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今日も僕はまた死んだ  作者: 宍戸 耀
第一章 死ぬ夢

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第2話 食欲のない朝


朝ごはんの匂いがした。


それだけで、胃の奥が重くなる。


今日はもう無理だと思った。


台所から味噌汁の匂いがする。焼いた何かの匂いもする。母さんが食器を並べる音が聞こえた。


いつもなら、何も考えずに席につく。


食べたくなくても食べるし、味がよく分からなくても飲み込む。そうしないと朝が進まないからだ。


でも、今日は本当に無理だった。


夢の中の匂いが、まだ残っている。


腐った野菜。


濡れた紙。


古い油。


何日も前に捨てられた肉の臭い。


黒いゴミ袋の破れ目からにじんでいた、茶色く濁った汁。その上に浮いていた、白っぽい脂の膜。


思い出したくないのに、目の裏に浮かんでくる。


腐った肉の表面が、どろりと崩れる。


そこへ消化液を吐き出して、柔らかくなったものを吸う。


口の中いっぱいに広がった、味とは呼びたくないもの。


酸っぱさ。


苦さ。


腐った脂のぬるさ。


それに混じった、妙な甘さ。


思い出しただけで、喉の奥が詰まるような感じがした。


もう口の中には何もない。


僕は人間に戻っている。


羽もないし、足も二本しかない。腐った汁なんて、どこにもない。


それなのに、舌の奥にまだあの味が張りついている気がした。


「お兄ちゃん、また顔変だよ」


桜の声がして、僕は顔を上げた。


食卓の前で立ち止まっていたらしい。


桜は椅子に座って、箸を持ったまま僕を見ている。朝から元気そうだった。


僕とは違う生き物みたいだ。


「そう」


「そう、じゃないよ。すごく変」


「元からだよ」


「元からじゃないもん」


桜が少し怒ったように言う。


母さんも僕を見た。


「耀、早く座りなさい。冷めるわよ」


「いらない」


そう答えると、食卓の空気が少し止まった。


姉さんがスマホから顔を上げ、父さんも新聞をめくる手を止める。


「いらないって、朝ごはん?」


母さんが聞いた。


「うん」


「具合悪いの?」


「別に」


別に、ではなかった。


でも、説明できることでもない。


昨日の夜、虫になって腐ったものを食べた。


ゴミ袋の破れ目で、腐った肉を溶かして吸った。


そのあと、小鳥に噛み潰されて、そのまま飲み込まれて死んだ。


そんなことを言ったら、また変な顔をされる。


だから言わない。


「何も食べないで学校行くつもりか」


父さんが言った。


「うん」


「朝飯を抜くと、体が動かないぞ。頭も働かない。ちゃんと食べないと、学校でも何もできない」


父さんの言っていることは、たぶん正しい。


体を動かすには食べ物がいるし、頭を動かすにも食べ物がいる。人間は食べないと生きていけない。


それくらい分かっている。


分かっているけど、今日は無理だった。


味噌汁の湯気を見るだけで、ゴミ袋からにじんでいた汁を思い出す。


焼いたおかずの匂いを吸うだけで、腐った脂のぬるさが喉の奥に戻ってくる気がする。


口に入れたら、たぶん吐く。


「水だけ飲む」


僕はそう言って、コップに水を入れた。


冷たい水を一口飲む。


腐った味なんてしない。


ただの水だった。


もう一口飲んで、口の中を洗い流すように飲み込む。


少しだけましになった。


それでも、喉の奥に残っているような感覚までは消えなかった。


「耀」


母さんの声が少し困っていた。


「本当に大丈夫なの?」


「大丈夫」


大丈夫じゃないときほど、僕はそう答える。


大丈夫と言えば、それ以上は続かないことが多いからだ。


姉さんがため息をついた。


「また変な意地張ってる」


「張ってない」


「張ってるじゃん。朝ごはんくらい食べなよ」


「無理」


「無理って何」


僕は答えなかった。


どうせ言っても分からない。


分かってほしいとも、もうあまり思っていない。


この家の人たちは、僕のことを心配していないわけじゃない。


母さんは困っている。


父さんは正しいことを言っている。


姉さんは呆れている。


たぶん、それぞれに僕のことを見ている。


でも、僕の中に残っているものは誰にも見えない。


腐った汁の色も。


羽音の震えも。


くちばしに挟まれ、腹が潰れた感触も。


ぬるくて狭い喉の奥へ押し込まれた感覚も。


それを知っているのは、僕だけだ。


「お兄ちゃん、ご飯食べないと元気出ないよ」


桜が言った。


その声だけは、少し違って聞こえた。


桜はたぶん、本当に心配している。


理由は分かっていない。


僕が何を見たのかも、どうして食べられないのかも知らない。


それでも、ただ心配している。


僕は桜の方を見た。


桜は箸を持ったまま、僕を見上げている。


少しだけ、胸の奥が変な感じになった。


嫌な感じではなかった。


「ありがと」


そう言って、桜の頭に軽く手を置く。


桜の髪は、朝の光で少しだけ明るく見えた。


「でも、今日はいい」


「ほんとに?」


「うん」


「給食は食べてね」


「たぶん」


「たぶんじゃだめ」


桜がむっとした顔をする。


僕は少しだけ息を吐いた。


笑ったわけではない。


でも、たぶんいつもよりは顔が緩んでいたと思う。


「行ってくる」


鞄を持つと、母さんが何か言いたそうにした。


父さんもまだ納得していない顔をしている。


姉さんはもうスマホに目を戻していた。


桜だけが、まだ僕を見ていた。


「いってらっしゃい」


「うん」


玄関を出ると、朝の空気が入ってきた。


食べ物の匂いがしないだけで、少し楽だった。


それでも、全部が消えるわけじゃない。


腐ったものを吸った感覚も。


噛み潰された痛みも。


飲み込まれた時のぬるい暗さも。


まだ、僕の中に残っている。


それを誰にも言えないまま。


僕は学校へ向かった。



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