第49話 葛藤
一時間目が終わっても、結局何も言えなかった。
二時間目。
三時間目。
休み時間になるたびに、佐倉のことが気になった。
今朝見た犬のことくらいなら話せる。
そう思う。
でも、話し始めたら、その先にココのことが出てくる。
そこまで考えると、休み時間になっても席を立てなかった。
今朝見た犬とココは関係ない。
ココに何かあると決まったわけでもない。
僕が勝手に結びつけているだけかもしれない。
そんなことを何度も考えているうちに、午前中は終わった。
昼休み。
給食を食べ終わると、小林が近くの男子たちとサッカーの話を始めた。
「いや、あそこはパスだろ」
「シュートでいいって」
「二人ついてたじゃん」
「でもコースあっただろ」
「ほとんどなかったじゃん」
「少しはあった」
「少しじゃ駄目だろ」
僕はその話を聞きながら、少し考えた。
「パスじゃない?」
僕が言うと、小林がすぐにこっちを見る。
「だよな?」
「でも、後ろから来てるの見えてたなら」
「ほら」
小林が少し得意そうな顔をする。
向かいにいた男子が首を振った。
「でもあそこまで持ってったらシュート打ちたいだろ」
「それは分かる」
僕が言うと、小林がこっちを見る。
「どっちだよ」
「打ちたいのは分かるけど、パスした方がいいと思う」
「じゃあパスじゃん」
「だから最初からそう言ってる」
「今ちょっと裏切りそうだっただろ」
「別に」
「絶対今シュート側行きかけた」
「行ってないよ」
近くにいた男子が笑った。
「小林、味方増やしたいだけじゃん」
「だって二対一だったし」
「多数決で決める話じゃないだろ」
「いや、でも宍戸がパスって言うならパスだろ」
「なんで僕なの」
「こういう時、変に真面目に考えるじゃん」
「褒めてる?」
「多分」
「多分なんだ」
僕も少し笑った。
サッカーの話は嫌いじゃない。
実際にやるのも好きだし、誰かがどう動いたとか、あそこでどうすればよかったとか、そういう話をするのも面白い。
「でもさ」
僕は少し考える。
「その前のところで、もう一個早く出せたんじゃない?」
小林が一瞬黙った。
「……それ言うのか?」
「だって、その方が楽だったでしょ」
「そこは俺も思った」
向かいの男子が笑う。
「じゃあ結論、小林の判断が悪い」
「なんでそうなるんだよ」
「今の話聞いてた?」
「聞いてたけど、そういうまとめ方じゃないだろ」
「でも判断遅かったんでしょ」
僕が言うと、小林がこっちを見る。
「宍戸までそっち行くなよ」
「そっちも何もないでしょ」
「あるんだよ、俺の中では」
「知らないよ」
また笑いが起きた。
そのまま別の場面の話になる。
僕も普通に会話に入った。
誰がどこにいたとか。
あそこで走るべきだったとか。
もっと早く出せたとか。
そういう話をしている間は、少し楽だった。
佐倉のことを考えなくて済む。
そう思った。
でも。
何度か、佐倉の席の方を見そうになった。
そのたびにやめる。
小林たちの話へ戻る。
またサッカーの話をする。
しばらくして、気づいた。
僕はいつもより、この場を離れたくないと思っている。
サッカーの話が面白いから。
それもある。
でも、それだけじゃない。
ここにいれば。
佐倉と二人で話さなくて済む。
そのことに気づくと、少し嫌な気分になった。
朝からずっと同じだった。
話した方がいいと思っている。
でも、話したくない。
だから、別のことをしている。
「宍戸」
「何?」
「たまに聞いてなくない?」
小林が言った。
「聞いてるよ」
「じゃあ今何の話?」
「右から上がった時の話」
「聞いてるじゃん」
「だから言ったでしょ」
「じゃあ何でたまにぼーっとしてんの」
「別に何でもない」
「出た」
「何が」
「宍戸の別に」
「別にいいでしょ」
「まあいいけど」
小林はそれ以上聞かなかった。
すぐにまたサッカーの話に戻る。
僕もそのまま話に入った。
その時だった。
「宍戸くん」
後ろから声がした。
一瞬、体が固まった。
振り返る。
佐倉が立っていた。
「何?」
「ちょっといい?」
来た。
そう思った。
今朝から、何度も自分から話そうとして。
結局一度も話せなかった。
今度は佐倉の方から来た。
今なら。
今朝の犬の話だけなら。
言えるかもしれない。
でも。
その先にココのことが浮かんだ。
また同じだった。
僕は少し迷ってから言った。
「ごめん。今はちょっと話してるから、無理」
佐倉が少しだけ目を丸くした。
「……そっか」
それだけ言った。
何があったのとも聞かなかった。
理由も聞かなかった。
僕が話したくなさそうなのを見て、それ以上は何も言わなかった。
佐倉はそのまま自分の席へ戻っていく。
僕はその後ろ姿を見た。
自分から話すこともできなかった。
向こうから来てくれたのに。
それでも、また断ってしまった。
でも。
佐倉が離れていくのを見て、少しほっとした。
そんな自分が、少し嫌だった。




