お化けニンジンのムース1
ネネは学校の敷地内にある畑でお化けニンジンの収穫をしていた。お化けニンジンというのは、マンドラゴラの仲間でまさしくお化けのように両サイドからニョロっと手のようなものが生えるニンジンである。さらに普通のニンジンとは違う特徴がもう一つあるののだがこれについては後ほどわかる。
「よし、これで全部」
ネネが引っこ抜いた『お化けニンジン』を荷車に乗せ終えたとき、どこからともなく赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
(学校に赤ん坊?)
不思議に思って辺りを見回すと、一歳くらいの赤ん坊を抱いた女性がこちらへ歩いてくるところだった。制服を着ているということはここの学生だろう。
「ああ、いい子だから。お願い泣きやんでちょうだい」
学生は必死に赤ん坊をあやしているが一向に赤ん坊が泣き止む気配はない。
ネネは学生にペコっとあいさつすると、泣いている赤ん坊に渾身のいないいないばあっ! をお届けした。すると赤ん坊はきょとんと目を丸くしたのち、きゃははと楽しそうに声を上げた。
「ありがとう! 助かったわ」
「どなたのお子さんなんですか?」
「私の子よ。驚いた? 学生に赤ん坊がいるなんて普通ないものね。周りにも馬鹿なことしてるってよく言われるわ」
「でもそれだけ勉強したかったってことでしょう? 私は馬鹿だなんて思いませんが」
ネネの言葉に学生は少し驚いた様子だ。
「そんなふうに言ってもらえたのはじめてよ。……私には夫がいないから、だからちゃんと勉強していい仕事について、この子を立派に育てたいの」
「旦那さん亡くされたんですか?」
「いいえ。実は、私ついこの前までメイドとしてあるお屋敷で働いていたの。それで、旦那様の妾になれって言われてこの子を産んだんだけど、奥様のお怒りに触れてしまってね。結局、旦那様に追い出されてしまったの」
「それはひどいですね」
「最初は旦那様への恨みで気がおかしくなりそうだったわ。でもそのうち反骨精神が湧いてきてね、頑張って勉強して働いて、この子も立派に育ててみせる。夫がいなくたって楽しく豊かになれるって証明してやろうと思ったの」
この学生は相当な覚悟をもってこの学校に通っているようだ。そもそも子育てしながら学校に通うなんて並大抵の努力ではできない。ネネも幼い弟妹の面倒をみながら仕事をしていたのでその苦労は分かる。
「でもこんな偉そうに言っておいて、実は今から大事な試験をすっぽかして帰るところなんだけどね」
「どうして試験受けないんですか?」
「今日は母が体調崩してて、この子をみてくれる人がいないの。子連れで試験受けれるかと思って来てみたんだけど、何考えてるんだって先生に怒られちゃった」
さすがに試験に赤ん坊を連れこむのは無理があるだろう。だけど試験を受けられないとなると彼女の将来に影響するのではないだろうか。
「……もしよかったら、試験終わるまで私がその子預かりましょうか」
「え? でも……。あなたも仕事があるでしょう? あなた確か食堂の料理人さんよね」
仕事で家を空けることが多かった母の代わりに、双子の妹たちの面倒をみていたのはネネだった。母が搾乳しておいたお乳を哺乳瓶で飲ませ、おしめを替え、風呂に入れたり寝かしつけたり、母以上に世話をしていたのである。一人赤ん坊を預かるくらい朝飯前だ。
「少しの間預かるくらい大丈夫ですよ」
「……ほんとに? ならお願いしようかしら」
ということで、ネネは学生——エメラルダ——から赤ん坊を預かることになった。
◇ ◇ ◇
「赤ん坊なんか預かってどうすんだよ」
背中に赤ん坊を背負って厨房へ戻ってきたネネに、ノアは怪訝な目を向けた。確かに赤ん坊の面倒をみるなんてネネの仕事ではないわけだが、試験の間くらい赤ん坊を一人預かったところで食堂の仕事に差し支えることはない。双子を育てた姉ちゃんを舐めないでもらいたい。
ネネは赤ん坊の面倒をみながらいつも通り仕事に励んだ。
そのうち嵐のような昼食時間が過ぎ、おやつ休憩の時間が近づいてきた。
