第37話 変な人
姉さんと綾さんのあとについて、リビングに入る。
「耀くん、早く早く。座って座って」
綾さんがソファを指さした。
僕は立ち止まる。
「いや」
「ん?」
「ここ、うちのリビングなんですけど」
「あ」
綾さんが笑った。
「ごめんごめん」
なんでこの人が僕を座らせる側なんだろう。
僕は姉さんを見るけれど、特に気にしていない。
この人、一体何なんだろう。
仕方なくソファに座ると、綾さんも向かいに座った。姉さんはその隣だ。
さっき、少しだけなら話してもいいかもしれないと思った。
でも、その前に気になることがある。
「姉さん」
「何?」
「こういう話、他の人にするなって言ってなかった?」
前に、夢のことを外で話すなと言われたことがある。
弟が変なことを言っていると知られたくないのか、理由までは聞かなかったけれど、姉さんは確かにそう言っていた。
「言ったけど」
「じゃあ、なんで話したの」
姉さんが綾さんを見る。
すると、綾さんが先に口を開いた。
「こんな面白い話、話しちゃ駄目なんて」
僕を見る。
「響ちゃん、変だね」
「変なのはお前だよ」
姉さんがすぐに言った。
「えー」
「普通、自分が死ぬ夢の話なんて聞きたがらないから」
「私は聞きたいよ」
「だから変なんだって」
「響ちゃんに言われたくない」
また始まった。
二人で話し始める。
長くなりそうだったので、僕は立ち上がった。
「耀、どこ行くの?」
姉さんに呼び止められる。
「部屋」
「なんで」
「だって、話聞かせちゃ駄目なんでしょ」
「綾はいいの」
「なんで?」
姉さんが綾さんを指さした。
「こいつ、オカルト研究部の部長だから」
「部長なんですか」
「うん」
綾さんが少し得意そうに頷く。
姉さんが続けた。
「こういう不思議な話とか、変な現象とか、大好きなの」
「変な現象って言わないでよ」
「同じでしょ」
「違う」
綾さんが僕を見る。
「でも、安心して」
「何をですか」
「こんな面白そうな話、他の人に聞かせるなんてもったいないよ」
「もったいない?」
「うん」
綾さんは楽しそうに頷いた。
「だから、他の人には絶対話さないから」
「絶対?」
「絶対」
迷わず答えた。
「部活でも?」
「話さないよ」
「本当に?」
「本当」
綾さんが少し身を乗り出す。
「耀くんが私に話してくれたことなら、私だけで聞く」
少し変な理由だけど、勝手に誰かへ話すつもりはないらしい。
「まあ」
姉さんが言った。
「綾はこういうところはちゃんとしてるから」
「こういうところって何?」
「人が嫌がることは勝手に話さないってこと」
「最初からそう言ってよ」
「今言ったでしょ」
綾さんが笑う。
「響ちゃん、ちゃんと私のこと信用してるんだ」
「そこはね」
「そこは?」
また始まりそうだった。
僕はもう一度立ち上がろうとする。
「待って待って」
綾さんが止めた。
「まだ何も聞いてない」
「聞かなくてもいいんじゃないですか」
「よくないよ」
即答だった。
「聞きたい」
「そんなに?」
「うん」
綾さんは僕を見た。
少しだけ、さっきまでより真面目な顔になる。
「耀くん、こういう話をできる相手、あんまりいないんでしょ?」
僕は少し止まった。
いる。
一人だけ。
佐倉には蜘蛛の夢のことを話した。
でも、それを綾さんに言う必要はない。
僕が答えないでいると、姉さんが口を開いた。
「昔は家でも話してたんだけどね」
姉さんが僕を見る。
「最近、全然話さないし」
「誰のせいだと思ってるの」
「それは……まあ」
姉さんが少しだけ言葉に詰まった。
珍しい。
「だから」
姉さんが続ける。
「綾ならこういう話、聞きたがるし」
綾さんを見る。
「勝手に他の人に話したりもしないから」
「うん」
綾さんが頷いた。
「ちょうどいいかなって思っただけ」
僕は姉さんを見る。
「もしかして」
「何?」
「姉さん、僕のためにこの人連れてきたの?」
姉さんが少し黙った。
「……別に」
「別に?」
「半分は綾が勝手に来たんだけど」
「勝手じゃないよ」
綾さんが言う。
「ちゃんとお願いしたよ」
「何回もね」
「回数は関係ないでしょ」
僕は姉さんを見る。
「姉さん」
「何」
「姉さん、姉らしいことしたね」
姉さんの動きが止まった。
「……何それ」
少しだけ、顔が赤くなったように見えた。
綾さんがすぐに笑う。
「響ちゃん、照れてる?」
「照れてない」
「絶対照れてる」
「うるさい」
姉さんが顔を逸らした。
珍しい。
