お化けニンジンのムース2
赤ん坊を連れたネネとノアが研究棟につくと、守衛が怪訝な顔をしながらネネたちのそばへやってきた。この前会った守衛とは違う男だ。
「君たち何者だ?」
「食堂で働いてる者ですが、ドクター・ルスランの部屋に行きたいんです」
守衛は赤子を見て眉をひそめる。
「約束は?」
「ありません。でもこの子の調子が悪くて、ちょっと診てもらえないかと――」
「おいおい、君たちなあ。ドクターはお忙しいんだ。そんな赤ん坊いちいち診てたらキリがないだろ」
街の医術師んとこへ行け、と守衛は面倒くさそうに手をふるだけで全く取り合おうとしない。
ネネとてそれが道理なのは分かっていた。本来なら彼の言うとおり街へ行くべきだ。しかし、かかりつけでもないのに時間外に急患を診てくれるところは少ないし、下調べもせずに行けば危ない闇医術師に当たることもある。
ネネがどうしたものかとノアの顔を見たとき、後ろから声が聞こえた。
「こんなところで何してるんだい?」
ふり返ると、ルスランが不思議そうな表情でネネたちを見下ろしていた。
「あ、えっと。この子が――」
経緯を説明しようとすると、ルスランは黙ったままネネの腕から赤ん坊を抱き上げた。
「熱いな。中で診るから君たちもついてきなさい」
ネネとノアは、幼子を抱いたルスランについて研究棟に入った。
ルスランはソファに幼子を寝かせると、幼子の口の中を確かめる。いつものヘラヘラした笑みはどこかに消えていた。
「熱以外に何か変わったことは?」
「さっき急に震え出して、そのあとから火花みたいなのが出はじめて……」
「その震えはどんな感じ? 左右同じように震えてた?」
ネネとノアは顔を見合わせる。
「……たぶん」
「そうか。熱性の魔力過剰だな。吐いたりはしてないね?」
ネネは頷いた。
「なら心配する必要はないよ。このままでも大丈夫だけど、少し魔力を抑えておいてあげようか」
ルスランはブツブツと何かつぶやきながら、赤ん坊の頭を優しくなでる。すると赤ん坊のまわりで散っていた火花が消えていき、やがて完全に消失した。そのあともしばらく赤ん坊の頭をなでているルスランを、ネネはぼんやり眺めていた。その横顔はなんだかネネの知っている彼とは別人のように思えた。
「あとは熱さましの薬を渡しておこうか」
ルスランは立ち上がると、棚から茶色い瓶を取り出して蓋を開けながら言った。
「それにしても、まさか君に隠し子がいたとはなあ」
そう言ってネネの方へ向き直ったルスランには、いつもの嫌味な笑みが戻っていた。
「それ違うって分かってて言ってますよね」
目を細めるネネを見て、ルスランはからから笑う。
「なら誰の子なんだい?」
「ある学生の子を預かったんです。試験に赤ん坊を連れて行けないなから困っていて」
と言いながら、ネネはエメラルダのことを思い出した。もしかしたら今頃、厨房にやって来ているかもしれない。
ネネはさっと赤ん坊を抱き上げ、ルスランから薬を受け取って帰ろうとした。しかしルスランは薬の入った紙袋をノアに差し出した。
「君がノア・ブラン君だね」
ネネから話は聞いてるよ、とルスランに微笑みかけられたノアは「は、はひ」とガチガチに緊張してしまっていた。
研究棟を出たネネとノアは、赤ん坊とともに厨房へ戻った。その帰り道、荷車を牽きながらノアがネネに尋ねた。
「おまえさあ、何でルスラン・ユトと知り合いなんだ?」
「ノア、彼のこと知ってるの?」
「当たり前だろ。学校ってか帝都じゃ超有名人じゃんか。皇宮でだってよく女官たちが騒いでたしな。すんげえ美青年で腕利きの医術師がいるって」
「え、あれ? 皇宮には専属の医術師がいるんじゃなかったっけ」
皇族を診察できるのは侍医と呼ばれる専属の医術師のみのはずである。
「うん本当はそうなんだけど、妃の一人に難しい病にかかってる方がいるんだ。で、その病はドクター・ルスラン以外の医術師には診れないんだって。聞いた話じゃルスラン・ユトって、伝説的な医術師の弟子らしいからな」
ルスランがそんなに腕利きの医術師だったとは驚きだった。人は見かけによらないものである。
「それにしても、おれすんごい緊張しちゃったよ。本物のルスラン・ユト見るの初めてだったしさ。ありゃあ女官たちが騒ぐのも納得だな」
「ドクター・ルスランってそんなに人気なんだ」
「そりゃそうだろ。むしろあの顔を嫌いな奴っているのか?」
まあ確かに黙っていれば、見目麗しいのは否定しない。黙ってさえいれば。
ネネとノアが厨房に戻ると、赤ん坊の母親エメラルダが泣きながら待っていた。
彼女から話を聞いたところ、試験の後、少しだけ休憩しようと思ったらうっかりベンチで眠り込んでしまったということだった。
「本当に、本当にごめんなさい。私ったら、なんてことを……。しかも診察まで連れて行ってもらって」
その後、ネネとノアになだめすかされたエメラルダは、赤ん坊と薬を引き取ると何度もお辞儀をしながら帰っていったのだった。




