第50話 話せたこと
放課後になった。
帰りのホームルームが終わると、教室の中が一気に騒がしくなった。部活へ向かう生徒、そのまま帰る生徒、まだ友達と話している生徒。
僕も鞄を持った。
今日は百人一首部に顔を出すつもりだった。
そのまま教室を出ようとしたところで、
「宍戸くん」
呼ばれた。
足を止める。
振り返ると、佐倉が立っていた。
「何?」
佐倉はすぐには話さなかった。
少しだけ僕の顔を見ている。
「……今日、何かあった?」
「何が?」
「私、何かした?」
一瞬、意味が分からなかった。
「してないけど」
「じゃあ……」
佐倉が少し言いにくそうに続ける。
「今日、朝から私のこと避けてた?」
何も答えられなかった。
やっぱり、分かっていたらしい。
「登校してた時は普通だったよね」
「うん」
「でも学校に来てから、あんまり目合わせてくれなかったし」
佐倉は少し間を空けた。
「昼も、話したくなさそうだったから」
責めるような言い方ではなかった。
本当に理由が分からなくて聞いているようだった。
僕は少し黙った。
誤魔化そうと思えば、できる。
避けてない。
気のせいだよ。
今日はちょっと疲れてただけ。
そう言えば、多分佐倉はそれ以上聞かない。
佐倉は、僕が話したくないことを無理に聞かない。
だからこそ、昼も何も聞いてこなかった。
でも昼休みに一度逃げた。
もう一度同じことをするのは嫌だった。
「ごめん」
「うん」
「……避けてた」
佐倉の表情が少し変わった。
「やっぱり?」
「うん」
「どうして?」
そこまで聞いて、佐倉はすぐに付け足した。
「言いたくなかったら、いいけど」
またそれだ。
聞くけど、無理には聞かない。
僕は少し息を吐いた。
「佐倉が何かしたわけじゃないよ」
「うん」
どう言えばいい。
朝からずっと考えていた。
それでも、まだ全部は言えそうになかった。
だから。
まず、一つだけ。
「……今日の夢の話、聞いてもらえる?」
佐倉が少し目を丸くした。
「夢?」
「うん」
「いいよ」
いつもと同じだった。
嫌そうな顔もしない。
何を見る夢だったの、とも急かさない。
ただ、僕が話すのを待っている。
それだけで少し安心した。
「犬だった」
「犬?」
「知らない犬」
今朝のことを思い出す。
「普通に過ごしてたんだ。呼ばれたら反応してたし、歩いてもいた」
「うん」
「でも、本当はずっと苦しかったみたいで」
佐倉の表情が少し変わる。
「苦しかった?」
「うん。息がしづらい感じがしてた」
「ずっと?」
「多分」
僕は少し考える。
「最初から変だった。でも、外から見たら多分分からなかったと思う」
犬は立ち上がった。
歩いた。
呼ばれれば反応した。
尻尾も動いた。
「普通に見えたんだ」
僕は言った。
「でも、最後は急に倒れて、そのまま死んだ」
佐倉は少し黙った。
「怖かった?」
「……うん」
「痛かった?」
「痛いっていうより、苦しかった」
「そっか」
それだけ言って、佐倉はまた黙った。
いつも通りだった。
夢の仕組みを聞くわけでもない。
どうしてその犬だったのかを聞くわけでもない。
その犬がどうだったのかを聞く。
僕は続けた。
「起きてから、ちょっと調べたんだ」
「犬のこと?」
「うん」
鞄を持ったまま、僕は机の横に立っていた。
佐倉もそのまま聞いている。
「犬って、具合が悪くても、外からだと分かりにくいことがあるみたいで」
「そうなの?」
「うん。痛かったり、体調が悪かったりしても、普段とあんまり変わらないように見えることもあるって」
「へえ……」
「だから、普段との違いを見た方がいいらしい」
「違い?」
「ご飯食べる量とか。歩き方とか。呼吸とか。元気があるかとか」
佐倉が小さく頷いた。
「そうなんだ」
「うん」
そこまで話して、僕は黙った。
話せた。
今朝の犬のこと。
調べたこと。
朝からずっと言えなかったのに、ちゃんと話せた。
少しだけ胸が軽くなる。
佐倉も、いつもと変わらなかった。
嫌な顔もしていない。
夢の話を聞きたくないとも言わなかった。
それだけで、ほっとした。
「宍戸くん」
「何?」
佐倉が少し首を傾げる。
「でも」
「うん」
「それで、なんで私のこと避けてたの?」
止まった。
やっぱり、そこまでで終わるわけがなかった。
今話したのは、今朝の夢のことだけだ。
それなら、今までだって佐倉に話してきた。
避ける理由にはならない。
佐倉も、それが分かっている。
「……」
何も言えなかった。
本当に言えなかったのは。
今話した夢じゃない。
その先だった。




