第51話 その先
本当に言えなかったのは、今話した夢じゃない。
その先だった。
佐倉は僕の返事を待っている。
僕は少し迷ってから口を開いた。
「先に言っとくけど」
「うん」
「佐倉のことを責めてるわけじゃないから」
佐倉が少し首を傾げた。
「私?」
「うん」
「なんで?」
やっぱり、そこから説明しないと分からないらしい。
「今朝の犬、多分飼われてた犬だったんだ」
「うん」
「飼い主もいた。でも、多分その人も分かってなかったと思う」
「犬が苦しかったこと?」
「うん」
夢の中の犬を思い出す。
呼ばれれば反応した。
歩くこともできた。
尻尾も動いた。
外から見れば、普通の犬に見えた。
「ずっと一緒にいる人でも分からないくらい、普通に見えてたんだと思う」
「そっか」
「だから、飼ってるなら気づいて当然とか、そういうことを言いたいわけじゃないよ」
佐倉はまだ少し不思議そうな顔をしている。
僕は息を吐いた。
「ココのことなんだ」
「ココ?」
「この前、足に怪我してたでしょ」
「うん」
「あの時は僕も大したことないと思ってた。普通に歩いてたし」
「うん」
「でも、今朝の犬も普通に見えたから」
そこまで言って、一度言葉が止まった。
やっぱり言いづらい。
でも、ここまで話した。
「もしかしたらココも、何かあるのに普通に見えてるだけなんじゃないかって思った」
佐倉は黙った。
やっぱり。
そう思った瞬間、急に不安になった。
「別に、ココが病気だって言ってるわけじゃないよ」
「うん」
「今朝の犬とココは関係ないし。この前ちょっと怪我してたから、僕が勝手に気にしてるだけかもしれない」
佐倉はまだ何も言わない。
僕は続けた。
「最近、何か変わったことない?」
「変わったこと?」
「ご飯とか。歩き方とか。いつもより元気ないとか」
佐倉は少し考えた。
「……ないと思う」
「ご飯は?」
「普通に食べてるよ」
「歩くのも?」
「うん。この前の傷も、もう大丈夫そうだし」
「そっか」
少しだけ安心した。
やっぱり、僕が気にしすぎているだけなのかもしれない。
佐倉の方が、僕よりずっと長くココを見ている。
毎日一緒に暮らしている。
「じゃあ、僕が気にしすぎなのかも」
そう言うと、佐倉が僕を見た。
「それで?」
「何?」
「これを言うのが嫌で、今日ずっと避けてたの?」
「……うん」
「どうして?」
さっき最初に言ったことを、もう一度考える。
「だって、僕がこんなこと言ったら」
「うん」
「佐倉がココのことちゃんと見てないって、言ってるみたいになるかもしれないでしょ」
佐倉が目を瞬かせた。
「ちゃんと見てない?」
「ココのことちゃんと見れてないとか、僕の方がココのこと分かってるとか。」
「……ああ」
「そんなこと思ってないよ」
「うん」
「僕より佐倉の方がココのこと知ってるのは当たり前だし」
毎日一緒にいるのは佐倉だ。
僕は何度か会っただけだ。
それなのに、知らない犬の夢を見ただけで「ココも気をつけた方がいい」なんて言う。
朝から、それがずっと引っかかっていた。
「それで嫌な気分にさせたら」
僕は少し迷った。
でも、これも言ってしまうことにした。
「もう夢の話、聞きたくないって言われるかもしれないと思って」
佐倉が少し驚いた顔をした。
「私が?」
「うん」
「そんなこと言わないよ」
すぐに返ってきた。
「……そうなの?」
「うん」
あまりにも普通に言われて、少し拍子抜けした。
佐倉は少し考えてから続ける。
「宍戸くんは、ココのこと心配してくれたんでしょ?」
「まあ……うん」
「だったら、ありがとう」
「え?」
思っていなかった言葉だった。
「なんで?」
「なんでって」
佐倉が少し笑う。
「ココのこと心配してくれたから」
「怒らないの?」
「何で怒るの?」
本当に分からないようだった。
「最初に、私を責めてるんじゃないって言ったでしょ」
「言ったけど」
「じゃあ分かってるよ」
佐倉はそう言って、もう一度少し笑った。
「心配してくれたんだったら、嬉しいよ」
朝からずっと怖がっていた答えとは、全然違った。
僕は、もっと嫌な顔をされると思っていた。
余計なことを言わないで、と言われるかもしれないと思っていた。
でも、何も起きなかった。
夢の話も聞いてくれた。
ココの話も聞いてくれた。
それどころか、ありがとうと言われた。
「今日もココの散歩行くんだけど」
佐倉が言った。
「うん」
「四時くらいに行くよ」
「そうなんだ」
「宍戸くんも来る?」
「僕も?」
「うん」
佐倉が頷く。
「ココのこと気になってるんでしょ?」
「まあ」
「だったら、自分で見た方が安心するんじゃない?」
それは確かにそうだった。
佐倉から大丈夫だと聞くだけより、自分でココを見た方が安心できる。
「行く」
「部活は?」
「今日は行かない」
「そうなんだ」
「じゃあ、四時くらいにうち来る?」
「分かった」
佐倉が鞄を持つ。
「じゃあ、またあとで」
「うん」
佐倉は教室を出ていった。
僕はその後ろ姿を見送った。
朝からずっと、言ったら何か変わると思っていた。
夢の話を聞いてもらえなくなるかもしれない。
佐倉との間に、変なものが残るかもしれない。
でも。
何も壊れなかった。
それどころか。
四時になったら、また一緒にココの散歩をすることになった。
僕は少しだけ息を吐いた。
やっと。
安心できた気がした。




