぱいになってて入らないことがあって」
話の飛躍など毛ほども気にしない話題転換をかましてくる。
(いやひょっとして)
本返却ボックスの大きさが法律で決まってるとでも思っているのか?
(そんな法律ある訳ないじゃない!)
いったいどこの国に、図書館の本返却ボックスの大きさまで規定している法律があるというのだ。そんな細かいことまで法律で規定していたら、生きづらくて国民がノイローゼになるだろう!
ペトラは頭をかきむしった。
(だめ、落ち着くのよ。ペトラ)
相手のペースにのってはいけない。相手がその気ならこっちだってセオリーを無視して応戦するまでだ。臨機応変な対応もエリートには必須のスキルである。
「ところで、あなたが食堂の仕事につけたのは、ルスラ——」
「ネネー! いつまでテーブル拭いてんだ。早くじゃがいも剥いてくれよ」
「はーい、すぐ戻るよ」
男の子に向かってそう叫んだネネ・クルタリカは、仕事中なんで失礼します、と頭を下げ厨房へ駆けていってしまった。
その後ろ姿を見送ったペトラは、ごんとテーブルに額をつける。
「あの医術師も、この料理人も……」
なんなんだこいつら。
今後、調査方法を見直そうと思ったペトラなのであった。