(せっかくだから今日はお化けニンジンを使うかな)
お化けニンジンは見た目も特徴的だが、なにより特殊と言えるのはその根の性質である。
ネネはおろし器を取り出すと、洗ったお化けニンジンを勢いよくすりおろしていく。すると不思議なことにすりおろされた根はオレンジ色から乳白色に変わり、もったりしたクリーム状になった。
「なんじゃこれ」
ノアがボウルの中をのぞきこんで呟いた。
「お化けニンジンはすりおろすとムースになるんだよ」
このお化けニンジンのムースに少しゼラチンを加えて固まりやすくしておく。
「ノア、氷魔法で冷やしてくれる?」
魔凍庫で冷やしてもいいのだが、それだと時間がかかる。すぐに冷やしたいときはノアに氷魔法で手伝ってもらっていた。
「はい。じゃ、皆さんおやつの時間ですよ」
お化けニンジンのムースがちょうど冷えたところで、厨房恒例おやつ休憩だ。
「天気がいいので外で食べましょうか」
ネネたちは気分転換がてら外にお茶セットを持ちだして休憩することにした。
裏口を出たところの広場に敷物を敷いて、みんなでそこに座る。ノアの淹れてくれたお茶と一緒に、それぞれお化けニンジンのムースをいただいた。
「うまい!」
お化けニンジンのムースは砂糖なしでも十分甘く、舌ざわりもなめらかだ。
学生から預かった赤ん坊もこのムースが気に入ったようで、いっちょ前におかわりまで要求するしだいであった。
「そろそろエメラルダが迎えに来る頃かな」
ネネたちはおやつの片付けをしながら赤ん坊のエメラルダを待ったが、しかし彼女はいっこうに現れなかった。さらに夕刻になってもまだエメラルダは食堂に姿を見せない。
「いくらなんでも遅くないか」
「まあ、そのうち来るでしょ」
ネネたちは夕食の準備があるのでエメラルダを探しに行く暇はない。きっと何か用事があったのだろう。と引き続き赤ん坊の面倒をみながら厨房の仕事に励んでいたのだが、結局夕食の片づけが終わる頃になっても、エメラルダは現れなかった。
「一度教室見にいってみるか?」
「うーん、でも試験はとっくに終わってるだろうし、教室にはいないんじゃないかな」
すでに試験は終わっている時刻なので、おそらくどこかで道草をくっているのだろう。探そうにもこんな広い学校の敷地ではどこを探せばいいか見当もつかないし、探している間に入れ違いになることも考えられる。
それに赤ん坊は夕食を食べたあと眠ってしまったので、叩き起こして連れまわすのも可哀想だろう。と、二人で話をしていたとき。
異変が起きた。
ネネが毛布の中をのぞき込むと、赤ん坊がなんだかぐったりしている様子なのである。抱き上げてみれば、ひどく体が熱い。
「この子、熱が出てきたみたい」
「ええ? うわ、ほんとだ。もう早く母親来てくれよお」
ノアは動転しているが、これくらいの子はよく熱を出すものだ。そう焦ることはない。
再び毛布の上に寝かせたところ、急に赤ん坊の身体が震え出した。とほぼ同時に、皮膚の表面でパチパチと火花のようなものが散っている。
「おいこれ、やばくないか」
ノアが不安そうな顔をネネに向ける。ネネも赤ん坊がこんな風になるのは今まで見たことがなかった。
「どうすんだ。もうこの時間じゃ、どこの治療院も開いてないぞ」
「でも学校の隣に大きいのがあるでしょ。あそこなら……」
「あそこは駄目だ。治療を受けられるのは貴族だけだ」
話しているうちに赤ん坊の震えは止まったが、火花のようなものは治まらない。
ネネは赤ん坊を抱きかかえて立ち上がった。
「どこ行くんだよ」
「治療院じゃないけど、あてがある」
「はあ? あてって、おまえ……」
戸惑っているノアを厨房に置いて、ネネは裏口から飛び出した。赤ん坊を抱え、小走りで夜道をかける。だが赤ん坊を抱えたままというのは思うように走れないものだった。
「おおい! ネネー!」
後ろから聞こえた声にふり返ると、ノアが荷車を牽いて走ってくるのが見えた。
「赤ん坊抱えながらじゃ大変だろ。これに乗れ」
ネネは礼を言うと、ノアが牽いてきた荷車の荷台に乗った。
「ところでどこまで行くんだ?」
「研究棟まで、お願い」