僕がそういうことを言うのも、姉さんがこんな顔をするのも。
「それで」
綾さんが僕を見る。
「話してくれる?」
切り替えが早い。
「この人、やっぱり変だよ」
僕が言う。
「知ってる」
姉さんが即答した。
「響ちゃんまでひどくない?」
綾さんは全然気にしていない。
むしろ笑っている。
「少しくらい話してあげたら?」
姉さんが言った。
少しだけなら、いいかもしれない。
どうせ気持ち悪い話を一つ聞けば、満足するだろう。
僕はもう一度座った。
綾さんの顔が明るくなる。
「何話してくれるの?」
「一番最近のやつ」
「いつ?」
「昨日」
綾さんの目がさらに大きくなった。
「昨日見たの?」
「うん」
「どんな――」
「質問多い」
「あ、ごめん」
綾さんが口を閉じる。
でも、顔はものすごく聞きたそうだった。
僕は少し考えてから、昨日の夢のことを話した。
猫だったこと。
生まれたばかりだったこと。
兄弟がいたこと。
僕だけ弱っていたこと。
母猫が近づいてきたこと。
最初は、舐めてもらえるんだと思った。
それから噛まれて、食べられた。
「自分の母親に?」
綾さんが聞いた。
「うん」
「生きたまま?」
「多分」
気づくと、綾さんの顔がかなり近くまで来ていた。
「近いです」
「あ、ごめん」
少し下がる。
でも、またすぐに身を乗り出した。
意味がない。
「それで?」
僕は続きを話す。
起きてから調べたこと。
食仔という言葉。
母猫が子猫を食べることがあること。
弱っている子供や死んだ子供、母親の状態、周囲の環境。
理由はいくつか考えられるらしい。
でも、僕が見た母猫がどうして僕を食べたのかまでは分からなかった。
話している途中で、姉さんが立ち上がった。
「私、やっぱ無理」
「どこ行くの?」
綾さんが聞く。
「飲み物取ってくる」
「今いいところなのに」
「そこが気持ち悪いんだって」
姉さんはリビングから出ていった。
僕は続きを話す。
安心していた母親の匂いが、突然怖いものに変わったこと。
痛かったこと。
食べられる側からは、母親が何を考えていたのか分からなかったこと。
そこまで話して、僕は口を閉じた。
「終わり」
綾さんはしばらく黙っていた。
そして言った。
「面白かった」
「……面白かった?」
「あ」
綾さんが手を振る。
「耀くんが食べられたのが面白いって意味じゃないよ」
「分かってますけど」
「夢の方。すごく面白い」
やっぱり変だ。
「他には?」
「何が」
「他の夢」
「まだ聞くんですか?」
「聞きたい」
即答だった。
「もっとないの?」
「ありますけど」
「どんなの?」
「いっぱい」
「聞きたい」
目が輝いている。
本当に何なんだろう。
その時、リビングのドアが開いた。
姉さんが戻ってくる。
手には飲み物が三つあった。
「終わった?」
「一個だけ」
綾さんが答える。
「まだ聞く気?」
「もちろん」
姉さんがため息をつき、飲み物をテーブルに置いた。
僕は姉さんを見る。
「姉さん」
「何?」
「この人、やっぱり変だよ」
「知ってるって」
僕は綾さんを見る。
黒い髪に、大きな目。
普通にしていれば、かなり綺麗な人なのに。
「見た目はまともなのに、残念だね」
綾さんが一瞬止まった。
それから大きな声で笑う。
「なにそれ!」
「褒めてるの?」
姉さんが聞く。
「半分くらい」
「耀くん、ひどくない?」
綾さんはそう言いながら、まだ笑っていた。
怒ってはいないらしい。
少しして、綾さんが飲み物を一口飲む。
「耀くん」
「何ですか」
「こういう夢って、よく見るの?」
僕は少し止まった。
毎日。
そう答えようとして、やめた。
この人に、そこまで話す必要はない。
「たまにです」
嘘だった。
綾さんは気づかなかった。
「いいなあ」
「何がですか」
「羨ましい」
僕は綾さんを見る。
食べられる夢を見て。
死ぬ夢を見て。
起きても痛みを覚えている。
それを羨ましいと言った。
「……どこがいいんですか」
「だって、そんな夢普通見られないでしょ?」
「見ない方がいいですよ」
「でも一回くらい体験してみたい」
「絶対やめた方がいいです」
「そうかなあ」
本気で残念そうだった。
僕は姉さんを見る。
姉さんも僕を見る。
「ね?」
姉さんが言った。
「変でしょ」
「うん」
今度は否定しなかった。
やっぱり、この人は変な人だった。
「じゃあ、次の夢は?」
綾さんが聞く。
「今日はもういいです」
「えー」
「一個だけでいいでしょ」
「もう一個だけ」
「嫌です」
