歩き栗のために1
ネネは今、階段教室の教壇に立っていた。
隣にはルスランがいる。
「みんなに、今日の講義を手伝ってくれる私の助手を紹介しよう」
ネネ・クルタリカさんだ、とルスランが学生たちに向かって言うと学生たちの視線がネネに集まった。ペコリとお辞儀をしたものの、人前に出るのが苦手なネネは胃を雑巾のように絞られている気分だった。
(何でこんなことに……)
教師でも学生でもないネネがいったいどうして教壇に立っているかというと、それは数日前の話である。
「一緒に講義ですか……」
「俺の助手ということでね」
あまり気の進まない話だが、ルスランに手伝えと言われたら無碍には断れない。断ってクビにされたりしたら困るからだ。
「でも助手って、何を手伝えばいいんでしょう。ご存知だと思いますけど、私魔法は全く使えないので道具を運ぶくらいしかできないと思いますが」
「やってほしいのは俺の手伝いというより、今回、合同講義をしてくれるドミトル教授に君を会わせたいんだよ」
「ドミトル……。って、もしかしてドミトル商会の方ってことですか? あの『歩き栗』で有名な」
「ああ、どうやらそうらしい」
ルスランはしたり顔で微笑んだ。
ドミトル商会といえば『歩き栗』の生産販売をしていることで有名な商会だ。『歩き栗』は普通の栗よりはるかに大きく甘いのだが、食べごろになると毬栗のまま地面に落ち二本だけ長く伸びた針を器用に動かし走って新天地を目指す。拾おうとすると猛烈な速さで走って逃げるので収穫が難しい栗ということで有名だった。
「うちの婆様が昔、言ってました。あそこの『歩き栗』を食べたとき、おいしすぎて椅子ごとひっくり返ったって」
「なかなか、おてんばなお婆様だな」
「それじゃ、そのドミトル教授からおいしい『歩き栗』を安く売って頂けるとか、そんな話なわけですか?」
ネネが前のめり気味に言うと、ルスランは試すように微笑んだ。
「それは君の頑張りしだいかな」
つまりドミトル教授と自分で交渉して販路を手に入れろ、ということなのだろう。
もしドミトル商会の『歩き栗』を安く仕入れられたらネネにとっても願ったりかなったりだ。料理人としては良い食材を扱えるというのはやはり嬉しいことであるし、さらに自分のまかないは食堂で仕入れた食材のあまりで作っているので、ドミトルの『歩き栗』を仕入するということは自分もそのご相伴にありつける可能性もあるといことだ。
こうしてネネは珍しい食材につられ、ドミトル教授とのコネクション作りのために現在ルスランとともに教壇に立っているのだった。
そしてちょうどネネのあいさつが終わったころ、ドミトル教授が遅れて教室に入って来た。
「遅れてすまない。汽車がなかなか来なかったのだ。まったく汽車というのは定刻通り動いてこそ汽車であるというのに困ったものだ。いやもちろん私はちゃんと定刻通り家を出たのだよ」
謝罪なのか悪態なのかよく分からないことをブツブツ言いながら教室に入って来たドミトル教授は、丸い眼鏡をかけた小柄な中年男性だった。間違ってもヘラヘラ笑ったり、夜の食堂に食べものをたかりに来たりなど絶対にしない、いかにも堅物研究者といった風体の教授である。
「今日は精神魔法がご専門のドミトル教授にも一緒に講義をしてもらうからね」
ルスランがドミトル教授を学生たちに紹介する。
紹介されたドミトル教授はルスランに代わって教壇に立つと、さっそく自分が専門としている精神魔法についての説明をはじめた。ただこの説明というのがまたとんでもなく長かったので要約すると、つまりはこういうものだそうだ。
精神魔法はその昔、他者の精神を操る魔法として発展した。しかし現在、人間に精神操作を目的として魔法をかけることは法律で禁じられている。そのため近年、精神魔法というと呪いをかけられ精神に異常をきたした人間の治療を目的としたものに限定されているらしい。
「とまあ精神魔法はとても面白いものなのだ。ドクター・ルスランとは患者の治療についてともに共同研究をしていてね。君たちも三年生になれば私の講義を受けることができるから楽しみにしていなさい。とりあえず今日のところは君たち一年生の力量を見せてもらうとしよう」
教壇の上で一人楽しそうにしているドミトル教授の話を聞きながら、ネネは思っていた。
(私は本当にここにいていいのだろうか)
『歩き栗』につられてほいほいこんなところまで出てきてしまったが、医術も精神魔法もてんで専門外の分野である。というかそもそも魔法の使えない者にとっては場違い以外のなにものでもない気がする。