「じゃあ短いやつ」
「長さの問題じゃないです」
「ちょっとだけ」
「また今度」
そう言うと、綾さんが止まった。
「また今度?」
「はい」
「じゃあ、また聞いていいの?」
そこを拾うんだ。
「……まあ」
「やった」
すごく嬉しそうだった。
本当に夢の話が好きらしい。
「じゃあ連絡先交換しよう」
「嫌です」
「え?」
綾さんの動きが止まった。
横で姉さんが吹き出す。
「何笑ってるの?」
綾さんが姉さんを見る。
「いや」
姉さんはまだ笑っている。
「見た目に騙されて、男どもが綾に『連絡先交換して』って言ってるの、しょっちゅう見るから」
「騙されてって何?」
「そのまま」
「ひどい」
姉さんはまだ笑っている。
「だから、あんたが断られるの初めて見た」
綾さんも笑った。
「響ちゃん、意地悪だね」
「事実でしょ」
「耀くん」
綾さんが僕を見る。
「本当に駄目?」
「駄目です」
「なんで?」
「質問いっぱい送ってきそうだから」
綾さんが黙った。
否定しない。
やっぱり交換しなくてよかった。
「じゃあ」
綾さんがスマホをしまう。
「また来るね」
「なんでそうなるんですか」
「連絡先ないから」
「来なくていいです」
「絶対また来る」
笑顔で言った。
話を聞いていない。
姉さんがまた笑った。
少しして、綾さんは帰っていった。
玄関まで姉さんが見送る。
「じゃあね、耀くん」
「はい」
「また夢の話聞かせてね」
「また今度」
「約束だからね」
約束した覚えはない。
「響ちゃん、また連れてきてね」
「はいはい」
玄関のドアが閉まる。
家の中が静かになった。
僕は自分の部屋へ戻り、ベッドに座った。
結構疲れた。
あの人は、話を聞きすぎる。
一つ話せば次。
その次。
まだないのかと聞いてくる。
佐倉とは全然違った。
それでも、少しだけ気分は楽になっていた。
昨日から食仔のことが頭に残っていた。
母親に食べられたこと。
痛かったこと。
怖かったこと。
どうして食べられたのか、結局分からなかったこと。
調べても消えなかった。
でも今日、誰かに話した。
言葉にして、最後まで聞いてもらった。
それだけで、少しだけ頭の中から離れた気がした。
忘れたわけじゃない。
怖くなくなったわけでもない。
ただ、一人で考えている時より少し楽だった。
誰かに話を聞いてもらうと、こうなることがあるらしい。
それと、今日もう一つ分かったことがある。
姉さんは、僕のことを全く気にしていないわけではなかった。
普段は僕が何をしているのかなんてほとんど聞かないし、夢の話だってもう聞かなくなった。
だから、あまり興味がないんだと思っていた。
でも、僕が夢の話をできる相手がいないと思って、綾さんなら聞けるかもしれないと考えた。
それでわざわざ家に呼んだ。
やり方には少し問題があると思う。
先に僕に聞けばよかったし、勝手に夢のことを話したのも、やっぱりどうかと思う。
それでも。
姉さんが僕のことを全く気にしていなかったわけではない。
それを知れたのは、僕にとって悪くないことだった。
少しだけ、姉さんを見る目が変わった気がした。
最近は、佐倉に夢の話をすることがあった。
でも今は休みで、学校で会うこともない。
わざわざ夢の話をするためだけに連絡するような関係でもない。
家では誰にも話さない。
父さんにも。
母さんにも。
姉さんにも。
桜にも。
だから今日、綾さんが聞いてくれたこと自体は助かったのかもしれない。
かなり大変な人だったけれど。
僕は少し考える。
綾さんと佐倉。
二人とも僕の夢の話を聞いた。
笑わなかった。
嘘だとも言わなかった。
気味が悪いとも言わなかった。
そこは同じだった。
でも、やっぱり違う。
綾さんは夢が面白いから聞いている。
何が起きたのか。
どうやって死んだのか。
他にはどんな夢があるのか。
自分が知りたいから、聞いてくる。
佐倉は違った。
僕が蜘蛛だったと言った時、最初に聞いた。
「痛かった?」
死に方でも、夢の仕組みでもなかった。
僕がどうだったのか。
それを聞いた。
綾さんは、自分のために聞く。
佐倉は、僕のために聞いていた。
多分、そこが一番違う。
どちらも話を聞いてくれる。
でも。
同じではなかった。
僕はベッドに横になり、天井を見る。
綾さんに話せたことで、少し楽になった。
姉さんが僕のことを全く気にしていないわけじゃないと分かった。
それも悪くなかった。
そして。
次に夢のことを話すなら。
佐倉に話したい。
ふと、そう思った。