と、この講義に来たことを猛烈に後悔しているネネの隣で、ルスランが学生たちに向かって言った。
「さて、今日は君たちに、このヒナタイチゴのジャムをたくさんの人に食べてもらう方法を考えてもらおう」
そう言ってルスランがジャムの瓶を掲げてみせた。学生たちはその瓶を見つめ首を傾げていた。なぜ医術の講義でジャムを食べさせるのか、と。
そんな学生たちに背を向け、ルスランは黒板になにやら文字を書きはじめた。
『魔力皮膚炎』
魔力皮膚炎とは、魔力を使った際に自分の魔力で皮膚がかぶれる病気のことである。ネネは魔法が使えないので魔力皮膚炎になったことはないが、肌の弱い人や子どもではよくみられるもので誰でも一度は聞いたことがある病気だ。
「このヒナタイチゴは最近とある村で発見されたんだけど、面白いことにこれを日常的に食べている村人たちは、魔力皮膚炎になる者がいないんだ。今では研究が進んでヒナタイチゴに魔力皮膚炎の予防効果が認められた」
ルスランはまたヒナタイチゴのジャムを手に取って続ける。
「魔力皮膚炎は誰が発症してもおかしくない病気だからね。このヒナタイチゴが普及すれば魔力皮膚炎になる人を減らせるかもしれない。ただこのイチゴは特別味が美味しいというわけではないし見た目も普通のイチゴと大差ない」
つまり魔力皮膚炎に効く以外には特徴のないイチゴということ。
「それでも医術師としては多くの人にヒナタイチゴの効果を知って食べてもらいたい。とすると、どうすればこのイチゴを手に取ってもらえるだろうか。みんなにはその方法を考えてもらいたい」
言い終わるとルスランはドミトル教授に視線を送った。ドミトル教授も学生たちに向かって言う。
「まずはこの学校でヒナタイチゴを広めると仮定して考えてもらおうか。君たちには既存の考えにとらわれない、斬新な意見を期待している」
おそらくドミトル教授は学生たちを鼓舞したつもりだったのだろう。しかし教室内にはむしろ答えづらい空気が立ち込めていた。
ただそんななかでも切り込み隊長というのはいるものだ。活発そうな青年がはいっと元気よく手を挙げた。
「そりゃあ、やっぱり精神魔法を使って学生たちを洗脳して食べさせるのが手っ取り早いんじゃないっすかね!」
青年がふざけた様子で言うと教室中にどっと笑いが起こる。一方ドミトル教授は、「これだから最近の学生は……」とあからさまに顔をしかめていた。
その様子を見たルスランがすかさず学生たちに言う。
「はいはい冗談はそのくらいにして。誰か他に合法的なアイデアが思い浮かんだ人はいないかな」
再びの問いかけに一人の男子学生が手を挙げる。彼は眼鏡をくいっとあげると、抑揚のない声で言った。
「そんなのヒナタイチゴが魔力皮膚炎の予防になると言えばみんな買うでしょう。考えるまでもないことのように思いますが」
若干馬鹿にしたような発言に、ドミトル教授が反論する。
「最初はそれで手に取ってくれるかもしれないが、その効果は果たして持続できるか? 残念ながら人間というのは遠い未来の得より、目先の得を優先させる生き物だ。いつ得られるか分からない予防効果を伝えるだけで持続的な成果を期待できるだろうか」
すると今度は、すました感じの女学生が手を挙げた。
「なら、教授たちから食べるように勧めるのはどうでしょう? 教授がその効果を保障していたら、みんな継続的にジャムを食べるようになるんじゃないでしょうか」
「ふむ。偉い人から指導してもらう、つまり権威性を利用するわけだな。確かに一定の効果はあるだろう。しかし上からの啓蒙、トップダウンの指導というのは効果が薄いという研究結果もある」
再びドミトル教授に否定され、教室の空気がどんよりしはじめた。
そんななか最初に答えた青年がネネを見つめながら言った。
「ねえ、助手さん。助手さんならどうします?」
「え、いや……私は学生じゃないから」
「いいじゃないっすか。せっかく講義に来てくれたんだし、ねえ?」
と学生がルスランに同意を求めた。するとルスランはまるで聖母様のような慈愛に満ちた目をネネに向けてきた。
(何で私に振るんですか)
ネネはルスランを睨み返したがまるで効果はない。そんなことをしているうちにドミトル教授までがネネを見つめてきた。
「僕もお嬢さんの意見を聞いてみたいね」
魔力皮膚炎なんて縁のない自分に聞かれてもお門違いだ。と思いつつ、ヒナタイチゴを多くの人に食べてもらうということに関してはアイデアがないわけでもなかった。
とはいえこんな場所で発言するのは気が進まないが、ルスランもドミトル教授もそう簡単には引いてくれそうにない。
(これは逃げられないか)
ネネはおずと口を開いた。




